海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

ハードボイルド/ノワール

「死の統計」トマス・チャスティン

1977年発表作。重厚な警察小説/カウフマン警視シリーズの脇役として、いい味を出していた私立探偵J・T・スパナ―が堂々と主役を張る。6月、夜のマンハッタン。奇妙な事件はクイーンズボロー橋の上で始まった。愛車に乗るスパナ―を猛スピードで追い抜いた…

「気狂いピエロ」ライオネル・ホワイト

フランス映画/ヌーヴェルヴァーグ「気狂いピエロ」(ゴダール監督/1965年公開)の原作で1962年発表作。原題は「Obsession」で妄執/強迫観念を意味する。ホワイトは本作を含めて僅か3作しか翻訳されておらず、他の2作は入手困難なため、作風などの全体像…

「夜の終わり」ジョン・D・マクドナルド

1960年発表作。当初、混同する筆名を用いたロス・マクドナルドとのエピソードで、名前だけが先行していた〝もう一人のマクドナルド〟。その本格的な紹介が本作から始まっている。当時の読者は、その実力に驚いたことだろう。このマクドナルドも凄いと。冒頭…

「残酷な夜」ジム・トンプスン

裏社会の〈元締め〉から殺しを請け負った〝おれ〟ビゲロウは、田舎町ピアデールを訪れた。ターゲットは、暗黒街の秘密に通じていたノミ屋ウィンロイで、被告として裁判を控えていた。やつは、口封じで殺されるを恐れ、酒に溺れる毎日を送っている。ウィンロ…

「もう年はとれない」ダニエル・フリードマン

2012年発表作。主人公は87歳の元殺人課刑事バック・シャッツ。第二次大戦の戦友が死ぬ直前に残した言葉が発端となり、敗戦間際に米国へと逃れた元ナチスが隠し持つ金塊を巡る争奪戦が展開する。孫の手を借りたバックは自らの高齢を逆手に取りながら巧みに〝…

「獲物は狩人を誘う」ジョナサン・ヴェイリン

シンシナティの私立探偵ハリイ・ストウナーシリーズ第2弾で1980年発表作。 町の図書館長からの依頼は、美術関連の稀覯本が切り裂かれる事案を解明してほしいというものだった。すでに20冊以上、女性の絵画のみが無惨に切り裂かれていた。ストウナーは、知人…

「ハンターにまかせろ」エリック・ソーター

1983年発表作で、これも積読の山から発掘。安っぽい装丁やB級のタイトルとは裏腹に、骨のあるハードボイルドに仕上がっている。主人公は元ジャーナリストで現作家のハンター。或る日、歳の離れた友人ビリー・ライが謎めいた言葉を残して消える。やさぐれた…

「ダ・フォース」ドン・ウィンズロウ

現在も深刻な麻薬問題を抱える米国の実態を凄まじい暴力の中に描いた一大叙事詩「犬の力」(2005)/「ザ・カルテル」(2015)/「ザ・ボーダー」(2019)。作家人生の集大成ともいうべき、この渾身の三部作によって、ウィンズロウは紛れもなく頂点に達した…

「ここにて死す」マーク・サドラー

1971年発表作で、世界的な潮流でもあった学生運動を題材としている。黒人過激派、前衛劇団など、大学を根拠とする反体制グループの若者たちを描いているのだが、かなり観念的な論争を繰り広げていく。本筋は極めてシンプルで、全体的なトーンは良いのだが、…

「Q E2を盗め」ヴィクター・カニング

積ん読の山を崩して〝発掘〟。なぜ、早く読まなかったのかと後悔するほどの出来だ。硬質な筆致と手堅い人物造形。己の主義を貫く犯罪者たちの硬派なスタイルも良い。1969年発表、翻訳数が少ないカニングの実力に触れることができる犯罪小説の秀作。主人公は…

「ジレンマ」チェット・ウィリアムソン

1988年発表作。主人公は中年に差し掛かった男、ロバート・マッケイン。職業は個人営業の私立調査員。ハードボイルド・ヒーローへの憧れはあったが、現実は錯綜する謎の解明や拳銃をぶっ放すような暴力沙汰とは無縁であり、仕事は浮気調査で殆ど埋まっていた…

「青いジャングル」ロス・マクドナルド

処女作と第二作でスパイ・スリラーを書いたロス・マクドナルドは、1947年に発表した第三作で、いよいよハードボイルド小説に挑んだ。翻訳者は独特の文体を用いる田中小実昌で、言い回しは古いが粋の良い仕上がりで楽しめる。 軍隊生活を終えたジョン・ウェザ…

「死体が転がりこんできた」ブレット・ハリデイ

1942年発表のマイアミの私立探偵マイケル・シェーン第6弾。同年にチャンドラーが「大いなる眠り」を上梓、ハードボイルド小説隆盛期に当たる。戦時下ということもあり、暗躍するナチスのスパイを絡め、この派にしては珍しくプロットに凝り、捻りを利かせて…

「暗闇にひと突き」ローレンス・ブロック

マシュウ・スカダーシリーズ、1981年発表の第四弾。まだ無免許探偵が酒を呑んでいた頃の話で、男はこの後「八百万の死にざま」で大きな転機を迎えることとなる。 9年前に起こった女性連続殺人。既に犯人は投獄されていたが、ただひとつ犯行を否定した事件が…

「マンハンター」ジョー・ゴアズ

舞台はサンフランシスコ。或るアパートの一室で、たった今素手で殺した南米人の死体を見つめる大柄な男。傍には17万5千ドルとヘロイン1キロ。それを無造作にアタッシュケースへ詰め込む。男の名はドッカー。買い手側の代行者だった。間もなくして麻薬の鑑定…

