海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「クリムゾン・リバー」ジャン=クリストフ・グランジェ

グランジェ1998年発表作。自身も脚本で参加した映画でも話題となった作品だが、派手さはなく、終盤までは地道な捜査活動に終始する。フランス司法警察警視正ニエマンスと地方警察の警部アブドゥフの二人が別の発端/ルートを経て、一つの事件へと結びつく構成だが、敢えて枝分かれさせた手法がそれほど効果を生んでいるとは思えない。両者の性格、捜査法に極端な違いがある訳ではなく、さらにいえば、猟奇的な連続殺人事件に関わるニエマンスに比べ、単なる墓荒らしに執着するアブドゥフの動機がいささか弱いこともある。プロットの核にあるのは優生学であり、レイシズムなのだが、暗躍するグループが最終的にどのような目標を持っていたのかという重要な説明も抜け落ちている。といっても、謎に満ちた「少年」の真相に迫るアブドゥフのパートが中盤以降サスペンスを高めていく展開で読ませるので、ミステリとしては充分な出来だろう。結末における刑事らの悲劇的なシーンもドラマティックで、余韻を残す。

 評価 ★★★

 

クリムゾン・リバー (創元推理文庫)

クリムゾン・リバー (創元推理文庫)

 

 

「蜃気楼を見たスパイ」チャールズ・マッキャリー

肉を削ぎ落した骨格のみで作り上げた構成だが、読了後に滲み出る哀感が忘れ難いスパイ小説の傑作だ。自身もCIA局員であったチャールズ・マッキャリー1973年発表作。

物語は、或る委員会に提出された工作員の報告、通信文、盗聴された会話の記録、監視報告などの資料、注記によって成り立つ異色の構造だが、通常の小説の形をとらないとはいえ、違和感なく読み進むことが出来、逆にこれこそスパイ小説の根幹に相応しいスタイルだと感じた。

幕開けの舞台は冷戦期1959年のスイス。国際連合の専門機関WROには加盟国から派遣された400名の職員がいたが、多くは擬装を施した情報工作員だった。その中の一人ポーランド人ミェルニクに帰国命令が下るが、或る理由により政治犯として投獄される恐れがあり、亡命することを望んでいた。ミェルニクと親しいアメリカ人のクリストファー、イギリス人のコリンズ、フランス人のブロシャール、そしてスーダンの皇太子でもあるカタールらは、ミェルニクの真意を量りつつ接近する。同じ頃、スーダンでは反政府テロ組織の活動が活発化しており、ソ連から組織の指揮をとるための工作員が派遣されるとの情報があった。クリストファーらは、ミェルニクがその工作員ではないかと疑う。やがて、カタールが父親の指示によって購入したキャデラックに乗り国へ帰ることとなる。図らずも同行することとなったクリストファー、コリンズ、ミェルニクらは、スイスからスーダンへの旅を疑心渦巻く中でスタートする。

スパイ小説の真髄である謀略と人間不信、そして裏切り。本作は、その諜報戦の非情さを冷酷なまでに浮き彫りにし、敵味方の区別さえ困難な情況下で、人知れず犠牲となっていく者どもの悲劇を描き切る。原題「ミェルニク調書」が示す通り、物語の中心となるのは風采の上がらないお人好しで頑強な性格のミェルニクであり、この孤独な男を冷徹に見据える他国のスパイとのやりとりが凄まじい緊迫感を作り上げている。影の主人公であるクリストファーの眼を通して語られるミェルニクの焦燥と哀しみが、無情なる結末で倍化し、砂漠の蜃気楼のように現れる覇権争いの不毛を指し示す。

評価 ★★★★★

 

 

「27」ウィリアム・ディール

確かな世界観、魅力的な人物設定、分厚い物語の構造、巧妙な語り口など、全てが一級のエンターテインメント作品である。ヒトラー/ナチズム台頭期の不穏な世界情勢を背景とした上質のスパイスリラーであり、終盤での山岳地帯/孤島を舞台とする冒険小説としての要素も秀逸だ。暗鬱な戦争へと突入していく緊迫した情況を描いた中盤までの展開が特に素晴らしく、歴史の断面を鮮やかに切り取り、その只中で翻弄されていく人々の悲劇を密度の濃い筆致で抉り出している。

