海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「殺人容疑」デイヴィッド・グターソン

1994年上梓、純度の高い傑作。時は第二次大戦前後。舞台は米国ワシントン州の西にある孤島サン・ピエドロ。島民は約5千人、1920年代には多くの日本人が移住し農業などに従事していた。今では、その二世らも大人になり米国籍を取得できる日を待っていた。だ…

「ドイツの小さな町」ジョン・ル・カレ

ドイツ統一を掲げた大衆運動が、西ドイツを揺り動かしていた。煽動する指導者は、博士号を持つ実業家カーフェルト。謎の多い人物だった。最終目的地となる首都ボンに向かって国内を縦断する「行進」が続く中、英国大使館では別の問題が立ち上がっていた。現…

「死の統計」トマス・チャスティン

1977年発表作。重厚な警察小説/カウフマン警視シリーズの脇役として、いい味を出していた私立探偵J・T・スパナ―が堂々と主役を張る。6月、夜のマンハッタン。奇妙な事件はクイーンズボロー橋の上で始まった。愛車に乗るスパナ―を猛スピードで追い抜いた…

「縮みゆく男」リチャード・マシスン

スコット・ケアリーは、毎日7分の1インチ(約3.6ミリ)ずつ縮んでいた。既に害虫よりも小さくなり、自宅地下室で先の見えない日々を送っている。自らの試算では、あと6日で〝消滅〟する。半ば諦めの境地にいながらも、本能は生き続けようともがいた。目下…

「天国への鍵」リチャード・ドイッチ

高価な金品のみを狙う泥棒マイクル・セントピエールは、結婚を機に引退した。数年後、真っ当な仕事に就き、質素な生活を送っていたマイクルのもとに、ドイツの実業家と名乗るフェンスターが奇妙な依頼を持ち込む。バチカンが厳重に保管する宝を盗み出して欲…

「気狂いピエロ」ライオネル・ホワイト

フランス映画/ヌーヴェルヴァーグ「気狂いピエロ」(ゴダール監督/1965年公開)の原作で1962年発表作。原題は「Obsession」で妄執/強迫観念を意味する。ホワイトは本作を含めて僅か3作しか翻訳されておらず、他の2作は入手困難なため、作風などの全体像…

「チェシャ・ムーン」ロバート・フェリーニョ

惹句にはハードボイルドとあるが、サスペンス基調のミステリという印象。主人公クィンは元新聞記者で現在はゴシップ誌のライター。元妻とは友達付き合いを続けており、同じ敷地内にある離れで暮らしながら、幼い一人娘の寝姿を裏庭の木から見守る日々。そん…

「鋼の虎」ジャック・ヒギンズ

「山脈の向こうの空は群青色と青に染まり、太陽がゆっくり昇ってくるにつれ、万年雪の上に黄金色の輝きが拡がった。眼下の谷は暗く静まりかえっていて、聞こえるものといえば、チベットへの迷路をたどるビーヴァー機の、低く、絶え間ない唸りだけだった」静…

「陸橋殺人事件」ロナルド・A・ノックス

本職は聖職者という異色の作家で、創作上のルールを定義した「ノックスの十戒」でミステリファンにはお馴染みだろう。創作期間は10年と短く、本人の意志に反して、教会など身内の抵抗にあって断筆に追い込まれたらしい。環境に恵まれなかった不運なノックス…

「ヘッドハンター」マイケル・スレイド

スレイドはカナダの弁護士三人(本作以降、共同執筆者は変わっている)による合作チームのペンネームで、1984年発表の本作でデビューした。フォーマットは警察小説だが、サイコスリラーの要素を大胆に盛り込んでおり、全編が異様なムードに包まれている。不…

ミステリと「差別的表現」

英国の出版社ハーパー・コリンズ社がアガサ・クリスティーの作品を対象に「差別的表現」を削除した改訂版を出すと報じていた。「現代の読者にとって不快と思われる表現」について出版社独自の判断で修正を加える訳だが、当然物故している作者の〝意志〟は不…

「人類の叡智」という虚妄

ロシアの独裁者プーチンが始めた侵略戦争によって、その尊い命を奪われたウクライナの子どもは、ユニセフの統計によれば487人。今後はさらに増え続ける。そして親を殺され未来を失った子どもは、相当な数となるだろう。戦死者はロシアとウクライナ両軍とも10…

私的なお知らせ〜JAZZ TIME〜

私のもうひとつの趣味であるジャズの名盤、名演を「TikTok」で紹介しています。毎日更新を目指していますので、ぜひ気軽にのぞいてみてください。※本記事下段に「雑記」を追加しました。【Jazz Time】https://www.tiktok.com/@kikyo_shimotsuki?_t=8ZQcZYato…

書評という「冒険談」

1月19日、「本の雑誌」創刊者で書評家の目黒考二氏が亡くなった。享年76歳。ミステリファンには、北上次郎の筆名の方が馴染み深いだろう。特に冒険小説の水先案内人としての貢献度は計り知れず、その魅力を熱く語り尽くした「冒険小説の時代」「冒険小説論…

「ハドリアヌスの長城」ロバート・ドレイパー

まず、北村治による文春文庫の挿画が、さまざまなイメージを喚起させる。 裂け目無く屹立する高く赤い壁。それは紛れもなく刑務所の塀だと分かる。そこに、斜陽を浴びた男の影が浮かび上がっている。背中を向け、うつむき加減に呆然と立つ男。それに比して、…