「老人と犬」ジャック・ケッチャム

ホラー小説界の異端児ケッチャムは、稀代の問題作「隣の家の少女」(1989)で精神的加虐性を極限まで抉り出し、読み手の度肝を抜いた異能の作家だ。1995年発表の本作は、そのイメージを引き摺ると肩透かしを食らう。結論から述べれば、実に余韻の深いノワー…

「クラム・ポンドの殺人」ダグラス・カイカー

1986年発表作。翻訳ミステリ華やかなりし1991年に〝ひっそり〟と翻訳され、全く話題になることもなく埋もれてしまった作品だが、私は夢中になって読んだ。有力者であった老婦人の死をきっかけに、崩壊していく小さな田舎町。惨事は思わぬ方向へと波紋を拡げ…

「用心棒」デイヴィッド・ゴードン

新鋭ゴードン、2018年発表作。やや自分の色を出し過ぎて無骨さも目立った前作「ミステリガール」に比べて、構成が引き締まり、全体的にシャープになった印象。変化球を投げ込むオフビートな手法も熟れてきている。テンポ良く勢いのままに読ませる好編に仕上…

「拾った女」チャールズ・ウィルフォード

思い掛けなく翻訳された1954年発表作。各誌の年間ベストにも選出され、概ね好評を得ていた。ウィルフォードは、80年代に始まったマイアミ・ポリス/部長刑事ホウク・モウズリーシリーズで著名なのだか、どちらかといえば玄人好みのマイナーな存在という印象…

「手負いの森」G・M・フォード

1995年発表、シアトルを舞台とするハードボイルドの力作。過激な環境保護団体にのめり込んだ孫娘を連れ戻してほしい。依頼人は裏社会のボスだった。私立探偵レオ・ウォーターマンは、早速怪しげな団体の周囲を探り始める。やがて嗅いだのはインディアン保留…

「木曜日の子供」テリー・ホワイト

心の片隅にいつまでも残る余韻。あの後、登場人物たちはどんな人生を送ったのだろうと、日常の中でふと思いを馳せる物語。デビュー作「真夜中の相棒」(1982)は、そういった読後感を与えた数少ない作品だった。女性作家テリー・ホワイト(Teri White)が、…

「鉄道探偵ハッチ」ロバート・キャンベル

土砂降りの雨の中、暗い山の尾根を走る列車。シカゴ発、サンフランシスコ/オークランド行き「ゼファー号」に、ジェイク・ハッチは乗っていた。職業は、様々な犯罪やトラブルの解決に当たる鉄道探偵。今夜もひと仕事終えて、馴染みの女の家へ向かう途中だっ…

「倒錯の舞踏」ローレンス・ブロック

1991年発表、マット・スカダーシリーズ第9弾。「八百万の死にざま」(1982)で80年代ハードボイルドの頂点を極め、中堅作家だったブロックは一躍大家として大輪の花を咲かせた。だが、以降スカダーの物語は急速に色褪せていく。あくまでも自論だが、枯れた…

「エースのダイアモンド」マーク・ショア

私立探偵レッド・ダイアモンドを〝主人公〟とする第2弾で1984年発表作。デビュー作「俺はレッド・ダイアモンド」(1983)は、趣向を凝らした設定とノスタルジックなムード全開でハードボイルド・ファンの喝采を浴びた。シリーズのコンセプトは明確で、1930…

「死ぬほどいい女」ジム・トンプスン

皮肉にも死後になって評価が高まり、米国ノワール界の代名詞的存在となったトンプスン。異端であり前衛でもあった不世出の作家は、半世紀以上を経て今も〝発掘〟の途上にあるのだが、この異才を受け容れる環境がようやく整ったということか。だが、書評家ら…

「緊急深夜版」ウィリアム・P・マッギヴァーン

経験上、新聞記者を主人公とするミステリは秀作が多い。加えて、作者自身が経験豊かな元ジャーナリストであれば、まずハズレはない。マッギヴァーンも、その一人。悪徳警官物の先駆「殺人のためのバッジ」(1951)や、レイシズムに切り込んだ名篇「明日に賭け…

「殺戮の天使」ジャン=パトリック・マンシェット

持論だが、ストレートに悪と対峙して正義を成すことに比重を置くのが「ハードボイルド」、逆に悪の側面から正義のあり方を問い直す小説を「ノワール(暗黒小説)」と定義している。要は、主人公(=作者)の立ち位置がどちら側にあるか、で決まる。必然的に…

「三つの道」ロス・マクドナルド

私立探偵リュウ・アーチャーの創造によって、ハードボイルドの新たな地平を切り拓く前夜、1948年に本名ケネス・ミラーで発表した最後の作品。以前に書いたレビューの繰り返しとなるが、初期4作については、創作への迷いさえ感じとれる素描のようなものだ。…

「ニューヨーク1954」デイヴィッド・C・テイラー

読み終えて溜め息をつく。満足感ではなく、脱力によって。1954年、マッカーシズム吹き荒れるアメリカ。ニューヨーク市警の刑事マイケル・キャシディは、ダンサーのイングラム惨殺事件を担当する。男は拷問を受け、自宅は荒らされていた。間もなくFBI局員…

「切り札の男」ジェイムズ・ハドリー・チェイス

米国産ハードボイルドなど生ぬるいと言わんばかりに冷酷非道の犯罪の顛末を描いた処女作「ミス・ブランディッシの蘭」(1939)。無名の英国人作家の衝撃的な登場に、世界中のミステリファンは度肝を抜かれた。私利私欲に塗れた悪党が入り乱れる突き抜けた構成…