海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「沈黙の犬たち」ジョン・ガードナー

1982年発表の英国海外情報局員ハービー・クルーガーシリーズ第3弾。クルーガーが築いた東ドイツ諜報網を壊滅させたソ連の宿敵ヴァスコフスキーとの最終的な闘いの顛末を描く。「ベルリン 二つの貌」から繋がるストーリーのため、まず同作を読んでおくことは必須。「…貌」でのボルテージの高さは圧巻だったが、本作ではさらなる盛り上がりを見せる。実力派ガードナーの力量に圧倒される傑作であり、骨太なスパイ小説の醍醐味を存分に味わうことができる。

ソ連諜報機関の最高位で暗躍する英国の長期潜入工作員〝ステントール〟は、己の正体が暴かれつつあることを知り、SOSを発信する。ソ連内部に潜む裏切り者を突き止める任に就いたのは、先の闘いで英国SISに完膚無きまでの打撃を加えたKGB少将ヴァスコフスキーだった。冷徹な智将は、内部に眠る「犬」を炙り出すための計略を実行に移すが、その好餌として選んだのは「…貌」ケースで失墜させたクルーガーに他ならなかった。クルーガーを東側への逃亡を図っている「売国奴」として匂わせ、その接触/過程を通して〝モグラ〟を炙り出す。一方、孤立無援の情況下でヴァスコフスキーへの復讐に燃えるクルーガーは、〝ステントール〟救出作戦とともに仇敵の策略を逆手に取る秘策に着手。かくて機は熟し、双方は凄まじい頭脳戦を展開していく。

本作で特に印象に残るのは、身動きの取れない〝ビッグ・ハービー〟に代わり急遽スカウトされた若き工作員ゴールドのエピソードだ。ソ連に潜入し、〝ステントール〟脱出の手筈を整えるのだが、結局は使い捨ての駒として悲痛な最期を迎える。対立する国家・イデオロギーが闘争を繰り広げるその末端で非情な諜報戦の犠牲となっていく者どもを省くことなくドライに描き切ることは、秀れたスパイ小説のパラダイムでもある。また、熟年クルーガーと女スパイの恋愛模様も挿入するなど、本筋にきっちりと絡む枝葉から、物語は一層の深みを増し、淀むことなく終章へと流れていく。

二重三重に練り込んだ緻密な構成の中で展開する緊張感溢れる腹の探り合い、一気に変転するスピード感に満ちた攻防戦、重厚で哀切な人間ドラマ、怒濤のクライマックスへと向かう疾走感……裏切りの美学ともいうべき高密度エスピオナージュの最高峰として、クルーガーシリーズは改めて評価されるべきだろう。

残念ながらガードナーは既に逝去しているが、ずば抜けたストーリーテリングの才は、巨匠ジョン・ル・カレをも凌駕する。現代スパイ小説は長らくル・カレの牙城で、その他の優れた作家がなかなか脚光を浴びないことに歯痒い思いがあったのだが、特にクルーガー・シリーズにおけるエンターテインメント小説としての完成度/熟成度は、難解且つ冗長なだけの「スマイリー三部作」を超えている。

評価 ★★★★★

 

沈黙の犬たち (創元推理文庫 (204‐3))

沈黙の犬たち (創元推理文庫 (204‐3))

 

 

「ココ」ピーター・ストラウブ

長大なボリュームのサイコ・スリラーで、文学志向の強いストラウブの濃密な筆致のせいもあり、読み終えるのに時間を要した。ベトナム戦争従軍によって重度の神経症を負った者が臨界点に達して殺人者と化す。新鮮味の無い設定だが、どう物語を膨らませ、捻りを加えて展開させるか、作家の腕の見せ所といえる。

本作に登場する主要な帰還兵らは須く心的外傷を抱えており、戦場の血を浴び錆びついた鎖で互いに繋がれている。社会復帰を果たし、それぞれが人生のやり直しを始めても、再び〝戦友〟が集えば極めて特殊な軍人の戒律/指揮系統によって縛られていく。彼らにとっては、その呪縛こそ鬱屈した慰撫へと導くものであり、ベトナム戦争の記憶は日常の倦怠を解き放つ麻薬の如き常習性を伴って脳内にとどまり続け、過去と現在/異常と正常の境界を容易に乗り越えていく。

