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海外ミステリ・レビュー

……新旧の海外ミステリを中心に

「ボストン、沈黙の街」ウィリアム・ランデイ

サスペンス/スリラー

練られたプロットで、結末の衝撃性も高い。片田舎の警察署長の座を父親から継いだ若者ベンを主人公とする一種の教養(成長)小説でもあるのだが、ランディは大胆な捻りを加えており、章を追うごとにベンの凡庸性が修整されていく展開は見事だ。一人称のスタイルがミスディレクションの役割を担っており、終盤への布石となる伏線を配置しつつ、表面的には無関係と思われた幾つかの殺人事件をまとめ上げていく。過去へと遡りつつ謎を探る主人公の捜査が進行すると同時に、彼自身の闇が照射されていくという重層的な構成は結末に至り、そのままの重味で物語を破壊する。本作が主題とするのは、正邪の狭間で悪徳警官へと墜ちていく人間の業だが、クライマックスで一気にノワールへと変貌するさまは、単なる警察小説とは一線を画する。
評価 ★★★★

 

ボストン、沈黙の街 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ボストン、沈黙の街 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「バイオレント・サタデー」ロバート・ラドラム

サスペンス/スリラー

ラドラム畢生の傑作「暗殺者」を読み終えた時の感動は忘れられない。綿密に練り上げた謀略を主軸に、記憶を失った男のアイデンティティを巡るストーリーは、娯楽小説の到達点ともいうべき作品だった。当然の事、大きな反響を呼んで80年代に多くの作品が翻訳されたが、ついに「暗殺者」を超える評価を得たものはなかった。ラドラムが得意とするジャンルは、世界的な陰謀を背景とする巻き込まれ型スリラーだが、プロットに偏り過ぎて、人間が描けていないという欠点がある。「暗殺者」は、その類型から脱した希有な作品で、主人公ボーンの造型に秀れ、活劇にも無駄がない。

1972発表の「バイオレント・サタデー」はラドラム初期の作品で、冷戦下に暗躍したスパイを巡る話だが、洗練されていないことは仕方ないとしても、展開がぎこちなく、サスペンスが持続しない。CIA工作員が米国内部に潜伏した東側スパイを炙り出す作戦をメインとするが、対象者を罠に掛ける準備段階から実行までがまだるっこしい。容疑の掛かられた夫婦を何組か登場させているのだが、誰一人として印象に残らないのは、習作の域をまだ出ていないからだろう。
評価 ★

バイオレント・サタデー (角川文庫 (5690))

バイオレント・サタデー (角川文庫 (5690))

 

 

「血の極点」ジェイムズ・トンプソン

ハードボイルド/ノワール

圧倒的な疾走感で冒頭の1行から息つく暇もない。全てが突き抜けている。本作は第3作「白の迷路」の後日譚であり、限界まで追い詰められた男が己の家族と仲間を守るために私的な闘いをひたすら繰り広げるだけの話だ。凄まじい勢いで燃焼する男の情動を濃密な筆致で活写した「血の極点」は、生半可な犯罪小説を軽く凌駕している。
前作までは顕著だった国家体制に対する批判は薄れ、すでに「警察小説」の形骸すら無い。もはや、緻密な構成など不要と言わんばかりに、ジェイムズ・トンプソンは突っ走り、極めてモダンノワールの世界へといざなう。腐敗した権力者の弱みを握って利用し、闇に潜んだ敵を炙り出し、駆逐するためには躊躇なく暴力を手段として選ぶ。殺される前に、敵を殲滅する。そこに善悪で迷う倫理観の欠片もない。己の業の命ずるままに突き進むのみだ。


フィンランド警察特殊部隊を率いるカリ・ヴァーラは、政敵排除やギャング組織壊滅を狙う私利私欲の権化らの片棒を担いで暗躍すると同時に、予期する裏切りに備えて不法行為で強奪した大金を自らの懐に捻り込む。だが、決着の修羅場に居合わせた妻ケイトが図らずも敵の人間を撃ち殺したショックでPTSDを生じさせ、子どもを残して母国へと帰国する。脳腫瘍手術の後遺症により感情を失っていたヴァーラが、ようやくケイトと子への愛情が甦りつつあった矢先、心身共に破滅寸前の傷を負ったヴァーラは、妻の信頼と愛情を取り戻すために、警官本来の生業である「正義」の行使を決意。偽善とは承知の上でロシアの地下組織の絡む人身売買の解決によって、己の穢れを浄化することへとひた走る。

