冒頭で引用されたアフォリズムが、本作の全てを表している。
「怪物と闘おうとするものは、自身が怪物にならないように用心すべきである。奈落の底を覗くものは、奈落の底から覗かれるのである」フリードリヒ・ニーチェ
「地獄の道に敷きつめられているのは悪意ではなく、善意である」バーナード・ショウ
まさに至言であり、人間が平凡な日常から転落して地獄へと至る道標には、必ずしも無意識ともいえぬ卑しい動機が刻み付けられており、道を誤ったと気付いた時にはもう遅く、ひたすらに闇の中を彷徨うしかないのである。
「マイアミ・ジャーナル」の新聞記者マット・カワートは、無実を訴える死刑囚の黒人ファーガソンの要望を聞き入れて、3年前に起こった白人の少女殺しの事件を調べ直す。ファーガソンが訴えた通り証拠不充分で、さらには黒人に対する人種差別も絡んだ警察の暴力的な自白強要も明らかとなった。カワートは疑惑の事件として大々的に報道し裁判はやり直しとなる。遂にファーガソンは無実となり釈放され、カワートは名声を得る。善意に根差した己の仕事に満足するカワートだったが、ファーガソンが少女殺しの「真犯人」として名指しした大量殺人者サリバンの死刑執行直前の衝撃的告白によって、一気に地獄の底へと叩き落される。
ストーリーは異様なまでの迫力に満ちており、カッツエンバックという作家の底知れぬ才能と筆力に圧倒される。ジャーナリズムの限界を悟り為すすべもなく振り回される新聞記者、踏み躙られる「正義」を前に苦闘する警察官、悪魔的な狡猾さで罪と罰を嘲笑う殺人者たち。人間の業がもたらす悲劇を精緻且つ生々しく描き切る傑作。
評価 ★★★★★