海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ

まず極論的な自論を述べれば、ミステリという薄いコーティングを施した糞長く退屈な「教養小説」であり、キリストの教義やあらゆる差別/横暴が罷り通ったヨーロッパ中世史に興味が無ければ、全く面白みのない作品である。

物語は、中世イタリアの修道院を舞台に「ヨハネの黙示録」の予言通りに起こる連続殺人事件の発端から解決までを〝仮〟の主軸とするが、探偵役の修道士ウィリアムが冴え渡る推理を披露するのはごく僅かだ。しかも殆ど後手に回り、死体の数だけが増えていく。〝本格物〟の定式通りと言えばそれまでなのだが、「フォーマットは古典的なホームズ/ワトソンの探偵コンビ」という謳い文句を信じ、謎解きのスリルが堪能できると軽く考えていれば痛い目に合う。そのモチーフが純粋に味わえるのは、物語の出だしとなる本筋に全く関係のないエピソードのみで、以降はひたすらに〝待機状態〟となる。
一般読者にも受け入れやすくするためにミステリの要素を取り入れたというのが執筆時の構想なのだろうが、謎解きのパートは本作に於いて骨休めでしかなく、その圧倒的な分量を占めるのは中世キリスト教碩学エーコによる膨大な講釈である。

果たして何を本筋/テーマとしたのかも曖昧なのだが、大半がキリスト諸会派による清貧論争、異端審問を巡る暗黒史の薀蓄と注釈で、それらを構成が破綻する限界まで捩り込んでいる。小説としての形式上、雑多な登場人物らの台詞や語り手の独白として、多少は読みやすくはしているものの、如何せん整理し切れておらず、〝無教養な読者〟は置き去りにしたまま、幾層にも渡るペダントリーで塗り固めている。

俗世とは壁を隔てながらも、より一層俗物化した聖職者らの狂宴と醜態。物欲や性欲を禁じたとする「教義」を都合の良いように解釈し、意見を戦わせる排他主義者らの傲慢。本作は、時の権力者と結託し、貧富と差別をさらに拡大させ、魔女狩りなどの馬鹿げた妄想を生み出す根源的な要因が、権力を手中にした慈愛とは無縁の者どもにあることを再認識させる。だが、物語の中で延々と繰り返される議論は、不毛で空虚、実像は不明の「救世主」を巡る茶番としてしか感じられなかった。
深読みをすれば、聖職者らの閉じた世界を徹底して茶化しているとも受け取れるのだが、無神論者がどう批判しようが的外れにしかならないだろう。

退廃的な終幕に至ってようやく「ロマン」としての体裁を整えてはいるが、残念ながら、本作を切っ掛けに知的探求の旅に出ようという思いには至らなかった。本作は「メタ小説」としての構造も持つらしいが、所詮はあれやこれやと捏ねくり回して読者を煙に巻くだけの小手先の技巧であり、結果的に物語自体の強度を弱めていると感じた。

 1980年発表以降、世界中でベストセラーを記録し、日本でもいまだに売れ続けているのだが、果たして何割の読者が上巻で挫折せずに読み終えただろうか。普段小説を読まない者が安易に手を出せば、序盤で即効躓くだろうし、何があっても読了するという覚悟がいる厄介な代物だ。
本作について「大絶賛できるほどの教養を持つ識者」の評を幾ら読んでも、何一つ共感出来なかった私は、言うまでもなく読み手として〝不的確〟だったことは間違いがない。しかし、「難解」という大方の評価は当然としても、内容は理解できないが多分「高尚」なのだろう、という哲学/思想書の類と同じ勘違いに陥っている向きには脱力する。いわば、本作は「学者が書いた小説」に過ぎず、数多のランキングで首位となる〝格付け〟が妥当だと納得することなど到底できない。たたでさえ読まれなくなった海外ミステリを根絶させようという魂胆でもあるのだろうか、と勘ぐりたくなるほどである。
解説を主とする関連書が多く出版されているが、或る種の研究/考察の対象となり、全体を読み解くために必須となる時点で、娯楽性が低いことを証明している。

最後に、飜訳の出来が悪いという批判もあるようだが、この凄まじい衒学の塊ともいうべき難物に挑み、ある程度読者の便宜を図ろうと苦慮した翻訳者の熱意にだけは頭が下がる。

評価 ★★

 

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

 

 

 

薔薇の名前〈下〉

薔薇の名前〈下〉