海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ツーリスト ~沈みゆく帝国のスパイ~」オレン・スタインハウアー

「単にサスペンスフルというだけでなく、現在の混沌とした情勢を映しつつも明快な物語を持ち、大きな体躯にはトリッキーな企みが神経繊維のように緻密に張り巡らされた快作」
……以上は私の評価ではない。批評家霜月蒼が口を極めて褒め称えている巻末解説の一部引用だ。加えて「もう欧米のスパイ小説に失望したオールド・ファン」や若い読者に「本書の美質」を味わってほしいと畳み掛ける。熱い思いが伝わる文章だが、私の読後感とは全く相容れない真逆の評価で驚く。なぜなら、本作こそ「失望したファン」に止めを刺しかねない、見かけ倒しの凡作なのだから。
2009年発表作。世評によれば近年の大きな収穫らしいが、どれだけ深刻な不作が「今も」続いているのだろうか。翻訳版タイトルに倣えば、本作は〝沈みゆくスパイ小説〟の暗澹たる有り様を裏付ける。一体どこをどう読めば、ル・カレやデイトン、フリーマントルら真に実力のある作家と比肩するが如き才能が見出せるのだろう。この程度の作品に、スパイ小説の未来を託すほどの力量を認める度量の広さを、私は持ち合わせてはいない。

発端はヴェネチア。CIA非合法員ミロ・ウィーヴァーは、工作資金を持ち逃げした同僚の男を追い、黒い噂が絶えないロシア人実業家との密会現場を押さえる。だが、ウィーヴァーに同行していた女性工作員アンジェラ・イェーツが暴走、追跡中に男を射殺する。後に「無惨な失敗」と回顧している任務だが、事案の詳細に触れないため、何が「失敗」なのかが分からない。さらに、同時刻同現場でロシア人の愛人が転落死。重ねて同時刻同現場で、裏切り者の男が連れていた見知らぬ妊婦が産気付く。間抜けにも、いつの間にか流れ弾によって重傷を負っているウィーヴァーは、己の状況を顧みず、女のために助けを呼ぶ。女に「あなたは誰」と尋ねられた本作のヒーローは「わたしはツーリストだ」と、意味の通らぬ台詞で〝正体〟を明かし、やっと死ねると思いつつ気を失う。ウィーヴァーは、別のミッションで殉職する機会を逃し、悔やんでいることを冒頭で告白している。
取り敢えず、これらの奇妙な出来事が、脈絡無く一気に起こる。時は2001年9月10日、米国同時多発テロ前夜。いかにも思わせぶりな時代背景だが、最後までプロットに一片たりとも絡むことはない。本作では数多い無意味な設定のひとつで、これに限らず作者は意味ありげなエピソードをばらまきながらも関連付けることなく平気で放置する。その7年後、子どもを産んだ女とウィーヴァーは米国に住み、何故か夫婦となっている。序盤でのカオスを、勿体ぶりつつ説明するのは物語後半になってから。だが、疑問が解けたところでたいして本筋に影響しないため、違和感だけが残されていく。

基本的にこの作家は「分かる読者にだけ、分かればいい」というスタンスのようで、とにかく話の進め方が粗く、詰めが甘い。典型的な自己完結/陶酔型で、中途で何度読み返しても筋がすんなりと入ってこない。精緻さ/明快さとは無縁の展開が、以降もだらだらと続く。

CIAが追い続けていたプロの暗殺者タイガーが、突如ウィーヴァーを呼び出す。殺し屋は暴行罪で逮捕されて留置所にいた。自ら仕組んだことだと言う。用件を伝えるために、何故そんな回りくどいことをしたのかは不明。国際的暗殺者にしては凄みが無いタイガーは、仕事の仲介者に嵌められてHIVに感染、寿命は残り僅かだと告げる。背後にウィーヴァーが所属する組織が絡んでいることを匂わせるが、曖昧なままに話を終えて、その場で自殺。過去、タイガー自身が同機関に所属し、上層部が数々の陰謀に加担していたらしい。一方、今もフランス滞在中の〝旧友〟アンジェラに背信の疑いが掛かり、ウィーヴァーは事実を探るために渡欧する。罠を仕掛けて真意を掴もうとするが、接触直後にアンジェラが殺される。つまるところ、疑惑の矛先はウィーヴァー自身へと移った。追われる破目となった〝ツーリスト〟は地下に潜り、CIAの暗部へと迫っていく。