ヴァーラの原動力となるのは、生き残ることへの執念であり、私闘は須く凄惨な展開を辿る。クライマックスはやや駆け足気味だが、一切を破壊し尽くした後の昂揚/虚脱感は、破滅の文学ならではのカタルシスを伴い昇華する。終幕の束の間の平穏から、次に来る波瀾の予兆を幾らでも読み取ることは可能だろうが、トンプソンの死によって断絶されたヴァーラの物語が「一応」は完結していることに、愛読者としては胸を撫で下ろす。

「白の迷路」から連なる物語は三部作を構想していたらしい。
「Helsinki White(白の迷路)」(2012年) 「Helsinki Blood(血の極点)」(2013年)「Helsinki Dead」(未完)
やがて迎える己自身の死を予期していたかの如き「ヘルシンキ・デッド」という作品名が哀しい。今はジェイムズ・トンプソンの冥福を祈りつつ、渾身のヴァーラ・シリーズが多くの読者に読み継がれていくことを望みたい。

評価 ★★★★★

血の極点 (集英社文庫)

血の極点 (集英社文庫)

 

 

「ゲルマニア」ハラルト・ギルバース

ミステリ/警察小説

評判が良く期待して読んだが、序盤からかなりもたつく。まず、文章が淡白なことが最大の欠点だろう。読み進んでも、登場人物らの顔が浮かんでこず、全体的に造形が浅いと感じた。
物語の舞台となるのは、ノルマンディー上陸作戦の直前、敗色濃い第二次大戦末期のベルリン。主人公はユダヤ人の元警察官で、ナチス親衛隊から猟奇的な連続殺人事件への捜査協力を求められるというもの。この異常な設定にも関わらず、緊迫感がさっぱり伝わってこない。
著者は戦後生まれのドイツ人だが、資料を頼りにしたと思しき説明口調が多く、濃密な空気感を創り上げることに成功していない。連合軍の反撃が勢いを増し、街に爆弾が降り注ぐ。しかし、報道規制が敷かれたドイツの都市部では、変わらぬ日常が続いている。この辺りは事実に基づく内容であろうが、描写が凡庸なこともあって意外性が低い。定石通り、相反する立場であるはずの主人公とナチス親衛隊の捜査官の間には、「友情」の萌芽があり、読者期待するところの結末となるのだが、敢えてこの時代を選んだ必然性が感じられなかった。本筋となる連続殺人自体は、使い古されたサイコパスで、実直ではあるが特に冴えてもいない元警察官を引っ張り出したSSの動機も不充分だ。「ゲルマニア」というモチーフも生かされているとはいえない。
何一つ良い評価が出来ていないのは、先駆者であるフィリップ・カーの傑作「偽りの街」が念頭にあるからだろう。凄まじい極限的状況下に見事なハードボイルド小説を成立させたカーの剛腕にあらためて感心し直す。別の作家を褒めるのも妙な話だが。

評価 ★☆

ゲルマニア (集英社文庫)

ゲルマニア (集英社文庫)

 

 

「スマイリーと仲間たち」ジョン・ル・カレ

スパイ/冒険小説

スマイリー三部作完結編で、旧ソ連の宿敵〝カーラ〟との最終的決着までを描く。重厚な筆致は更に磨きが掛けられており、ル・カレ独自の世界がゆっくりと始動する。前作の漠然とした分かりにくさは消え、より引き締まった構成ではあるが、集中力を欠くと挫折しかねない。タイトル通り、物語はスマイリーに主軸を置いている。かつての仲間が犠牲となっていく非情な諜報戦のただ中で、老体に鞭打ちながら真相を求めて歩む孤独な後ろ姿は、影の存在でありつつも、自国他国問わず真っ先に国家の使い捨ての駒となるスパイの悲哀を物語っている。
冷たい怒りを抑えつつも、或る瞬間には滲み出てしまう吐露に、終わりなき闘いの不毛ぶりが表れている。実体がほとんど明らかにされていなかった〝カーラ〟が、ようやく姿を現す終盤のシーンは、本作のみならず三部作全体を通してのクライマックスであろう。「勝つ」ためには、自らも薄汚い手段を取らざるを得なかったスマイリーに去来する思いは、苦く空しい。

評価 ★★★

 

 