ワシントンの戦没者慰霊碑完成を機に再会した4人の男は、アジアで起こった連続殺人事件を語り合う。見出だしたのは「ココ」という血塗られた符牒。その名は、或る村での虐殺の悪夢に直結していた。戦場のただ中に出現し、再び甦ったサイコ・キラー。「ココ」は、ソンミ事件を想起させる無差別殺戮の真相を告白するという餌で、かつて現地へと赴いていたジャーナリストらを個々に誘い出し、残虐な殺し方を用いて口を封じていた。「ココ」の正体は、現在小説家として名を馳せていた〝戦友〟の一人であると確信した帰還兵らは殺人者が潜伏する地へと飛んで炙り出すことを画策する。真犯人を突き止めて世間を驚嘆させ、あわよくばカネを生む一大イベントへと変転できるからだ。だが、その深層には暴力への歪んだ崇拝が流れており、その狂気の度合いは「ココ」に引けを取るものではなかった。

 物語は「ココ」という存在が決して異質な化け物ではなく、狩る者と狩られる者、両者の首はいつでも挿げ替え可能であったことを、それぞれの過去と現在のエピソードを積み上げて指し示していく。「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化す」(ニーチェ)ことへのイロニーとして、そもそも怪物を〝創造〟したのは身勝手な征伐を加える側であることも描き出している。相手を〝獲物〟として互いに狩り合う構造は、戦争によって崩壊する精神の脆弱性と「殺す」ことでしか得られないカタルシスの無常観に満ちている。

評価 ★★★

 

ココ (上) (角川ホラー文庫)

ココ (上) (角川ホラー文庫)

 

 

 

ココ (下) (角川ホラー文庫)

ココ (下) (角川ホラー文庫)

 

 

「シンガポール脱出」アリステア・マクリーン

戦争小説の名作として今も読み継がれている「女王陛下のユリシーズ号」(1955年)でデビューを果たしたマクリーン1958年上梓の長編第三作。現代に通じる戦争/冒険小説の骨格を創り上げた初期の作品は、まさに神憑っているとしか例えようがない。映画化された「ナヴァロンの要塞」を機に金銭的に潤ったマクリーンが次第に精彩を失ったという定番化された冷評もあるが、真に「傑作」の名に相応しい雄編を数え上げれば、質・量共に他の作家を凌駕していることは明らかだろう。
海に滅びゆく者たちの一大叙情詩「ユリシーズ」、エンターテインメントとしての冒険小説を徹底的に突き詰めた「ナヴァロン」。さらに極寒のハンガリーを舞台に激烈な諜報戦を描いた「最後の国境線」(1959年)などは、実際にページを捲る指先が凍傷にかかったような感覚に陥ったほどで、極限状態であればあるほどに冴え渡るその圧倒的な筆力は、やはり天性の才能だと認めざるを得ない。

本作は、虚妄に過ぎない「大東亜共栄圏」の旗印のもと、東南アジア諸国へ侵攻した「大日本帝国」を敵役とし、実際に英国海軍従軍中に捕虜となったマクリーンの苦い経験が活かされている。陥落寸前のシンガポールで退路を絶たれた民間人や英国軍人らは、密航船で辛くも脱出するが、座礁して沈没。付近を航行中だった英国籍大型タンカーが生存者を救出したものの、敵の戦闘機の攻撃を受け、救命ボートで洋上を漂うこととなる。だが、不可解なことに日本軍は止めを刺さない。遭難者の中に潜り込んだ敵側スパイ。狙うのは、正体を隠して乗船中の英国将軍の極秘文書。密命を帯びた者とは誰か。灼熱の地獄の中での決死のサバイバルが展開していく。

マクリーンが好んで描くのは、どんな状況であろうと屈せず闘うプロフェッショナルの姿だ。本作の主人公/一等航海士ニコルソンは、常に先頭に立ち、身を挺して危機を乗り越える誇り高く、ストイックな男である。ヒーローとしては申し分のない理想像なのだが、マクリーンは臆することなくストレートに活躍させるため、決して嫌味にはならない。現代の冒険小説では、精神的弱さやハンディキャップの克服も大きなテーマとしているが、決して弱音を吐かず、強靱な精神力/経験を培った男が数多の試練に立ち向かうシャープな冒険行が、雑じり気のない感動を呼び起こすのは、まだ「騎士道精神」的な美学が冒険小説の根底に流れていたからだろう。ラストシーンのぶつ切り感も、硬派なマクリーンの世界を象徴する終幕といえる。

評価 ★★★

 

 

「死の蔵書」ジョン・ダニング

長らく休筆していたダニングが、自らの経験を基に古書の世界を題材として執筆し話題となったベストセラー。元殺人課刑事で現在は古書店主という異色の経歴を持つクリフ・ジェーンウェイの活躍を描き、以降シリーズ化している。

