海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「透明人間の告白」H・F・セイント

1987年発表作。翻訳された当時は大いに話題となり、2005年には「本の雑誌が選ぶ30年間のベスト30」第1位に選ばれている。今も「名作」として読み継がれているのだが、数多の熟練批評家/作家/読者らの絶賛コメントに、私が共感できることは多くない。着想はともかく、物語の展開が実に単調と感じたからだ。

本作を要約すれば、「ニューヨークで透明人間として暮らすことがいかに大変か」という一文で事足りる。主人公ニック・ハロウェイは、予期せぬ科学研究所の事故によって透明人間となり、国家の「秘密情報機関」から追われる身に。〝見えない人間〟故に、逃走は容易と考えるところだが、その存在を知る者らには、逆に探知しやすい痕跡を残すことが分かる。しかも、他人に見えない身体は、人や車が行き交う大都会の街中では生命の危険に直結し、さらに突然の〝失踪〟は社会との関わりを失うばかりではなく、群衆の中での孤独を浮き立たせた。この逆転した見方によって、透明人間の生き辛さを痛感させる挿話はアイロニーに満ちており、着眼として優れている。
だが、透明化した体内で食べ物の消化過程が見えてしまうなど、諸々のエピソードはユニークだが、長いストーリーの中で同じような描写を繰り返すのは余分。そもそも、透明となった眼球で物を視ることが可能なのか、という大前提が解決されていないため、細部でこだわるリアリティーに違和感しか残らない。
ハロウェイは極めて常識人で、「逃げ隠れる」毎日を送る一方で、常人に迷惑を掛けない生活を続けていくことを試みる。俗人であれば思い付く〝悪業〟に染まることなく、元エリート証券マンとしての知恵を活かし、出来る限り真っ当な手段で日々の糧を稼ぐ。つまり、この男は透明人間となる前と変わらぬ人生を送ることを望むのである。追跡を振り切りたければ、ニューヨークから離れればいい話だが、追跡者の予想通り住み慣れた街にこだわり続ける。この生き方がどうも焦れったく、終盤に至ってようやく追っ手への反撃の構えをみせはするのだが、結果的に大きく変転させることもなく、自らの境遇を受け入れていく。
要は、さらなる冒険へと結び付くこともなく、透明人間の不可思議な日常を綴ることに終始したまま、「告白」は閉じられていくのである。荒唐無稽では興醒めだが、〝等身大の透明人間〟にもさっぱり魅力を感じない。

評価 ★★★

 

透明人間の告白 上 (河出文庫)

透明人間の告白 上 (河出文庫)

 

 

 

透明人間の告白 下 (河出文庫)

透明人間の告白 下 (河出文庫)