「警鐘」リー・チャイルド

サスペンス/スリラー

第1作があまりに完璧過ぎるため、後に続く作品が物足りなく感じるシリーズは、さほど珍しくない。読者に好評であれば、当然出版社は同じ主人公による継続を求め、著者は期待に沿うべく書き続けるのだが、エンターテイメント性を高めようとして、逆に失敗することもままある。要は活劇を主体とするシリーズが駄目になってしまう理由とは、どれだけ窮地に立たせようとも、「不死の主人公」がいる限りは適度な冒険の中に収まってしまうことにある。あれこれと余分な要素を加えることで弛緩を生じさせ、ヒーローらは須く「ジェイムズ・ボンド」或いは「ランボー」化しいていく。本作はその見本といえる。

「キリング・フロアー」が活劇小説として傑作なのは、鍛え上げられた強靱な肉体と戦闘能力、さらに冷徹な智力で瞬時に情況判断が出来る主人公が、持ち得る能力の全てを出し切って闘う姿を、五感を通して見事に活写しているからであり、予測不能の結末へと向かって疾走するスピード感/緊張感が分厚いカタルシスへと導いていたからだ。
第2作目から、三人称へと変えたこともマイナス要因で、転々と変わる視点のためにスリルが持続しない。かつての恩師の娘によって骨抜きにされるリーチャーの姿は、第1作でみせたストイシズムの片鱗も無く、個の闘いも精彩を欠く。活劇小説にロマンスが不要とは思わないが、本筋とは関係の無い色恋でボリュームを稼いでいるとしか受け取れない。さらに言えば、軍人にありがちな仲間意識、帰属意識が強調され、孤立無援の男というクールなスタイルも失われている。

評価 ★☆

 

警鐘(上) (講談社文庫)

警鐘(上) (講談社文庫)

 

 

 

警鐘(下) (講談社文庫)

警鐘(下) (講談社文庫)

 

 

「フォックス家の殺人」エラリイ・クイーン

ミステリ/警察小説

「僕は満足していません」
12年以上前に妻殺しの罪で終身刑となった男。その無罪立証のために再調査の依頼を受けたエラリイ・クイーンが、事件当日の状況を再現した後に吐く台詞だ。あらゆる事実が状況証拠の裏付けをし、男の犯行であることを、あらためて示していた。だが、論理的な疑いがひとつでも残る以上、納得することはできない。初期の冷徹ぶりから様変わりしたクイーンの熱い男気を示すシーンといえる。

中期以降、ライツヴィルを舞台とする物語を展開したクイーンは、自らの探偵に単なる思考機械で終わらない人間性を肉付けし、社会的情況も加味しつつ、作品そのものに深みをもたせた。
発表は1945年。日本を敵国とする中国戦線を経験し精神的後遺症を負った青年を登場させ、不貞に起因する家庭の崩壊も重要な要素としてプロットに含めている。絢爛たるトリックなど過去の遺物であるかの如くクイーンは割り切り、謎解き自体は捻りのないささやかなものに抑えている。だが、解明された真相に対する結末の付け方は、明らかに成熟している。「本格派の巨匠」としてミステリ史に多くの傑作を残したクイーンは、衰えたというよりも良い意味で「枯れて」いったのだろう。ミステリとしての醍醐味が薄れたとはいえ、固い信念の下、無実と確信する者のために行動するクイーンの姿が初期よりも魅力を増したことは間違いない。

評価 ★★☆

 

フォックス家の殺人

フォックス家の殺人

 

 

「隣の家の少女」ジャック・ケッチャム

ホラー/幻想

これまで少なからずの小説を読んできたが、この作品以上に嫌悪感を覚えたフィクションはなかった。とはいえ、著者の筆力は大したもので、非道の行為を延々と単純に描いただけのストーリーを最後まで読ませる力量は認めざるを得ない。が、同時に相当の忍耐を強いる。主人公を敢えて「非力」な少年に設定し、眼前で繰り広げられる狂気のさまを、傍観者という極めて卑しい立場に置いたまま延々と見せ続けるのだが、それは読者自身を卑劣な側に「同化」させ、共犯関係へと陥らせることとなる。導入部で苦痛の度合いについての意味有り気な語りがあるのだが、それが読者に対する問い掛けであったことに中途で気付く。つまりは、拷問にも匹敵する精神的な苦痛にどれだけ耐えられるか、妙な表現だがマゾヒズムのキャパシティを「本作を読む」ことによって試しているのである。どんなホラー小説でも、救いの兆しや、束の間の休息を含めるものだが、ケッチャムは甘え無用とばかりに読者の期待を裏切り続ける。

