海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「悪党パーカー/襲撃」リチャード・スターク

1964年発表、シリーズ第5作。感傷とは無縁の犯罪小説であり、プロフェッショナルの仕事ぶりを、どこまでもドライに活写するスタークのスタイルは一貫している。

舞台は、北ダコタ州コパー・キャニオン。三方を崖に囲まれ、一本の道路と鉄道のみで通じる閉ざされた町。ここを襲撃し、警察や消防署、電話局を強襲/掌握後、銀行や宝石店、企業のカネを一夜にして強奪する。その大胆な犯罪の計画と準備、実行から逃走までの流れを、テンポ良くシャープに描く。集結した犯罪のプロは、異例の十数人。パーカーは、話を持ち込んだ新参のエドガーズの不安定な挙動や、共犯者の多さを危惧しながらも、最終的には実行可能と判断し、プランを練り込んでいく。物語は、中盤までは起伏に乏しいが、町を制覇し、エドガーズが暴走して計画が狂い始めた瞬間から、一気にボルテージを上げていく。

巻末解説で小鷹信光が述べている通り、本シリーズは「犯罪は引き合う」ことを前提としている。刑事や探偵が紆余曲折を経て真相に辿り着き真犯人の名を指し示す「正義」と同じ線上で、犯罪者が数多のトラブルに見舞われながらも結局は目的を達成して戦利品を眼前にする「不義」を堂々と物語る。大半の犯罪小説は、アンチヒーローが破滅へと至る過程を描くことで自浄、つまりは倫理的なケジメを付ける訳だが、スタークはそれと同義であるが如くに悪行を貫徹させ、異端としてのクライムノベルを根幹から再構築する。その姿勢は揺るぎない。勧善懲悪の否定、法や警察機構の不完全さを嘲笑うというよりも、悪党には悪党なりの生き方/信条があり、その矜持こそが完全犯罪へと導くのだと、臆することなく強調する。

パーカーは非情だが、無情ではない。微妙なニュアンスの違いかもしれないが、感情を出さない主人公が直面するトラブルにどう対処するか、その行動を通して人間味を付加しようと、スタークは苦慮していると感じた。本作のプロットはシンプルであるが故に、パーカーシリーズの魅力が凝縮されている。

評価 ★★★