海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「コールド・ファイア」ディーン・R・クーンツ

クーンツは自覚的に娯楽小説を書く。指南書「ベストセラーの書き方」で述べた創作術を自ら忠実に実践し、読者がエンターテインメントに求める要素を過不足無く盛り込む。構成や人物設定などはSF/ホラーの王道を行くもので安定感はあるのだが、クーンツ熟練の技で捻りを加えてはいるものの、「遊び」や「深み」といった点では物足りなさを感じることもある。

本作のメインプロットは、超人的な予知能力を身に付けた孤独な主人公が、「神の啓示」によって世界中の「選ばれし人々」を救っていくというもので、地方新聞の女性記者との恋愛模様も含め、いかにも大衆受けしそうなアメリカン・ヒーローの物語という印象。中盤の山場となる飛行機事故での脱出劇も極めて映画的である。

終盤までは「超能力」を何故身に付けたのか、という男のルーツを探っていくのだが、宇宙船や宇宙人といった〝ホラ話〟の挿入によって破綻すれすれとなり、読み進めることが苦痛となる。種明かしで何とか持ち直してはいるものの、クーンツの世界を堪能するには、ある程度の「純朴」さが必要であると感じた。

評価 ★★★

 

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈上〉 (文春文庫)

 

 

 

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

コールド・ファイア〈下〉 (文春文庫)

 

 

「ドライヴ」ジェイムズ・サリス

デンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフン監督作品「Drive」(2011年)の原作。映画については〝門外〟であり、既に多くの評価がなされているため、私自身が敢えて付け加えることもないのだが、静と動の対比、日常の中で突如噴出する暴力の異常性、そして刹那的で感傷的な情愛の顛末を、シャープ且つクールに描いた秀作だと感じた。陰影を生かしたスタイリッシュな映像でモダンなノワールの世界を構築しており、特に寡黙でストイックな主人公のドライバーを演じたライアン・ゴズリングは嵌まり役で、狂気性を秘めた孤独な男の姿が鮮烈な印象を残した。それは、共演したキャリー・マリガンの憂いを含んだ眼差しを通してより一層際立っていくのだが、小説では表現しきれない映画ならではの創造性/美学を存分に味わうことができる。

ジェイムズ・サリス2005年発表の本作は、ほぼ映画で再現されていた通りの内容だが、ハードボイルドとしての強度はより高い。過去と現在の断片を繋ぎ合わせ、逃走車のドライバーという裏稼業に手を染めるまでの過程と、予測不能のトラブルによって追い詰められていくさまを渇いた筆致で描く。主人公を単にドライバーと表記し、極めてドライに活写。短い章を連ね、情景を深める。クライムノベルを修練した作家の技巧が冴えている。

評価 ★★★

 

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

ドライヴ〔ハヤカワ・ミステリ文庫〕

 

 

「逃げる殺し屋」トマス・ペリー

殺し屋を主人公とするミステリは掃いて捨てるほどあり、生業としての新鮮味は無い。プロットや人物造形など、相当知恵を絞らなければ「いつかどこかで読んだ話」として片付けられてしまう。逆に先行作品との違いを出さなければならないため、作家にとっては挑戦し甲斐のある題材といえるだろう。
本作に登場する名無しの殺し屋は、準備/実行/逃走という過程で玄人ぶりを発揮するが、予期せぬ事態で人の記憶に残らないという大前提を崩される。「誰でもない顔」に傷を負ったことから綻びが生じ、司法省の捜査官のみならず契約を履行したはずの闇組織からも追われる羽目となる。
マンハント自体はクライムノベルのスタンダードからさして外れるものではないが、フリーランスとして日々の糧を得る殺し屋の「こだわり」、つまりはプロ意識の発露そのものが本作の最大の魅力となっている。殺しの方法には、実行する現場にある物を利用して擬装する。事故または病気に見せ掛け、不自然さを残さない。要は「殺された」という事実を隠滅する仕掛けを施すために、瞬時に判断し実行に移すのである。まるで諜報員の暗殺手段のようだが、このようなディティールがリアリティを感じさせ、追い詰められていく男が次にどう動くかという伏線となり、サスペンスを高めていく。
1982年発表MWA最優秀処女長編賞受賞作。無骨ながらも、手堅くまとめている。

評価 ★★★

 

 

 

