海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「弁護士の血」スティーヴ・キャヴァナー

全編にみなぎる熱量が凄い。一時期ミステリ界を席捲したリーガル・サスペンスの一種だろうというバイアスは、幕開けから覆される。本作は、臨界点まで追い詰められた男の闘いを、圧倒的な筆力で活写した血が滾る傑作である。

舞台はニューヨーク。弁護士エディー・フリンは、朝食に立ち寄った店のトイレ内で、前触れなく背中に銃を突き付けられた。瞬時に体が反応する。背後に立つ男の脅し文句と所作から、即座に相手の素性と特徴を推察。銃の男が右利きであることを見取り、左側の隙から反撃する手順を脳内で辿る。一介の弁護士としては並外れた挙動。だが、もう過去の自分ではないと自戒し、冷徹に情況を見極める。僅か冒頭1ページ。主人公の現在と過去を明快に伝える見事な描写だ。
店から連れ出された弁護士は、小型爆弾を装着され、超高級車に放り込まれる。車内で待っていたのは、悪名高いロシアン・マフィアのボス、ヴォルチェックと手下だった。フリンの幼い娘を人質に取ったと告げ、その日から始まる裁判の弁護を強制する。用心棒が、鞄の中から黒い塊を取り出す。それは、ヴォルチェックの弁護士で、フリンの元相棒の首だった。
己の誤算/判断ミスによって惨たらしい結末に至った或る事件を切っ掛けに、仕事から離れ、酒に溺れ、妻にも愛想を尽かされ、やさぐれていった男。だが、一秒たりとも悔恨に浸る暇は無かった。愛する娘を再び抱き締めるために、過酷で壮絶極まりない長い一日が始まる。

原題は「ディフェンス」。恐らく、攻撃に対する防御と、法的な弁護という重層的な含みを持たせているのだろう。危険な情況を的確に掴み、僅かな逃げ道を見付け、敵の盲点を突き、策略を逆手に取り、機を見て反撃に移る。ギャングの親玉を救わなければ、娘の命は無い。最も愛する者を助けるために、最も憎む者に手を貸さねばならない。この地獄のジレンマに揺れる心理描写が巧い。
ヴォルチェックは、裏切り者を消すために命じた証拠を掴まれて逮捕されたが、多額の保釈金を積んで釈放されていた。間もなく、不可解にも自白した殺し屋が証人として出廷する。朝、弁護士が身に付けた爆弾は、セキュリティを潜り抜け、殺し屋の口を封じるための道具だった。裁判の展開次第で大きく流れは変わる。その時が来るまでに、娘を救出し、ヴォルチェックに鉄槌を下さねばならない。

間違いなく有罪判決が下る鬼畜を、どのようにして弁護するか。守りつつ、攻めるか。フリンは法廷に立つ一方で、裁判所内で培った人脈を利用して娘の行方を捜す。その過程で徐々に弁護士自身の足跡が明らかとなっていく。つまりは、序章で片鱗を示した只者ではない主人公の実体だ。
フリンは、決して真っ当な路を歩んできた男ではなかった。恩師となる裁判官に出会う以前は、親譲りの卓越したスリ師であり、保険金詐欺で荒稼ぎしていた犯罪者だった。父親を失った原因が保険会社と結託した弁護士にあり、その復讐を兼ねていたのだが、結局はアウトローに成り果てたに過ぎなかった。だが、長年にわたって作り上げていた闇社会との太いパイプが、その日に役立つこととなる。マフィアに対抗するにはマフィア。それも、闇社会での情報力に長け、容赦無き暴力を行使する者ども。フリンは躊躇うことなく、その悪の力を借りる。この痛快な逆転劇から、物語はさらに勢いを増して疾走していく。
法廷戦術では強引さが目立つが、破綻する間際で食い止め、読者を鷲掴みにしたまま、終始引っ張り回す。予測を裏切り、二転三転するプロット。とにかく主人公の冴え渡る瞬発力には瞠目するのだが、迸るエネルギーは決して不快ではない。終盤では、ハリウッド映画張りの活劇シーンを用意し、疾風怒濤の物語は最高潮を迎えて終焉する。

本作の実態は、タフな男の私闘/共闘を主軸としたヒーロー小説で、リー・チャイルドのリーチャーシリーズを彷彿とさせる。北アイルランドベルファスト出身という作家のバックボーンも、熱気を帯びた世界に繋がっているのかもしれない。続編に大いに期待だ。

評価 ★★★★★

 

弁護士の血 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

弁護士の血 (ハヤカワ・ミステリ文庫)