海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「迷宮のチェスゲーム」アントニイ・プライス

1970年度CWAシルバー・ダガー受賞の「凡作」である。MWAも同様だが、賞に値すること自体が「謎」の作品は珍しくはない。諸種の文学賞と同じく、作品の出来よりも「業界」での影響力や貢献度、大衆的な認知度や発表時の社会的流行などを考慮したような受賞作も多い。無論、後日レビューするウィリアム・マッキルヴァニー「夜を深く葬れ」のような渋い名作もちゃんと選ばれているだけに一概にはいえないのが。

第二次世界大戦終結から24年後。英国内の或る湖底から英国空軍輸送機が発見された。白骨化した飛行士は、当時は英雄として扱われていたが、事態は急変する。墜落時に脱出した搭乗員らによれば、戦後は密輸に関わり、敗退ドイツの混乱に乗じて古代の財宝を盗み出していたらしい。さらに、執拗にその品を探すソ連の考古学者が英国政府に接触を図ってくる。不穏な空気が漂う中、国防省の諜報員オードリーが呼び出される。

本作はスパイ小説を謳ってはいるが、弛みきった筋運びには緊張感が無く、人物造形も極めて浅い。翻訳者があとがきでも触れているが、作者のインテリぶりが鼻につき、本文中にたいして必要のない註釈を大量に挿入し、ただでさえ悪いテンポを殺している。何に長けて、何の仕事をしているのかさっぱり分からない中年主人公には、冴えた推理や鋭い人間観察もない。また、駆け引きに通じている訳でもない。死んだ飛行士の娘が意味不明に接近してくれば、拒みもせずに色欲に溺れ、重要な現場まで連れ回していく。あのジェイムズ・ボンドさえ、もっと高いプロ意識を持っているだろう。
解明されていくスリルも、驚天動地の結末もなく、さして分量のないストーリーでさえ長いと感じさせる。こんな失敗作が英国内でドラマ化されるほど人気だったというのだから呆れるほかない。

評価 ☆

迷宮のチェスゲーム (扶桑社ミステリー)

迷宮のチェスゲーム (扶桑社ミステリー)

 

 

「ラスト・コヨーテ」マイクル・コナリー

ターニングポイントとなるハリー・ボッシュシリーズ第4弾。主人公はハリウッド署殺人課に所属する一刑事に過ぎないが、コナリーは群れること嫌う「一匹狼」的な存在として描いてきた。
本作は、第1作から伏線としてあったボッシュの母親の死の真相を追い求める物語で、これまで以上の私闘を繰り広げている。上司への暴力行為で休職処分となったことを機に、30年以上前の未解決事件を再捜査するのだが、埋もれた過去から浮かび上がってくる事実は、当然のこと痛みを伴う。娼婦であるがために引き離された息子と再び暮らすことを夢見ていた母親の思いを知るほどに、ボッシュは殺人者への憎しみを深める。
事件の性質上、全編がボッシュの単独捜査となり、より一層孤立感は深まっている。途上でボッシュの闇とも共鳴する女との情愛も挿入しているが、ロマンスの色合いは随分とくすんでいる。終盤において、愛する者の死さえも無常なる社会では泡沫にしか過ぎないことを、悔恨とともにあらためて悟るボッシュの姿が哀しい。

本筋とは直接関係ないが、ボッシュが野性のコヨーテと出会い、荒廃した自らの心象をダブらせるシーンは、静謐ながらも熱い心根を持つ孤独な男の心情を見事に表現している。恐らく生息地域による設定であろうが、強靱で孤高の力強さを想起させる狼ではなく、共通する部分はありながらも、より小型で寂寥感のあるコヨーテをモチーフにしたところに、コナリーのこだわりを感じる。
生存環境を奪われていくコヨーテ。闇に逃れつつも、蝕まれた世界を凝視する眼光。生き続けるための原動力となる餓えと渇き。そのイメージは、卑しい街で不条理な「死」と向き合い続けるしかない一人の男へと繋がっていくのである。

現代ハードボイルドの新たな地平を開くパイオニアとしてのマイクル・コナリーの存在意義は大きい。

評価 ★★★★

 

ラスト・コヨーテ〈上〉 (扶桑社ミステリー)

ラスト・コヨーテ〈上〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

ラスト・コヨーテ〈下〉 (扶桑社ミステリー)

ラスト・コヨーテ〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

「混戦」ディック・フランシス

1970年発表の競馬シリーズ第9弾。フランシスの作品は骨格がほぼ共通しているため、肉付けするプロットの出来如何で面白さが大きく異なる。本作を一言で述べれば「薄い」。雇われパイロットを主人公に保険金詐欺の絡む事件をメインにしているのだが、終盤へと引っ張るエピソードが乏しいことに加え、姑息な悪事を働く悪玉が小粒なため、さっぱり盛り上がらない。シリーズの〝売り〟といってもいい主人公を痛めつけるサディスティックな展開も、己の甘さ/弱点を克服し窮地を乗り越えていく最大の見せ場も、お粗末なものだ。同じく〝B級〟とはいえ、筋立てが楽しい「重賞」(1975年)のような作品もあるため、この時フランシスは迷走していたのだろう。危機に陥った飛行機と管制塔とのやりとりで、いかにも「英国紳士」然とした冒険シーンもあるのだが、敵役のショボさのみが目立ち、全体的に味気ない作品になっている。生業は異なるとはいえ、イメージ的には画一的なシリーズの主人公たちを引き立てるのは、魅力的な悪役あってこそだと、あらためて感じた。

