海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「地上90階の強奪」ユージン・イジー

クライムノベルの新鋭として注目されていたイジー1989年発表作。コソ泥、金庫破り、殺し屋、ギャング、警官らが織り成す生き生きとした会話が最大の魅力。重鎮エルモア・レナードからの影響が顕著だが、スマートな軽快さよりも裏稼業の男たちの生き方そのものに焦点を当て、独自のノワールを構築している。イジーは、犯罪小説の挿話の如き不可解な最期を遂げているのだが、いったいどんな闇を抱えていたのだろうか。
評価 ★★★

地上90階の強奪 (ミステリアス・プレス文庫)

地上90階の強奪 (ミステリアス・プレス文庫)

 

 

「透明人間の告白」H・F・セイント

1987年発表作。翻訳された当時は大いに話題となり、2005年には「本の雑誌が選ぶ30年間のベスト30」第1位に選ばれている。今も「名作」として読み継がれているのだが、数多の熟練批評家/作家/読者らの絶賛コメントに、私が共感できることは多くない。着想はともかく、物語の展開が実に単調と感じたからだ。

本作を要約すれば、「ニューヨークで透明人間として暮らすことがいかに大変か」という一文で事足りる。主人公ニック・ハロウェイは、予期せぬ科学研究所の事故によって透明人間となり、国家の「秘密情報機関」から追われる身に。〝見えない人間〟故に、逃走は容易と考えるところだが、その存在を知る者らには、逆に探知しやすい痕跡を残すことが分かる。しかも、他人に見えない身体は、人や車が行き交う大都会の街中では生命の危険に直結し、さらに突然の〝失踪〟は社会との関わりを失うばかりではなく、群衆の中での孤独を浮き立たせた。この逆転した見方によって、透明人間の生き辛さを痛感させる挿話はアイロニーに満ちており、着眼として優れている。
だが、透明化した体内で食べ物の消化過程が見えてしまうなど、諸々のエピソードはユニークだが、長いストーリーの中で同じような描写を繰り返すのは余分。そもそも、透明となった眼球で物を視ることが可能なのか、という大前提が解決されていないため、細部でこだわるリアリティーに違和感しか残らない。
ハロウェイは極めて常識人で、「逃げ隠れる」毎日を送る一方で、常人に迷惑を掛けない生活を続けていくことを試みる。俗人であれば思い付く〝悪業〟に染まることなく、元エリート証券マンとしての知恵を活かし、出来る限り真っ当な手段で日々の糧を稼ぐ。つまり、この男は透明人間となる前と変わらぬ人生を送ることを望むのである。追跡を振り切りたければ、ニューヨークから離れればいい話だが、追跡者の予想通り住み慣れた街にこだわり続ける。この生き方がどうも焦れったく、終盤に至ってようやく追っ手への反撃の構えをみせはするのだが、結果的に大きく変転させることもなく、自らの境遇を受け入れていく。
要は、さらなる冒険へと結び付くこともなく、透明人間の不可思議な日常を綴ることに終始したまま、「告白」は閉じられていくのである。荒唐無稽では興醒めだが、〝等身大の透明人間〟にもさっぱり魅力を感じない。

評価 ★★★

 

透明人間の告白 上 (河出文庫)

透明人間の告白 上 (河出文庫)

 

 

 

透明人間の告白 下 (河出文庫)

透明人間の告白 下 (河出文庫)

 

 

「ボストン・シャドウ」ウィリアム・ランデイ

「ボストンの絞殺魔」を下敷きとする2006年発表のランディ第二作。前作「ボストン、沈黙の街」は重層的なプロットに唸る力作だったが、社会的な視野がさらに深まり、退廃的ノワールのムードも強まっている。
本作は、公私ともに犯罪と密接な関わりを持つデイリー家の三兄弟を主役とする。殉職した父親を継ぐ警察官で粗暴な長男、エリートの道を突き進む脆弱な検察官の次男、ドロップアウトして空き巣となった無頼の三男。この三人の行動をそれぞれに追うことで、軸となる事件に多角的な視点が加わり、物語が厚みを増している。

1963年11月ケネディ大統領暗殺直後。再開発の進むボストンで、主に高齢の女性を狙った連続殺人事件が発生、一向に解決する兆しもなく、市民を震え上がらせていた。暗い世相を背景に跋扈するギャング、独善的権力を笠に腐敗した為政者、両者と癒着し分け前にあずかる悪徳警官、真っ先に犠牲となっていく最下層の弱者たち。暗鬱な焦燥感によって荒廃した人心にシンクロするように正体不明の殺人者が徘徊。人格も生業も違うデイリー三兄弟は、必然的/運命的に不可解な猟奇的殺人の渦中へと飲み込まれる。畢竟、近親者が標的となり、血塗られた破滅へと導かれていく。

1964年に「ボストンの絞殺魔」は一応の解決をみているが、収容先の刑務所内で殺された男は真犯人ではなく冤罪だったという説もある。ランディは、当時のボストンの社会状況を絡めつつ、いまだ謎の多い事件を独自に解釈した上で、一家族が脆くも崩壊していく有り様を描き切る。

評価 ★★★

 

 

ボストン・シャドウ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 281-2))

ボストン・シャドウ (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 281-2))

 

 

 

