海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「隣の家の少女」ジャック・ケッチャム

これまで少なからずの小説を読んできたが、この作品以上に嫌悪感を覚えたフィクションはなかった。とはいえ、著者の筆力は大したもので、非道の行為を延々と単純に描いただけのストーリーを最後まで読ませる力量は認めざるを得ない。が、同時に相当の忍耐を強いる。主人公を敢えて「非力」な少年に設定し、眼前で繰り広げられる狂気のさまを、傍観者という極めて卑しい立場に置いたまま延々と見せ続けるのだが、それは読者自身を卑劣な側に「同化」させ、共犯関係へと陥らせることとなる。導入部で苦痛の度合いについての意味有り気な語りがあるのだが、それが読者に対する問い掛けであったことに中途で気付く。つまりは、拷問にも匹敵する精神的な苦痛にどれだけ耐えられるか、妙な表現だがマゾヒズムのキャパシティを「本作を読む」ことによって試しているのである。どんなホラー小説でも、救いの兆しや、束の間の休息を含めるものだが、ケッチャムは甘え無用とばかりに読者の期待を裏切り続ける。

中盤から過激さを増す醜悪なサディズムは、一切の救済を退ける。終盤に至ってようやく訪れる主人公の柔な改悛でさえ、もはや手遅れという罪悪感を助長するものでしかなく、無垢な少女を狂人がひたすらに蹂躙するという最悪なプロットは、肥大した不快感を残して暴力的に閉じられる。
例によって、スティーヴン・キングが絶賛しているのだが、恐怖の中でこそ輝きを放つ人間の尊厳や情愛を描いた物語(逆に言えば、それこそ大半の読者が望む)しか書けないキングにとって、ある意味別次元の書き手であるケッチャムの存在は驚異なのだろう。だが、人間の生理的な厭忌のみを刺激する本作品は「問題作」ではあっても、「娯楽作」ではない。また、常人には推薦しない方が無難だろう。後で恨まれることは間違いないであろうから。

評価 ★☆

 

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)