海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「悲しみのイレーヌ」ピエール・ルメートル

やはりルメートルは只者ではない。カミーユ・ヴェルーヴェン警部を主人公とする2006年発表の第1作。近年稀な大ベストセラーとなった傑作「その女アレックス」でも触れられているカミーユの妻イレーヌの残酷で悲劇的な顛末が明らかとなるのだが、出版事情があるとはいえ主人公の人生を変えた出来事を語る本作を飛ばして第2作を先に読まされてしまった日本の読者は不幸である。とはいえ、本作も通常のミステリでは味わえない凄まじい読書体験が出来る逸品であることに間違いないのだが。

構成自体に大胆な仕掛けが施されており、全体の大半を占める第一部を読み終えて短い第二部に突入すると同時に、いわゆる「どんでん返し」をくらうのだが、そこで終わらないのがルメートルの凄いところで、それまでのサイコパスを追う単なる警察小説から暗鬱なるノワールへと一気に様相を変えていく。何気に読んでいると「痛い目に合う」のである。ジェイムズ・エルロイブラック・ダリア」、ウィリアム・マッキルヴァニー「夜を深く葬れ」などのミステリで綴られた殺人現場を忠実に再現する、まさに倒錯の極みである連続殺人鬼の設定はユニークで、それらの本を手掛かりに犯人に迫る展開は、やがて常人の域を超える屈折した結末へと繋がっていく。

「アレックス」でも顕著だったヴェルーヴェン班の刑事群像も魅力のひとつで、カミーユの下に集結する部下のルイ、アルマン、そして上司のル・グエンと癖のある登場人物らが織りなす人間模様も楽しい。最も、どこまでが「事実」或いは「創作」かは、読了後に何とも言えない「しこり」を残すことになるのだが……。

フランス・ミステリの醍醐味を堪能できるルメートル、次作翻訳はまだか。

評価 ★★★★★

 

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)