海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「優雅な死に場所」レン・デイトン

登場する人物全てが正体を隠し、偽りの言葉で煙に巻く。それは主人公の英国秘密情報部員も然り。名無しの「わたし」は、急場を凌ぎ、僅かな情報の欠片を集めることに留意する。時と場を変えて繰り返される曖昧模糊とした駆け引き。真意が見えず、その言動がどのような目的で、どういう結果をもたらすのか、読み手に対しても明確に判断できる材料を与えない。関係者と接触を図り、相手の足元を照射し、手掛かりを探し求める。濃い靄の中から立ち現れるのは、国家存亡の危機に繋がる敵国の陰謀か、或いは卑しく利己的な策士らの悪業か。

1967年発表となる本作の舞台は、冷戦下のパリ。英国秘密情報部「わたし」の差し当たっての任務は、著名な精神分析学者だという男ダットに「核実験の降下灰の記録」を渡すことだった。だが、指令の目的は定かではなく、対応措置も不明だった。「わたし」は、既に築いていた人脈を利用して、怪しげな診療所を経営し、得体の知れない男女との交流を深めるダットに近付く。やがて、背後に浮かび上がるソ連、中国工作員らの陰。打つべき、次の一手は何か。「わたし」は、更なる迷宮への入り口に向かう。

かつて来日したデイトンは
「わたしの著書は断片のよせあつめとして書かれ、最後にきて、読者は、知識や問題をあたえられるのではなく、一つのムードないしは雰囲気とともにのこされるように配慮されています」
と、メッセージを残している。
つまり、自覚的に難解な代物を創作している訳だ。盤上の駒/歩兵の動きのみに焦点を当て、対局者の姿を一切見せずにゲームの流れを追わせる手法とでもいえばいいだろうか。全体像は明らかとはならないが、読者なりに幾通りにも解釈できる余地を残す、実に厄介なスパイ小説を成立させているのである。

比較対象となる代表格ジョン・ル・カレが「蔭」、デイトンを「陽」とする評が定着しているが、文体や構成のスタイルは当たっていても、諜報戦を「ゲーム」として捉え、得てして不明瞭な終局を迎えるデイトンの方が退廃的/虚無的な読後感が強い。
終盤では、登場人物らに共産主義と資本主義のイデオロギーについて論議させているが、カオス的情況の中から現れてくるものとは、またしても未解決のままとなったアイロニカルな「情報の断片」のみなのである。

評価 ★★★