中盤から過激さを増す醜悪なサディズムは、一切の救済を退ける。終盤に至ってようやく訪れる主人公の柔な改悛でさえ、もはや手遅れという罪悪感を助長するものでしかなく、無垢な少女を狂人がひたすらに蹂躙するという最悪なプロットは、肥大した不快感を残して暴力的に閉じられる。
例によって、スティーヴン・キングが絶賛しているのだが、恐怖の中でこそ輝きを放つ人間の尊厳や情愛を描いた物語(逆に言えば、それこそ大半の読者が望む)しか書けないキングにとって、ある意味別次元の書き手であるケッチャムの存在は驚異なのだろう。だが、人間の生理的な厭忌のみを刺激する本作品は「問題作」ではあっても、「娯楽作」ではない。また、常人には推薦しない方が無難だろう。後で恨まれることは間違いないであろうから。

評価 ★☆

 

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

 

 

「ランターン組織綱」テッド・オールビュリー

スパイ/冒険小説

1978年発表作。派手さはないが、戦争によって引き裂かれた一家族の悲劇を描いた佳作。愛する者のために自ら犠牲となる、その覚悟は凄まじくも悲哀に満ちている。

英国警視庁公安部のベイリーはスパイ容疑のかかった男、ウォルターズの自宅を訪問する。確証もなく漠然とした質問をした直後、男は退席して自殺。衝撃を受けたベイリーは、平凡な人生を送ってきたかのようにみえた男の過去を探るために、唯一の手掛かりとなるパリの画廊へと向かう。
導入部は短く、謎に満ちた男の素性は明らかにされなまま、物語は第二次大戦中のドイツ占領下のフランスへと時を遡る。間近に迫った連合軍のノルマンディー上陸。英国工作員シャルルが現地のレジスタンスを統率、指揮するために潜入していた。レジスタンス活動は一枚岩ではなく、ソ連を標榜するフランス共産党員も多く含まれていた。終戦後の政権奪取を狙う一部の者は、ゲシュタポへの密告で仲間を売り渡し、解放の為に戦った勇士らは次々と捕らわれていった。勝利の日を目前にしていたシャルルは戦場で束の間の恋におちて結婚する。だが、裏切りによって拘束/拷問された後、強制収容所へと送られ、既に身籠もっていた妻にはシャルルの死が伝えられた。
物語は再び現代へ。自ら死を選んだ男の人生を追い続けいたベイリーは、レジスタンスの亡き英雄シャルルとの接点に気付く。シャルルが死んだのは事実か。ウォルターズの真意とは何だったのか。

非情な運命に翻弄されつつも、己の生きた証を最期まで守り通そうとした男の背中が哀しい。

評価 ★★★

 

ランターン組織網 (創元推理文庫 (218‐2))

ランターン組織網 (創元推理文庫 (218‐2))

 

 

「ドライ・ボーンズ」トム・ボウマン

ハードボイルド/ノワール

私立探偵をヒーローに据えたハードボイルド小説が減ってきている。或いは「売れない」ためなのか翻訳されない。本作の解説で、評論家・霜月蒼が言及している通り、生業ばかりでなく、その舞台も都市部から地方都市へ、さらには厳しい環境の辺境の地へと移っている。主題も、家庭の悲劇からマイノリティなど米国の抱える闇を捉え直して、ミステリに組み込み始めている。私立探偵という職業がもはやリアリティを持ち得ないのではなく、〝現代のハードボイルド小説〟を構想する上で、都会に住む〝孤高〟のヒーローよりも、ドロップアウトして地方生活を送る者、または土地に根差しながらも〝アウトサイダー〟である者の方が、社会的なテーマをより深く掘り下げ、明確にしやすいということなのかもしれない。
ハードボイルド小説のヒーロー像も変遷していく。その流れの中で、トム・ボウマンのデビュー作「ドライ・ボーンズ」は、〝これからのハードボイルド小説〟の本流となる力強さを秘めていると感じた。導入部一行目から引き込まれたのだ。

死体が見つかった日の前夜、わたしは眠れなかった。三月半ばの雪解けの時期だった。

主人公の独白は内省的でありつつ己の現状を達観しており、動的でありながらも情感に満ちた文体(無論、翻訳者の腕如何だが)で、眼前の情景を時に読者自身にも語り掛けながら綴っていく。ガス採掘の利権で揺れる町。ネイティヴの絡む不可解な死体の発見。色と欲と麻薬、暴力の連鎖。本筋とは関係なく時折挿入される亡き妻とのエピソードが決して邪魔にならず、〝余所者〟として事件に執着する主人公の動機が、喪失と疎外感の中で形成されていることが分かる。森林の中に投棄される鉄屑の山。そこに吸い寄せられていく敗残者。過去に生きる者の幻視。濃密な退廃感。関係者の過去へと遡り、徐々に「わたし」は真相へと近付いていく。