「クリプト・マン」ケネス・ロイス

元盗人ウイリー・スコットを主人公とするシリーズ第6作。翻訳されたのは本作からで、以降三作が紹介されている。主要な人物らのそれまでの経緯が分からないため、なかなか関係性が掴めないのが難。蜘蛛のようにビルの壁面を登り下りできることから、スパイダーと呼ばれている。過去に諜報機関に利用されて、ソ連KGB内に敵も作っていたらしい。ストーリー展開はテンポ良く、適度な活劇も盛り込んでいるが、ヒーロー小説として印象に残るものがなく弱い。
評価 ★★

 

クリプト・マン (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

クリプト・マン (サンケイ文庫―海外ノベルス・シリーズ)

 

 

「傷心の川」ジョン・バカン

心の奥深く、いつまでも波打つ感動をもたらす「最後の、そして最高の冒険小説」。翻訳数は僅かながら、不慮の事故死(1940年2月11日)を遂げた翌年に出版された「傷心の川」がジョン・バカン畢生の名篇であることは間違いない。本作は、厳格さと慈愛を兼ね備え、静謐でありながらも瑞々しい生命力に満ちた人間賛歌の物語であり、「生きる」ことについての根源的省察の書だ。

富と名声を得ながらも常に孤独だった男、エドワード・リーセン。初老に差し掛かったその英国人の身体は病に侵され、医者からは残り一年の命と告知されていた。戦場で浴びた毒ガスが要因の肺結核。表舞台から姿を消した男は、人生の最期を迎えるに相応しい場所を思い描く。そんな折、旧友から或る依頼があった。米国で銀行家として大成しながらも、何もかも投げ出して突然失踪した男、フランシス・ガリヤードを捜し出し、連れ戻して欲しいというものだった。推察できたのは、フランス系カナダ人であるガリヤードが、自らのルーツを遡るためにカナダ奥地の故郷へと戻ったということ。かつてリーセンには、彼の地を旅した経験があった。事情を聞き、ガリヤードに対して或る種のシンパシーを感じたリーセンは、残り僅かな日々をどう過ごすかについての結論を得る。

北極圏の厳しい自然の中で、過去の栄華を葬り、眼前の道無き道を歩む若い男。その軌跡を追うのは、名誉よりも生きた証しを探し求める未来無き年老いた男。ガリヤードは束の間郷里に滞在した後、さらなる旅を続けていた。同行していたのは、カナダ北部の熟練ガイドであり、クリー族インディアンと白人の混血となるリュー・フリズル。リーセンは、奇しくもリューの弟ジョニィ・フリズルを雇い、川を渡り、山を越え、追跡を続ける。やがて、ガリヤードらの目的地は、さまざまな伝承説話を持つ前人未踏の「傷心の川」だと知る。人々を魅了しつつも、実際に行き着いた例を聞かない幻影の如き其処には、いったい何があるというのか。

肉体を蝕む病との闘いを続けつつ歩みを止めないリーセンは、心身を病み茫然自失のガリヤードをようやく発見する。実は、「傷心の川」到達に取り憑かれていたのはガリヤードではなく、案内人であるリューの方だった。雇い主が足手まといになると判断して冷酷にも置き去りにしたらしい。リーセンはガリヤードを介抱した後、再び出立する。幽寂の山峡を越え、不可思議な声に導かれるように秘境の谷間にある「傷心の川」を目指す。そして、死の淵でリーセンは視る。神々しい輝きを放つ幻の川と、悠然と屹立するリューの姿を。

物語は佳境に入り、格調高く詩情に溢れた終局へと流れていく。リーセンは既に帰国するだけの余力を持たず、端から望みもしなかった。「傷心の川」からの帰路、リーセンらは旅の途上で出会ったインディアン・ヘア族の部落へと寄る。
貧しさと餓えの中で生きることを諦めてしまった人々。荒れ果てた教会には宣教師もいたが、信仰で救えることには所詮限界があった。リーセンは人生最期となる地で、部落再建のために立ち上がる決意をする。途絶えようとするリーセンの生命。甦ろうとする多くの生命。そして、独りの男が為し得る最大限のメルクマールが、どこまでも深く刻まれていく。

読み終えてしばらくは、主人公のみならず作者の人生に、誰もが思いを馳せることだろう。政治や創作活動を通して人々の尊敬を集め、広く愛された人格者バカンの人となりが隅々に息づき、本作はまさに偉大な作家による「白鳥の歌」だったという表現が相応しい。
まるで自らの死を予感していたかのような達観の境地で、声高くメッセージを叫ぶでもなく、人間の実存を静かに力強く問い直す。富や名声では満たされることのなかった人生の終着点。死と向き合うことで、自らの生を識ること。そこから「どう生きるか」について、バカンは自らの人生観と経験を基にして本作を構想している。
主人公によって、心身ともに救われた男がラストシーンで回想する。
「あの人は自分が死ぬことを知っていた。同時にそれは、生きることについて知っていたことでもある」
バカンはキリスト教的な自己犠牲の精神を説いているのではない。その立ち位置は無神論的であり、人間はあくまでも無常にも死にゆく存在として、冷徹に捉えている。ただ、自然や社会との関わりの中でさまざまな経験を積み重ね、儚き人生の終わりを迎えるにあたってのひとつのあり方を、エドワード・リーセンという男、つまりはバカンの分身ともいえる人間の冒険を通して指し示すのである。時は、第二次世界大戦の前夜。人類の危機が目前に迫っていたただ中で、真の「生き方」を問うた知識人バカンの崇高さに打たれる。
この至高の小説が再版もされず、埋もれている現状は理不尽というほかない。

 

評価 ★★★★★☆☆

 

傷心の川 (1970年) (世界ロマン文庫〈8〉)

傷心の川 (1970年) (世界ロマン文庫〈8〉)