海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「死せるものすべてに」ジョン・コナリー

アイルランド出身の作家を読む機会が増えている。国柄なのか、全編にみなぎるボルテージの高さや、荒々しく分厚い筆致、破綻すれすれまで暴走する疾走感など、共通する部分も多い。個人的には素っ気ないスタイルよりも好みなのだが、必ずしも完成度に結び付く訳ではなく、個々の力量による差は激しい。ただ、著名な作家ばかりに人気が集中して停滞しがちなミステリの世界に、新たな風を吹き込み、底上げする力/エネルギーは、総じて持っていると感じた。

1999年発表のジョン・コナリー第1作。物語は、暗鬱なる猟奇性と混沌に彩られている。連続殺人鬼を追い詰めていくプロット自体は定石に沿うもので、ノワールの雰囲気を漂わせた濃密な文体と入り組んだ構成で読者を翻弄する。エピソードが過剰で、整理することなく次へと移るため、多少は混乱するのだが、スランプ時のエルロイの如き錯乱/錯綜した迷宮に突き落とされることもなく、本筋は粗いが、力業で読ませる。主人公は、元ニューヨーク市警刑事で現在は無免許の私立探偵チャーリー・パーカー。ジャズの巨人と同名で知人からは〝バード〟と呼ばれているものの、物語中ではさらりと触れるだけで、特に思い入れはないようだ。

本作は、未解決のまま時が流れたパーカーの妻子殺害事件の陰惨な状況を克明に描写した序幕から、底無し沼のような狂気の世界へと一気に呑み込んでいく。物語は大きく二部に分かれている。前半では、失踪した女を捜す案件がマフィア絡みの児童誘拐と連続殺人に繋がり、自らのトラウマを克服する糸口を掴むまでの流れ。後半はニューオリンズを舞台に、サイコキラー〝トラヴェリング・マン〟との対決、つまりはパーカーの復讐への道のりをメインに置く。
強烈なインパクトを与えるのは、登場人物の多さと、それに反比例する死体の数だ。探偵が行動を起こすごとに増え続けていく死、しかもどれもが残虐な死にざまのままに積み上げられていく。その屍の数は異例で、パーカーはまるで歩く死神のような様相を呈す。同時進行で二つの連続殺人犯を追う設定のため、次第にこの死者はどちらの事件に関わるものか戸惑うこともあった。考えているうちに、次の犠牲者に出くわすという具合だ。

サブ・ストーリーとしてギャングの抗争を描き、パーカーは自らの報復を成し遂げるために一方に加担して人を殺す。主人公自身の手による「死せるもの」の存在を、どう捉えるべきか。正義が虚しく薄汚れていくさまを見せることに、作者は抵抗が無かったのかという疑問が残る。

異常殺人者らの実像は、狂気の一言で片付けるサイコスリラーの悪しき慣例に倣ったもので、謎解きとしてのカタルシスを弱めている。結末で明かされるトラヴェリング・マンの正体は唐突さが際立ち、意外性が薄い。何より動機に乏しい。この程度の狂気であれば、登場人物の誰でもよかったのではないかという印象だ。

脈絡の無いままにレビューを綴ったが、物語の構造、テーマを掘り下げ、如何に血肉化するかを考察する上で、本作は色々と刺激になった。欠点は多々あるものの、処女作に持ち得る全ての力を投入したコナリーの気概は存分に伝わってくる。シリーズ第二作で翻訳は途絶えているが、現在もパーカーの活躍は続いているようだ。洗練されているはずの作品を読めないのは惜しい。

評価 ★★★

死せるものすべてに〈上〉 (講談社文庫)

死せるものすべてに〈上〉 (講談社文庫)

 

 

死せるものすべてに〈下〉 (講談社文庫)

死せるものすべてに〈下〉 (講談社文庫)