プロットや登場人物が整理されておらず混乱することもある。だが、それでもなお読ませるのは、この物語の持つ空気感、世界観が、今後のハードボイルドを切り拓く可能性までも感じさせるからに他ならない。

評価 ★★★★

 

ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「凍りつく心臓」ウィリアム・K・クルーガー

ハードボイルド/ノワール

元保安官コーク・オコナーを主人公とする1998年発表の第1作。実に十数年を費やして上梓した処女作というだけあって、クルーガーの創作に懸ける意気込みが伝わる力作だ。しかし、三人称一視点ではなく、場面によって他の登場人物へと描写が流れるため、ハードボイルドのテイストはかなり弱められている。マイクル・コナリーボッシュシリーズがハードボイルドたる所以は、ヒーローの一視点にブレが無いからで、自ずと物語の骨格において強度が高まる。視点が移るということは、時に構成に乱れを生じさせ、緊張感を途切れさせてしまう。本作は、ネイティブアメリカンとの共存関係の上に成り立つ街を舞台に、陰惨な事件を追っていくものだが、入り組んだプロットを視点の揺らぎが更に混乱させてしまっている。とはいえ、謎の真相自体は単純で、黒幕の正体も捻りが無い。だが、単なるエピソードと伏線となる部分の描き分けが不明瞭なため、読んでいる最中はもどかしさを感じた。主人公と子どもたちとのふれあいなど心に残るシーンがあるだけに、もっとストレートに全体を削ぎ落としていけば、より厚味が出たのではないか。ラストシーンの惜別は、やや身勝手な印象。次作に期待する。

評価 ★★★

凍りつく心臓 (講談社文庫)

凍りつく心臓 (講談社文庫)

 

 

「カジノ・ロワイヤル」イアン・フレミング

スパイ/冒険小説

ジェイムズ・ボンドシリーズ第1作で、1953年発表作。英国秘密情報部の為すことは正義であり、悪と定義した国家/組織、邪魔立てする者には、超人的スパイを送り込んで葬り去るという単純明快さは、デビュー作から一貫している。西側諸国に恐怖をもたらす悪の権化共産主義の親玉ソ連の手先は、例え悲劇的な事情があろうとも容赦無く殲滅せねばならない。その使命を帯びた特権的エージェントであり〝ダブル零〟の称号を持つ者、すなわち007号こそが、偉大な大英帝国の敵に立ち向かう資格を持つ。本作のラストで能天気な決意を固めるボンド。その直前まで色に溺れるままに、或る女に騙されていた後の独白としては大いに滑稽なのだが。食と酒と車、さらには女について一過言持つ伊達男。拷問された直後に弱気になって引退を口にし、善と悪についての脆弱な問答を繰り広げるスパイ。どう読んでも格好悪いのだが、以降映画化もあって爆発的人気を得たのは承知の通りである。カジノ内でのバカラのシーンのみ面白い。

評価 ★

 

007/カジノ・ロワイヤル 【新版】 (創元推理文庫)

007/カジノ・ロワイヤル 【新版】 (創元推理文庫)

 

 

「鉄血作戦を阻止せよ」スティーヴン・L・トンプスン

スパイ/冒険小説

1986年発表「奪還チーム」シリーズ第3弾。冷戦下の東ドイツを舞台に緊迫感溢れる活劇を展開した第1作「A-10奪還チーム出動せよ」は、冒険小説としては稀有なカーチェイスを主体にしており、一気にトンプスンの名を知らしめた。本作は日本向けに書き下ろされたものだが、肝心のカーアクションは控えめながらも充分楽しめる。

分断されたドイツの再統一を測る西ドイツの将軍率いる二部隊が東と西に分かれ米ソ核基地を占拠、米英仏ソ4軍の即時撤退を要求する。図らずも、事実確認のために該当国特命の三人と東側の基地に送り込まれた奪還チームのマックス・モスは、ミサイル制御のコントロール・ボックス奪取のために決死の行動に出る。プロットは至ってシンプル。僅か数年後には東西統一は叶うのだが、当時のドイツ人民の悲願を大胆に取り入れたストーリーは、荒唐無稽とはいえエンターテイメントに徹したものだ。飛行機や自動車に関するマニアックな描写もトンプスンならでは。

