海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「警部、ナチ・キャンプへ行く」クリフォード・アーヴィング

米国の大富豪ハワード・ヒューズの自伝捏造によって世間を騒がせた異端の作家アーヴィング1984年発表作。その経歴とは裏腹に、本作はナチス強制収容所を舞台に、戦時下での「正義のあり方」を問い直す、実直で揺るぎない信念を感じさせる力作である。

原題は「ジンの天使」。ジンとは、ドイツ占領下のポーランド内にある架空の町を指し、ナチスは1日に2千人近くをガス室送りにする強制収容所を置いていた。極めて「機能化」された地獄のシステムに組み込まれ、同胞抹殺の「補助役」となり、目前の死を辛うじて回避していたユダヤ人たち。その集団の中で不審死が相次ぐ。傍には不可解なメモが残され、正体不明の殺人者は「死の天使」と呼ばれた。無秩序が加速し捕虜のコントロールが利かなくなることを恐れた所長は、事態収拾のため、犯人の炙り出しに着手。ベルリン刑事警察から派遣されたのは、道理無き戦争を忌避し、未だナチスの非人道的犯罪の実態を知らぬパウル・バッハ警部だった。

ホロコーストによって屍の山が築かれるすぐ隣りで、連続殺人を捜査するという暗鬱なるアイロニーと堕落した人倫を補完するニヒリズム。囚われの身でありながらもユダヤ教の特殊な戒律を守ろうとする人々。自国の蛮行に対して反発しながらも反逆者の烙印を恐れて命令に従うバッハだったが、真摯に捕虜らと向き合い、捜査を続けていく中で、ナチスの異様で異常な精神崩壊/国家の末路を直視する。
やがてドイツ国内のゲットーで反乱が起こり、人員整理のため、ジン強制収容所の閉鎖が決定される。だが同時期にジンの捕虜らは、武器と金を調達した上で武装隆起の計画を進めていた。バッハは地道な捜査によって「死の天使」の名を突き止めるが、事態はすでに後戻りできないまでに狂い始めていた。

終局での凄まじい高揚と破滅。ドイツ人としてではなく、一人の人間として「正義」を全うしようとしたパウルの非業。戦争下に於ける非人道/残虐性の末期を重苦しい虚無感とともに描き切ったクライマックスは、本作が優れた戦争小説でもあることに気付かせる。
ユダヤ強制収容所での反乱は、実際に300人が脱走に成功した(直後にその殆どが命を落としている)というソビボルをはじめ、幾つか例がある。アーヴィングは事実と虚構を巧みに織り交ぜながら、余韻の残る劇的な物語に仕上げている。

評価 ★★★★