密造酒の取引で財を成し大富豪として安穏な生活を送っていた米国人キーガンは、混乱の極みにあった滞在先のドイツで、恋人となるユダヤの血を引く女ジェニーと出逢い、その人生が大きく動いていくこととなる。やがて反ナチスユダヤ組織構成員の弟を持つジェニーは、裏切り者によって成す術もなく強制収容所で惨殺され、怒り狂ったキーガンは復讐を誓う。一方、米国が戦争に介入することを恐れていたヒトラーナチス極秘情報組織に命じて、或るスパイをアメリカに潜り込ませていたが、敗戦色濃い戦況を打破すべく密命を実行させることを決意。コードネーム「27」のスパイは満を持して行動に移る。同じ頃、帰国していたキーガンは難を逃れたユダヤ人から「27」の存在と殺されたジェニーへの関わりを知り、潜伏するドイツスパイの狩り出しに着手する。

大筋だけ追えばシンプルなものだが、往時の世相について、歴史的人物を織り交ぜて華やか且つ緊張感に満ちた空気感まで再現しており、書き込まれたディテールは半端ではない。いわば、主人公キーガンの眼を通して、否応もなく戦争に巻き込まれていく国家/社会/人間の有り様を俯瞰的にまとめている。

 作家ディールの実力に圧倒される傑作。

評価 ★★★★★

 

27 (上) (角川文庫)

27 (上) (角川文庫)

 

 

 

27 (下) (角川文庫)

27 (下) (角川文庫)

 

 

「殺戮者」ケネス・ゴダード

ゴダード1983年発表で、唯一翻訳されている作品。間近にオリンピックを控えたロサンゼルス近郊の地方都市を舞台に、不可解な警官殺しを発端とする陰謀の幕が上がる。特に主人公を設定せず、一夜にして街全体がパニックに陥っていく情景をドキュメントタッチで描いており、なかなかの力作だ。

 米国内部に根を張るアラブ系のテロ組織の依頼により、冒頭で〝プロ〟のテロリストが海を渡り上陸するのだが、途中で鮫に手こずるシーンを挿入しており、これが皮肉なラストへと繋がっている。警察対テロリストという図式でラストまで突っ走り、とにかく警官らがバタバタと殺されていく。ゴダード自身に科学捜査員としての経歴があるため、捜査活動の細かい描写は的確で、警官らのやりとりもリアリティに富んでいる。不条理な殺戮に激高し、テロリストを追い詰めていく刑事らの執念が横溢する。

 評価 ★★★

 

 

「ランニング・フォックス秘密指令」ボブ・ラングレー

冒険小説の魅力を凝縮した1978年発表の秀作。大作ではないが、危険な任務に赴くことを厭わない男たちをスピード感溢れる筆致で活写し、やはりラングレーは希少な作家の一人であることを再認識した。

1976年、アフリカの独立闘争に揺れる英国植民地ローデシア(現ジンバブエ)で、現勢力の延命を懸けた秘密指令が発令される。軍情報部長官の独断で北イングランドにあるウインズケール核再修理工場からプルトニウムを盗み出し、原子爆弾入手で母国の情勢を変えようとする目論見だった。英国管理下でプルトニウムは厳重に守られており、近づくことは至難の業だったが、計画を起案したローデシア将校には秘策があり、無謀ともいえる極秘作戦を遂に実行に移した。

過去に秘密を抱えたローデシア将校ホイッティカー、IRA暫定派副参謀長クーガン、実弟をクーガンに殺されたSAS中佐パーカー、英国保安部長官ストレイカーという主要な男四人の行動を中心に、適度なロマンスも加えつつ、粗削りながらもラングレーならではの世界で登場人物が縦横無尽に動き回る。冒険小説ファンの心をくすぐる要素には事欠かず、軽妙なオチも爽やかな読後感を残す。 特に主人公を設定している訳ではないが、ラングレー自身の投影ともいうべき、〝冒険野郎〟ホイッティカーの生気溢れる活躍が本作の読みどころだろう。

 評価 ★★★★

 

ランニング・フォックス秘密指令 (創元推理文庫)

ランニング・フォックス秘密指令 (創元推理文庫)