評価 ★★★

 

鉄血作戦を阻止せよ (新潮文庫―奪還チームシリーズ)

鉄血作戦を阻止せよ (新潮文庫―奪還チームシリーズ)

 

 

「地上最後の刑事」ベン・H・ウィンタース

ミステリ/警察小説

世評は概ね高いが、私は最後まで退屈で仕方なかった。半年後に小惑星が衝突し人類が滅びるという設定は、フィクションとしては手垢のついたものだが、それを加味したミステリとして意識しつつ読み終えても、さほどの新鮮味は感じなかった。本作は三部作の第一弾で、最終作では絶滅まで後一週間となっている。極めて異常な状況下で、極めて平凡な刑事を主人公に、極めて凡庸なミステリが展開する。幾らでも面白くなる要素はあるのだが、第一作を読んだ限りでは、〝敢えて〟奇をてらうことを避け、絶望と退廃感が徐々に人心を蝕んでいく情景/エピソードが抑え気味に語られる。これが果たしてリアリティに富むものかどうかは読者の受け止め方次第だが、仮にこのような事態になれば、政府による完全な統制は為されず、管理抑制された理性の効く社会とは真逆となり、半狂乱の地獄絵図さながらに終焉していくだろう。物語は、保険会社の男の自殺に疑念を抱いた新米刑事が、荒んでいく街の中で地道な捜査を続けた末に真相に辿り着くという展開だが、主人公が事件に執着する動機付けに乏しく、頻発してるであろう他の犯罪などに殆ど触れていかない。絶望の中に僅かな希望を見出し、高尚なるヒューマニズム賛歌として読み取ることは可能だが、残された時間の中で一介の刑事が為すことの不条理さばかりが際立つと感じた。

 評価 ★☆

 

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

地上最後の刑事 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「ベルリン 二つの貌」ジョン・ガードナー

スパイ/冒険小説

スパイ小説の王道ともいうべき、冷戦下の東西ベルリンを舞台に、非情な諜報戦の只中で繰り広げられる謀略と裏切りの顛末を、緊張感に満ちた筆致で描き切った傑作。英国海外情報局員ハービー・クルーガーを主人公とする第2弾で1980年発表作。前作「裏切りのノストラダムス」は冒険小説的な要素が強く、クルーガー自体の印象は薄いものだったが、本作では強烈な存在感を示して堂々の主役を張っている。分厚い大作でありながら、中弛みせず一気に読ませるジョン・ガードナーの力量は流石だ。翻訳や装丁も見事。

東ベルリン駐在のKGB大尉ミストチェンコフが英国総領事館を訪れて亡命を申し出る。その男の上司となるKGB将校ヴァスコフスキーは直前に死亡していたが、後に自殺だったと分かる。不可解な亡命の真意を探るべく審問を始めたクルーガーは、ミストチェンコフが東ベルリン内の諜報網〝テレグラフ・ボーイズ〟のメンバー6人の暗号名を知っていることに驚愕する。その存在は極秘であり、クルーガーを除けば局長と補佐しか知りえない情報だった。ミストチェンコフは副官として、急死した上司に聞いていたのだという。ヴァスコフスキーは、クルーガーが1960年前後に〝テレグラフ・ボーイズ〟を組織する前の諜報組織〝シュニッツアー・グループ〟を潰した張本人であり、多くの諜報員が脱出に失敗して犠牲となった。〝テレグラフ・ボーイズ〟の誰かが裏切者であることは間違いなく、その6人の中にはクルーガーの元恋人もいた。立ちはだかるベルリンの壁。私情を挟むことに難色を示す上層部の裏をかき、自ら真実を確かめるべくクルーガーは懐かしい郷里でもある東ベルリンへと潜入する。

凄まじいテンションを持続したままに、一気に結末へと向かって疾走する。二重、三重に仕掛けられた罠、全てが白日の下に晒された終盤でクルーガーを完膚なきまで打ちのめす無情の事実、壊滅/極限状態での脱出劇。様々なスパイの姿を通して、結果的には国家の名の下に犬死していく虚無感も漂わせつつ、高密度の一大エスピオナージュは終焉する。緻密なプロットと多彩な人物造型、巧みな情景描写、サスペンスフルな展開など、まるで絵に描いたようなスパイ小説の見本である。

 評価 ★★★★★

 

ベルリン 二つの貌 (創元推理文庫 (204‐2))

ベルリン 二つの貌 (創元推理文庫 (204‐2))