評価 ★

混戦

混戦

 

 

「デッド・ゾーン」スティーヴン・キング

キング1979年発表の初期作品。ホラーのテイストは薄く、特殊能力を持つが故に苦悩する孤独な男の半生をヒューマンタッチで描く。主要な登場人物の日常を細かく積み上げていく手法は相変わらずだが、本作ではややテンポを損ねているきらいもある。主人公が〝異能者〟となり人生が変わりゆくさまを丹念に追っていく長い長い第1部は、終盤の劇的な展開へと導くためには必要な分量だったのかもしれないが、構成の密度は弱まっていると感じた。

手を触れることで、相手が秘匿することを知り、未来を予知する。決して売名/野心を目的とせず、殺人事件を解決し、他人の生命に関わる事故を未然に防いだとしても、常人を超えた力に人々は畏怖し、敬遠していく。空想的なヒーローは漫画や映画の世界でこそ親しまれる。現実社会で隣に居座る〝超人〟はどこまでも不気味な化け物でしかない。そのペシミズムが全編に横溢し、報われることのない主人公を追い詰めていく。ラストに於いて、誰のためでもなく自分の信念で事を成し遂げた男の最期が哀しいカタルシスに満ちているのは、死こそが呪縛から解放されるための鍵であったことを無情にも示すからだ。

主人公のジョン・スミス(ミドルネームなし)という名には、「誰もがスミスに成り得る」という含みを持たせているのだろう。中盤までの暗鬱なエピソードの数々は、読者一人一人が己自身に置き換えて、自分であればどう乗り越えるかを迫る。もし、眼前の男に世界を滅ぼしかねない狂気を「視た」時に、人々を救うための行動を起こすか否か。スミスは自らの余命を知り得たが故に、己が「正義」と信じる結論を導き出すが、果たして「キミならどうする」とキングは問い掛ける。
結末において、損傷した脳が異常な力を発揮した要因を強引ながらも〝科学的〟に解明してみせるのだが、キングは本作で〝非科学的〟〝神的〟なものを極力排除しようとした跡がある。その象徴/対照となるのは、本作唯一のホラーパートともいえる邪教に溺れ精神が崩壊していくスミスの母親にまつわる挿話である。
人間を「超えてしまう」ことの怖さ、その能力を持つ者への偏見などのテーマを、キングは次作の「ファイアスターター」でさらに掘り下げる。

ちなみに、クリストファー・ウォーケン主演の映画化作品は、枝葉を刈り取ったストレートな構成と、主人公の凍てついた心象の映像表現が鮮やかで、記憶に残る秀作だった。

評価 ★★★

 

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)

 

 

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)

 

 

 

 

「デス・コレクターズ」ジャック・カーリイ

モビール市警カーソン・ライダー刑事シリーズ第2弾。デビュー作「百番目の男」での〝変態的〟な真相が大いに受けて話題となったが、カーリイの真価が問われた本作も、ミステリファンには概ね好評だったようだ。だが、筋の面白さで読者をぐいぐいと引っ張っていった前作に比べ、全体としてそつなくまとまっており、やや物足りなさも感じた。殺人者に関わる凶器や所有物を収集するキワモノたち、所謂デス・コレクターを題材として扱っているのだが、彼らの異質ぶりや狂気を、アイロニカルにオブラートに包んで描写しているため、単なる俗物としての印象しか残らない。カーリイは単に素材として使っただけだろうが、偏執狂的な収集家らの異常な世界をより掘り下げれば、さらに厚みは増していただろう。また、プロットの核となるサイコキラーが遺した「病的な絵画」を巡るやりとりにおいて、肝心の絵の〝凄まじさ〟が文章を通して伝わってこないのも、本作に対する吸引力を弱めた。

本シリーズの最大の〝キモ〟は、要所要所で登場する主人公の実兄にして連続殺人者ジェレミーの存在なのだが、サイコキラーの〝定型〟から外れることがないとはいえ、やはり情景を引き締める効果を持っている。トマス・ハリスが「羊たちの沈黙」で創造したハンニバル・レクターの役割を近親者に移し替えたカーリイのアイデアが光っており、同系ミステリの換骨奪胎で成功した稀なケースだろう。

余談だが、翻訳では第1作目から一人称に「僕」を当てているのだが、未成年ならともかく、大人の刑事に相応しいとはいえない。本シリーズに限らず、〝未熟〟〝弱さ〟のイメージを植え付ける「僕」を使った翻訳物は、個人的には敬遠している。

評価 ★★★

 

デス・コレクターズ (文春文庫)

デス・コレクターズ (文春文庫)