海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「その女アレックス」ピエール・ルメートル

暗黒小説の真髄を見せ付ける大傑作。席巻する北欧ミステリは確かに優秀な作品は多いのだが、フランス・ノワールの伝統を継ぎつつ極めて現代的なアプローチを試みた本作を前にしては翳んでしまう。骨格は極限的な状況におかれた一人の女の謎を解き明かす警察小説なのだが、中盤以降は血塗られた凄まじい情念が物語の様相を変え、凡百のミステリを一気に陵駕する。

登場する人物たちが鮮やかな印象を残すのは、作者自身の深い人生経験に裏打ちされているからこそであり、特にパリ警視庁犯罪捜査部の刑事カミーユをはじめとするアルマン、ルイという3人組の関係を物語る慈愛に満ちたエピソードの数々は、本筋とは離れたところで爽やかな感動をもたらす。真に優れた小説は、須く枝葉の部分が生きている。

カミーユが登場する他の作品がどのような色合いなのかは今後の翻訳を待つしかないが、本作をノワールと称する理由は、表題でもある「アレックス」という名の女が持つ悲劇性と暴力性、さらには重苦しい退廃感が強烈なパッションを伴い全編を支配しているからであり、壮絶なる復讐の完遂と同時に滅んでいく末路は、まるで殉教者の如き神聖さを漂わせ、その罪と罰を巡る結末までの怒濤の展開は異様なまでの迫力で読み手を圧倒し、カタルシスへと導く。

ミステリならではの技巧を凝らした三部構成と終幕へと繋がる伏線の配置も見事で、より現代的な病理による様々な狂気の只中で翻弄されていく人間の姿を、その地獄巡りの果てまで容赦無く描き切っている。

本作は、翻訳ミステリ(しかもフランス産)としては、近年最大のベストセラーとなった。各誌アンケートで高い評価を得たことの他に、ミステリアスな装幀や出版社の宣伝戦略も効を奏したのだろう。これを契機に海外ミステリ市場の復権が果たされることを願う。
評価 ★★★★★☆☆

 

その女アレックス (文春文庫)

その女アレックス (文春文庫)