序盤で既に億劫になっていたのだが、中盤から終盤にかけて「化ける」可能性もあるため、結末まで読み進めた。だが、ますます興味を失っていった。
各々が二つも三つも名を持つ割には薄っぺらい造形の登場人物。優柔不断で魅力に乏しい主人公。国家機密を扱っているはずの諜報員らが、例外無く口が軽いというのは、そもそもスパイ小説の根幹を無視しているのと同じだ。それらの無駄なやりとりは多いものの、プロットの核がいつまでも曖昧なままという矛盾。結果的に、全体が引き締まらず、致命的なまでに構成力が緩くなっている。流れを整理して読み手の興味を繋げていく配慮にも欠ける。展開の不自然さは、単に下手な印象しか残さない。

どうにも不器用な小説なのだが、これに追い打ちを掛けるのが翻訳だ。ただでさえ判然としない物語が、出来の悪い文章によってさらに荒れている。誰あろう、村上博基だ。海外ミステリ愛読者には馴染みの翻訳者なのだが、作品によっては質自体に関わる悪文となり厄介だ。例え原文に忠実であろうとも、物語の世界観を生かし、的確に伝える日本語でなければ意味が無い。恐らく原文はリズミカルなタッチなのだろうが、全く意に介さず、自己流の文章/表現に徹している。或る意味、辛気臭さが売りのル・カレならともかく、原作のテンポを壊すほどの横暴な訳出には閉口した。
例えば、信じられない出来事に対する台詞が「奇にして怪」。これをCIAに所属する若い女性局員が吐くという奇怪な現象。或る登場人物の秘密を暴露する言葉が「破瓜」。しかも、何の説明も加えないという傲慢さ。現代の日本人でさえ辞書を引かなければ意味の分からない言葉を、〝21世紀〟の海外エンターテインメント小説に嬉々として遣う翻訳者の神経を疑う。これで新しいスパイ小説のファンが増えるとでも思っているのだろうか。現代に生きる欧米人のスパイが、大正、昭和初期の表現で喋る気持ち悪さ/違和感を、早川書房の編集者らは微塵も感じなかったのだろうか。村上博基の飜訳界での実績/貢献には敬服するが、意訳するにも程がある。

そもそも、優れたスパイ小説家らの後継者としての評価を与える理由が理解できない。敢えて言うならば、目的や全貌が見えない諜報戦の只中でスパイらが抱える不安/焦燥を描くデイトンの冷めた難解さとは違う。プロローグに不可解且つ魅惑的な謎を置き、怒濤のサスペンスを織り交ぜつつ理路整然と仕掛けを解き、瞠目の真相へと導くバー=ゾウハーの超絶技巧もない。謀略の狭間で犠牲となっていく名も無きスパイの孤独と再生を冷徹に切り取るフリーマントルヒューマニズム・タッチもない。さらに、諜報機関の抱える闇を重厚な筆致で描き出すル・カレのような文学志向、格調高さがある訳でもない。
スタインハウアーの分かりにくさ/軽さは、単に小説家としての技倆が不足しているだけだと感じた。

スパイ/冒険小説ファンは舐められているのだろうか。不幸にも日米合作となった失敗作。辿り着いた私の結論はこれしかない。

評価 ☆

 

ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (上) (ハヤカワ文庫NV)

ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (上) (ハヤカワ文庫NV)

 

 

 

ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (下) (ハヤカワ文庫NV)

ツーリスト 沈みゆく帝国のスパイ (下) (ハヤカワ文庫NV)