海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

スパイ/冒険小説

「ドイツの小さな町」ジョン・ル・カレ

ドイツ統一を掲げた大衆運動が、西ドイツを揺り動かしていた。煽動する指導者は、博士号を持つ実業家カーフェルト。謎の多い人物だった。最終目的地となる首都ボンに向かって国内を縦断する「行進」が続く中、英国大使館では別の問題が立ち上がっていた。現…

「鋼の虎」ジャック・ヒギンズ

「山脈の向こうの空は群青色と青に染まり、太陽がゆっくり昇ってくるにつれ、万年雪の上に黄金色の輝きが拡がった。眼下の谷は暗く静まりかえっていて、聞こえるものといえば、チベットへの迷路をたどるビーヴァー機の、低く、絶え間ない唸りだけだった」静…

「銀塊の海」ハモンド・イネス

1948年発表作。冒険小説の王道を行くイネスらしい構成で、発端から結末まできれいにまとめ上げている。モチーフとしているのはスティーヴンソンの古典「宝島」。絶海の孤島(本作では巨大な岩礁に等しい)に眠る〝宝〟を巡る男たちの活劇を描いた代表作でも…

「スリーパーにシグナルを送れ」ロバート・リテル

未だ全貌が明らかではない歴史的事件を題材とする1986年発表作で、概ね評価は高い。曲者作家リテルならではのオフビートなスタイルによって、終盤近くまでどの方向へと流れていくのかが分からない。プロットの軸を敢えてぼかし、辿り着いた真相が最大限の衝…

「101便 着艦せよ」オースチン・ファーガスン

1979年発表の航空サスペンスで、内容は邦題と表紙の装画通り。米国サンフランシスコから中国上海に向かっていた特別旅客機。その第3エンジンが整備不良によって大破した。同機は3発ジェットエンジンのダグラスDC-10。残り二つのエンジンで飛行は可能だった…

「獅子の怒り」ジャック・ヒギンズ

のっけからの余談、ご容赦を。またしても早川書房「ミステリマガジン」について書き記しておきたい。2022年9月号で「ヒギンズの追悼特集」をすると告知していた。少なくとも、ジョン・ル・カレ追悼(2021年7月号)並みのボリュームはあるはずだと、と古く…

「マルベリー作戦」ダニエル・シルヴァ

ノルマンディー上陸作戦を巡る英対独の諜報戦を描いたスパイ・スリラーで、1996年発表作。シルヴァはこのデビュー作で評価され、以降ベストセラー作家として大成した。題材として近い〝ケン・フォレットの傑作「針の眼」(1978)に迫る面白さ〟という評判は…

「鼠たちの戦争」デイヴィッド・L・ロビンズ

第二次世界大戦に於けるドイツ対ソ連で最も過酷な戦場となったスターリングラード。記録によれば、1942年8月から5ヶ月間にもわたった攻防での死者は200万人。当初60万人いた住民は、戦闘終結時には1万人を下回る数しか生き残れず、まさに死の街と化した。…

ありがとう、ジャック・ヒギンズ

ジャック・ヒギンズ(本名ヘンリー・パターソン)が、2022年4月9日、英領チャネル諸島ジャージー島の自宅で死去した。92歳だった。年齢を考えれば、大往生だろう。けれども、まだまだ生きる伝説として、衰退した冒険小説界を鼓舞して欲しかった。代表作「鷲…

「ブランデンブルクの誓約」グレン・ミード

1994年上梓のデビュー作。この後にスパイ/冒険小説史上屈指の名作「雪の狼」を書き上げるのだが、本作はナチス残党の謀略に主眼を置いており、冒険的要素は薄い。けれども、目的に向かって闘う不屈の男を軸に、多彩な登場人物が入り乱れるストーリーは、翻…

「人狼を追え」ジョン・ガードナー

あとにクルーガーシリーズでスパイ小説の金字塔を打ち立てるガードナー1977年発表作。本作はいわゆる〝ナチス物〟だが、これがかなりの異色作だ。 1945年4月30日、ベルリン地下壕でヒトラーは自殺した。側近らが次々に逃亡を謀る中、或る将校に手を引かれた…

「スカーラッチ家の遺産」ロバート・ラドラム

1971年上梓の処女作。舞台俳優や劇場主から作家へと転身したラドラムは、この時すでに50代。よほど物書きへの強い憧れがあったのだろう。以降毎年のように大作を発表し続け、その大半がベストセラーとなるという稀に見る成功を収めた。特に「暗殺者」(1980…

「ベルリン・レクイエム」フィリップ・カー

私立探偵ベルンハルト・グンターシリーズ第3弾で1991年発表作。デビュー作でハードボイルド、次作では警察小説、そして所謂〝ベルリン・ノワール〟の掉尾を飾る本作ではスパイ小説へのアプローチを試み、何れも高い評価を得た。 同一の主人公で一作ごとにコ…

「クレムリンの密書」ノエル・ベーン

出版当初は本に封を施し返金保証付きで売り出したという。ベーンは批評家らから高い評価を得ており、翻訳者も後書きで絶賛しているのだが、私は全く面白くなかった。中盤から興味を失い、嫌々読み終えたほどだ。「シャドウボクサー」(1969)でも感じたこと…

「海底の剣」ダンカン・カイル

1973年発表作。ソ連がカナダ沿岸の海底に配備した核ミサイルを固定する鎖が腐食し、暴発する可能性が浮上した。折しも同国では国際的な平和会議を予定しており、最悪の場合は戦争へと突入しかねない。ソ連政府は極秘裏にミサイル撤去の計画に着手するが、そ…