「夜の終わり」ジョン・D・マクドナルド

1960年発表作。当初、混同する筆名を用いたロス・マクドナルドとのエピソードで、名前だけが先行していた〝もう一人のマクドナルド〟。その本格的な紹介が本作から始まっている。当時の読者は、その実力に驚いたことだろう。このマクドナルドも凄いと。冒頭…

「銀塊の海」ハモンド・イネス

1948年発表作。冒険小説の王道を行くイネスらしい構成で、発端から結末まできれいにまとめ上げている。モチーフとしているのはスティーヴンソンの古典「宝島」。絶海の孤島(本作では巨大な岩礁に等しい)に眠る〝宝〟を巡る男たちの活劇を描いた代表作でも…

「スリーパーにシグナルを送れ」ロバート・リテル

未だ全貌が明らかではない歴史的事件を題材とする1986年発表作で、概ね評価は高い。曲者作家リテルならではのオフビートなスタイルによって、終盤近くまでどの方向へと流れていくのかが分からない。プロットの軸を敢えてぼかし、辿り着いた真相が最大限の衝…

「殺戮のチェスゲーム」ダン・シモンズ

他人の意識と行動を操る異能者〈マインド・ヴァンパイア〉。その起源は不明だが、古来から極少数の者が生まれながらに特殊能力を備えていた。様々な仕事に就いて表向きの顔を持つ彼らは世界中に散らばり、時代の変化に順応しつつ生きながらえていた。容姿は…

「残酷な夜」ジム・トンプスン

裏社会の〈元締め〉から殺しを請け負った〝おれ〟ビゲロウは、田舎町ピアデールを訪れた。ターゲットは、暗黒街の秘密に通じていたノミ屋ウィンロイで、被告として裁判を控えていた。やつは、口封じで殺されるを恐れ、酒に溺れる毎日を送っている。ウィンロ…

「もう年はとれない」ダニエル・フリードマン

2012年発表作。主人公は87歳の元殺人課刑事バック・シャッツ。第二次大戦の戦友が死ぬ直前に残した言葉が発端となり、敗戦間際に米国へと逃れた元ナチスが隠し持つ金塊を巡る争奪戦が展開する。孫の手を借りたバックは自らの高齢を逆手に取りながら巧みに〝…

「グリーン家殺人事件」S・S・ヴァン・ダイン

本格ミステリ黄金期にあたる1928年発表作。「僧正殺人事件」と並ぶヴァン・ダインの代表作として、日本では今も読み継がれている。しっかりとした骨格を持ち、謎解きの過程も分かりやすいため、入門書としては最適だろう。堕落した有閑階級グリーン家を舞台…

「101便 着艦せよ」オースチン・ファーガスン

1979年発表の航空サスペンスで、内容は邦題と表紙の装画通り。米国サンフランシスコから中国上海に向かっていた特別旅客機。その第3エンジンが整備不良によって大破した。同機は3発ジェットエンジンのダグラスDC-10。残り二つのエンジンで飛行は可能だった…

「獅子の怒り」ジャック・ヒギンズ

のっけからの余談、ご容赦を。またしても早川書房「ミステリマガジン」について書き記しておきたい。2022年9月号で「ヒギンズの追悼特集」をすると告知していた。少なくとも、ジョン・ル・カレ追悼(2021年7月号)並みのボリュームはあるはずだと、と古く…

「消された眼」ジョン・サンドフォード

人間は、死の間際に何を視るのか。ベトナム帰還兵マイケル・ベッカーは、アジアの地で三人の娼婦を絞殺した。最初の女は殺人者の眼を凝視しながら死んだ。直後に悪夢を見るようになったベッカーは、それを逃れるために薬物を乱用した。次からは死人の眼を潰…

「マルベリー作戦」ダニエル・シルヴァ

ノルマンディー上陸作戦を巡る英対独の諜報戦を描いたスパイ・スリラーで、1996年発表作。シルヴァはこのデビュー作で評価され、以降ベストセラー作家として大成した。題材として近い〝ケン・フォレットの傑作「針の眼」(1978)に迫る面白さ〟という評判は…

「モンマルトルのメグレ」ジョルジュ・シムノン

こってりとした重厚な味を堪能した後には、さっぱりとした軽めの味を楽しみたい。ミステリも一緒だ。ただ私の嗜好に過ぎないが、昨今流行りのコージーミステリには全く食指が動かない。日常の延長で〝ほっこり〟するよりも、非日常へといざなう最低限の刺激…

「TVショウ・ハイジャック」レイモンド・トンプスン/トリーヴ・デイリィ

地味な邦題(原題は「The Number to Call Is...」)と装幀のため長らく積ん読状態だった一冊。何気なく読み始めて驚く。冒頭から一気に引き込まれ、巻を措く能わず。濃厚且つ濃密なサスペンスが横溢する衝撃作で、完成度も高い。1979年発表の共作で唯一の翻…

「獲物は狩人を誘う」ジョナサン・ヴェイリン

シンシナティの私立探偵ハリイ・ストウナーシリーズ第2弾で1980年発表作。 町の図書館長からの依頼は、美術関連の稀覯本が切り裂かれる事案を解明してほしいというものだった。すでに20冊以上、女性の絵画のみが無惨に切り裂かれていた。ストウナーは、知人…

「『赤い風』の罠」ジョン・クロスビー

中世文学教授で元CIA局員キャシディを主人公とする1979年発表のサスペンス/スリラー。以降シリーズは第3作まで翻訳されている。長らく失職中だったキャシディは、NYの超高級アパートに住むイタリアの大公妃エルサ・カスティグリオーネに雇われた。仕事内…