本作には「すべての本好きに捧げる」という売り文句が付いていた。果たして本作のモチーフとなる著名な作家の初版や歴史的な稀覯本が、巷の読書愛好家にとって興味深い対象かというと疑問が残る。メインプロットに絡まない枝葉で、登場人物らが古書に纏わるうんちくを語り、売買のやりとりを繰り広げていくのだが、その分贅肉が付き過ぎてスマートさに欠ける。読み終えて印象に残るのはそれらの裏話のみであり、本筋がかすんでしまっていると感じた。
例えチャンドラー「湖中の女」初版本にどんな高値が付こうと作品の出来とは当然のことイコールではなく、所詮は蒐集家向けのコレクターズアイテムに過ぎない。表紙カバーが破れた百円の古本であろうとも、読者の人生に限りない影響を与える作品に出会えることもままある訳で、稀少なモノを所有することに至上の喜びを覚えるマニアとは次元が異なる。値が張る本は秀れているという誤解を生じさせるような収集家や商売人らの嗜好は気持ちの良いものではなく、それは著者の投影でもある主人公にしても然りである。古書業界に限らず数多のコレクター相手の商売で共通する生態とはいえ、どうしても反発したくなるのは、本に対する愛情の基点が違う貧乏読書家の穿った見方故かもしれない。流通する商品としての価値に重きを置く蔵書家は「本好き」には含まれるのであろうが、創作そのものを純粋に楽しむ「読書好き」とは似て非なるものだ。

肝心のプロットは、古書店街界隈で〝掘り出し屋(値打ち本を発掘する転売屋)〟が殺された事件を発端とし、或る収集家が遺した稀覯本を巡る闇取引を背景に置く。だが、手掛かりを追うことなく主人公は未解決のまま刑事をあっさりと辞め、自らの夢であった古書店開業に打ち込んでいく。開店も束の間、クリフは身の回りで起こる不審な動きを察知しつつも情事に耽り、その不在時に店のスタッフらが虐殺される。主人公はようやく連続殺人の解明に本腰を入れるのだが、その行動には独り善がりな面があり、キレがない。本作をハードボイルドと評する向きもあるようだが、一人称の語り口や暴力シーンが適度に入っていれば一丁上がりではない。定義は人それぞれだろうが、単なる趣味人が自らも被害を被り追い込まれた末にやっと立ち上がる姿に、ハードボイルドの精神など到底感じることなどできない。

長々と批判めいたことを書き連ねたが、本作はミステリとしては標準作であろうし、本が読まれない/売れない時代に、業界に対してある程度の活力/刺激を与えたことは間違いないだろう。しかし、高い世評とのズレを感じざるを得なかったのは、物語の中で言及する作品をただの一冊も読みたいと思えなかったことにある。ダニングは、実在の作家や小説に対する批評を主人公に代弁させているのだが、どの作品にも愛情を感じず、そもそも推薦する意図など端から無いようだ。要は、本の価値を売れるか売れないかで判断する〝商品〟として見ているからだろう。

創作のスタンスもジャンルも異なるが、本に対する深い慈愛に満ちたカルロス・ルイス・サフォンの名作「風の影」の芳醇な世界観に比して、本作はあまりにも無機的過ぎる……と、ミステリとは関係の無いところで駄文を記録しておく。

評価 ★★☆

 

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

死の蔵書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「誰かが泣いている」デイヴィッド・マーティン

話題となった「嘘、そして沈黙」と同じく何とも形容し難いミステリなのだが、一気に読ませる力量は大したものだ。破綻すれすれのプロットを強引な筋運びで繕っているのだが、もとより緻密なサイコ・スリラー作品が珍しいぐらいなので、標準的な出来かも知れない。
ニュースキャスターのライアンは、ピューリッツアー賞も受賞したベテランだったが、放送中に涙を抑えきれなくなる失態を犯し、プロ失格の烙印を押されて職を辞する。読み上げた原稿は幼児虐待に関するものだったが、慟哭する理由には思い至らない。直後、怪しい女がライアンに接触を図り、不可解なメッセージを手渡す。或る町で赤ん坊が殺され続けており、その事実を突き止めてほしいというものだった。女は眼前で自殺、異常な事態に戸惑うライアンだったが、このスクープは表舞台に返り咲くチャンスと捉え、事件を追う決意を固める。

主要な登場人物にまともな者がいない。盲目でありながら狡猾に殺人を続けていく小児科医キンデルの「怪物性」は設定としては常套だが、それよりも主人公の脆弱ぶりが際立っている。社会的正義よりも己の虚栄心を優先させる男で、高潔なジャーナリスト精神は些少。要はその俗物的な〝ヒーロー像〟がアイロニカルに描かれている訳だが、魅力に乏しいことは否めない。結果的に流されるように殺人者と対決するが、最後まで振り回され放しで、どうにも頼りない。物語をストレートに展開させない曲者マーティンの創作スタイルが良くも悪くも表れているようだ。

評価 ★★★

 

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)

誰かが泣いている (扶桑社ミステリー)