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル

現代ミステリにおいて先鋭的な作品を上梓する作家の筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルメートルだろう。怒濤の勢いで北欧の作家らが席巻する中、フランス・ミステリがいまだに前衛としての位置を失っていないことを、たった一人で証明してみせた。無論、かの地では多彩な作家たちによって、今も刺激的な小説が生み出されているのだろうが。
読者の度肝を抜く技巧を凝らし、ジャンルを超越するスタイルで、大胆な離れ業を見事に成し遂げ、強烈なインパクトを与えつつ読後に深い余韻を残していく。その筆致は鋭い刃物のように読み手の胸元まで迫ってくる。

2012年発表のパリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズ最終作。ルメートルは三部作で完結させているが、悲痛な終幕を迎える主人公の心身を思えば、役目を終えたということなのかもしれない。最初から三部作の構想があったかどうかは定かではないが、第1作から繋がる重要人物が核となる本作まで、周到な計算のもとに伏線を潜ませていたことが分かる。読者の大半は、不幸にも第2作「アレックス」を先に読まされてしまったのだが、本シリーズは発表順に読んでこそ、本作で虚無的な境地へと至るカミーユの悲劇性がより胸に迫る構図となっている。

愛する女を守るために、自らの権力を乱用してまで私闘を繰り広げるカミーユ。自暴自棄に陥り暴走する刑事の姿は憐れで、前作までとは異質の焦燥感が横溢し、終盤まで凄まじい緊張感を強いる。孤独な男の情愛を利用して復讐を成し遂げようとする犯罪者の仕掛けが徐々に明らかになるさまは見事というほかなく、ルメートルの高度な技巧が冴えわたっている。

評価 ★★★★

 

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

 

 

「熱砂の絆」グレン・ミード

グレン・ミードが傑作「雪の狼」に続き発表した第三作。ボルテージは前作より下がるが、史実を巧みに織り交ぜて構築した物語はスピード感と臨場感に満ちる。
時代背景は異なるものの、基本的な人物設定や構成などは「雪の狼」と大きな違いは無い。現代にプロローグを置き、歴史の闇に消えた瞠目すべき秘史を掘り起こす。無謀な密命遂行のために敵地へ侵入し、難攻不落の防衛網を潜り抜け、その死によって以降の世界情勢を変える標的の間近まで迫っていくという展開は共通している。それだけに、どうしても比較せざるを得ないのだが、二作品ともスターリンルーズベルトという超大国の要人暗殺を主題としていながら、読後感は異なる。

1999年上梓の「熱砂の絆」は、敗戦色濃いドイツ第三帝国が劣勢を覆す策として実際に目論んでいたというルーズベルト暗殺計画を主軸にする。主な舞台は1943年のエジプト・カイロ。英米の首脳が極秘裏に会談するという情報を掴んだドイツ司令部は、軍撤退後もスパイ活動を続ける現地人らを頼りに、暗殺チームを送り込む。抜擢されたのは、戦前にピラミッドで発掘作業に関わっていたドイツ人の男とユダヤ人の血を引く女。当時はさらにアメリカ人の男が加わり、三人は固い友情で結ばれていた。だが、戦争勃発後は敵味方となり、米国大統領暗殺計画を通して皮肉な再会を果たすこととなる。

前作では過酷な運命に翻弄された家族らの血の繋がりを主題に、本作では恋愛を絡めた友情を根幹におき、劇的な物語に仕上げているのだが、「雪の狼」に比べて「熱砂の絆」が弱いのは、やはり「絆」そのものの重さなのだろう。
前へ進むほどに潜入工作員らを切り刻んでいく哀しい宿命、重苦しい絶望と希望の狭間で揺れ動く使命感、裏切りによって退路を断たれながらも仲間への揺るぎない信頼によって開く活路、凄まじい死闘の果てに待ち受ける無情なカタルシスと、残された者たちの荒涼と記憶。「雪の狼」が秀逸だったのは、それらが緻密に配分されつつ、圧倒的な勢いで迫ってきたからだ。世界を新たな戦争に突入させない大義よりも、愛しい者を救うため、大切な人の生命を奪った独裁者への復讐を成し遂げるため、という悲痛な思いに突き動かされた私闘を、よりダイナミックに表現していた。

といって「熱砂の絆」が凡作という訳ではなく、マクリーンやヒギンズ、バグリイらに繋がる現代冒険小説の衣鉢を継承しようというグレン・ミードの意気込みに溢れた力作であることは間違いない。これも惚れた弱み。ボブ・ラングレーと同じく、例え多少の粗はあろうとも、世界中の冒険小説ファンのために作品を発表し続けてくれるだけでも有り難い存在なのである。

評価 ★★★☆

 

 

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)