「死にゆく者への祈り」ジャック・ヒギンズ【名作探訪】

1973年上梓、ヒギンズの魅力を凝縮した畢生の名作。冒険小説史に燦然と輝く「鷲は舞い降りた」(1975)のような重厚な大作ではないが、ロマンとしての味わいでは突出しており、恐らく大半のファンはベストに推すだろう。1981年に「ミステリマガジン」が行っ…

「戦闘マシーン ソロ」ロバート・メイスン

1989年発表作。装丁や粗筋からは、人型ロボットが暴れ回る〝SF軍事スリラー〟という印象を受ける。たいして期待せずに読み始めたのだが、本作は近未来の戦争をシミュレートした無機質な戦闘物ではなく、冒険のロマンを絡めた実に読み応えのある力作だった…

「ブラック・プリンス」デイヴィッド・マレル

1984年発表作。マレルといえば、映画「ランボー」の原作者として著名だが、その実力を遺憾なく発揮しているのは、本作から「石の結社」「夜と霧の盟約」と続く三部作となるだろう。短いショットを繋げていくスタイルは、スリラー作家の中でも飛び抜けてスピ…

「雷鳴」ジェイムズ・グレイディ

1994年発表作。スパイ映画の秀作「コンドル」の原作者グレイディが〝お家芸〟となるCIA内幕を題材としたスリラー。 主人公はCIA局員ジョン・ラング。ある朝、同局員で友人のマシューズが流れ弾を浴びて死んだ。公には事故として処理されたが、明らかに…

「消えた錬金術師」スコット・マリアーニ

ベン・ホープシリーズ第1弾で 2007年発表作。いかにも英国人好みの高潔で高貴な男を主人公に据え、歴史ロマンを絡めたアドベンチャーを展開する。ホープは本作の時点で37歳。元英国陸軍特殊空挺部隊(SAS)の隊員で、現在はフリーランス。主に誘拐された…

「航空救難隊」ジョン・ボール

1966年発表の航空冒険小説の名作。シンプルなストーリーだが、その分密度が濃く、空に生きる男たちの熱い血潮が全編にわたり滾る。カリブ海の孤島トレス・サントスに、かつてない規模のハリケーンが接近していた。ここを拠点とする民間航空会社のスタッフは…

「ウバールの悪魔」ジェームズ・ロリンズ

古代ロマンを軸に事実と虚構を織り交ぜたエンターテインメント「シグマ・フォースシリーズ」〝第0弾〟で2004年発表作。次作から主役を張るグレイ・ピアースはまだ登場せず、この後シグマ司令官となるペインター・クロウが現役隊員として活躍する。ただ、ロ…

「裏切りのキロス」ジャック・ヒギンズ

先日綴った通り、本格物のみならず、ハードボイルドやスパイ/冒険小説の名作を再読し、レビューするつもりでいるのだが、如何せん未読の山を眼にすると、つい先に手を伸ばしてしまう。特にヒギンズの場合、初期には読み残しが多い。いつ「鷲は舞い降りた」…

「最後の暗殺」デニス・キルコモンズ

謀略の狭間で死闘を繰り広げるプロ対プロ。一方は引退間近のフリーランスの殺し屋、もう一方は引退同然だったMI6諜報員。どちらが先手を取り、より有効なダメージを与えるか。二人に共通するのは、些か錆び付いているとはいえ、時に鋭い光を放ち敵の眼を…

「10億ドルの頭脳」レン・デイトン

相変わらずの迷宮世界で独自のスパイ小説を構築するデイトン1966年発表作。共産圏壊滅を狙う極右組織。その実態は現実性に乏しい策略を捏ねくり回す素人集団に過ぎなかった。この滑稽な妄想家らの企みの穴に付け込み、フリーランスの工作員が暗躍、某国への…

「魔の帆走」サム・ルウェリン

「海のディック・フランシス」の謳い文句が付いた1987年発表の海洋冒険小説。舞台は、イギリス沿岸部でヨットスポーツの拠点として開発が進む街。主人公は、ヨット設計技師チャーリー・アガッター。間もなく大西洋上でビッグレースが開催される予定だったが…

「最後に死すべき男」マイケル・ドブズ

ナチス・ドイツ終焉を一人の男の冒険を通して鮮やかに刻印する傑作。幕開けは現代。自らの死期が迫っていることを悟った英国外務省の元官僚キャゾレットは、今まで避けていたベルリンを初めて訪れた。彼は観光の途中、ふらりと立ち寄った骨董品店で思い掛け…

「最後に笑った男」ブライアン・フリーマントル

ジョナサン・エヴァンズ名義による1980年発表作。スパイ小説界の旗手として既に名を馳せていたフリーマントルは、当初〝別人〟に成り済ましていた。より作風の幅を拡げたいという思いと、溢れ出てくるアイデアをひとつでも多く書くために、敢えて複数の筆名…

「獅子とともに横たわれ」ケン・フォレット

稀代のストーリーテラー、フォレット1985年発表作。舞台は1982年のアフガニスタン。3年前に軍事侵攻したソ連とイスラム原理主義を掲げるゲリラの戦いは膠着状態にあった。米国は対共産主義の戦略的要衝としてアフガンを重視。ソ連に対抗するためには、散発…

「バビロン脱出」ネルソン・デミル

デミル(本作邦訳時の表記はドミル)が名を上げた1978年発表作。この後、トマス・ブロックと共作した航空サスペンス「超音速漂流」(1982)、ベトナム戦争を主題とする重厚な軍事法廷小説「誓約」(1985)、斬新な設定と成熟した筆致に唸る至極のミステリ「…