海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「赤いパイプライン」エドワード・トーポリ

1988年発表作で、原題は「RED SNOW」。アンドロポフ政権時の旧ソ連が国家の威信を懸けたプロジェクト「シベリア=西ヨーロッパ・パイプライン」にまつわる秘史を題材とする。
主な舞台となるのは、西シベリア・チュメニ州のヤマル・ネネツ民族管区。北極圈上にある凍土帯で、冬季は数カ月にわたり常夜が続くため農業には適さず、トナカイ飼育や狩猟、漁業や林業などが産業の中心となっている。1960年代になって、この地域で巨大な天然ガス田が発見された。以降、ロシア人が主軸となって開発、パイプラインによる西欧への輸出計画を急速に推し進めた。先祖代々受け継いできた土地を荒らされた上、意のままに資源を略奪されたネネツ人の感情は推し量るまでもない。物語は、以上を背景としている。

パイプライン開通式を控えた1983年12月、ネネツ近郊の収容所から政治犯など3人が脱走した。捜査にあたるのは、同地区刑事捜査局のアンナ・コーヴィナ。女性であることのレッテル貼りを嫌い上昇志向が強いが、高いプライドに見合うだけの経験には乏しい。食糧の無い極寒の地で脱走犯の死体が発見されるのは時間の問題かと思われた。だが、一向に3人は見付からないことに加え、意想外の事態が持ち上がる。パイプライン計画に関わった上層部の関係者らが、逃走ルート上で次々に殺されていったのだった。脱走犯は、敢えて己らの犯行を示唆する証拠を残していた。成果を上げる絶好の機会とばかりにアンナは捜査を進めるが、気負いは空回りする。そんな中、略奪者に等しいロシア人が殺されていくさまを、過去に反乱を起こした英雄の所業と同一視したネネツ人らは、暴力的な刺激を得て一気に蜂起。遂にはパイプライン開通を脅かす大規模な暴動へと発展していく。クレムリンは軍隊派遣を決定するも、既に手遅れに近い状態だった。

ロシア連邦は広大な領土を有する多民族国家だが、内部には数多の少数民族との軋轢を抱えている。本作では、その一例となるネネツ地区を取り上げ、長きにわたり従属し、土地や資源のみならず、まだ年端も行かない女さえも、ロシア人に搾取され凌辱され続けた民族の怒りが、一瞬にして燃え上がるさまを生々しく活写している。不遜なる高慢故に大きな挫折を経験することとなるロシア人女性検事を狂言回しに、捩れた官僚国家のぶざまな有り様を白日の下に晒していく。
中盤までは基点が定まらず、構成力の弱さを感じたが、暴動に巻き込まれた体制側の一人、ドイツ系アメリカ人シェルツが、図らずもネネツ人と行動を共にすることになる後半から、俄然面白くなる。狩猟民族ならではの逞しさと奥深さを、異邦人の目を通して鮮やかに描き出しており、冒険小説のテイストが味わえる。多民族国家としての旧ソ連ロシア連邦の闇を照射する亡命作家トーポリの冷徹な批判精神の中に、祖国に対する苦くも甘い郷愁をも感じとることができる力作だ。

評判 ★★★

 

赤いパイプライン (新潮文庫)

赤いパイプライン (新潮文庫)

 

 

「記憶なき殺人」ロバート・クラーク

米国ミネソタ州セントポール市を舞台とする1998年発表作。カメラが趣味の冴えない会社員ハーバート・ホワイトは、以前からモデルや女優を夢見るダンサーの宣材写真を無償で提供していた。女たちには、凡庸で無垢な人畜無害の男として受け止められていたが、或る日、恋い焦がれていた女の撮影時に理性を失いかける。自らの行動に動揺したホワイトは、気を静めるために旅へ出る。数日後、男は山中で逮捕された。容疑は殺人。女はホワイトと別れた直後に絞殺死体となって発見されていた。しかも、同様の手口で別の女も殺されている。実は、男は慢性的な記憶障害を抱えていた。事件当時の前後を思い出せない。少年期の追憶は鮮やかに蘇るが、直近の出来事は忘失した。ホワイトは、威圧的な刑事に誘導されるがままに自白、終身刑となる。
主人公格は、もう一人。妻に先立たれ、娘も家出中のやさぐれた刑事ウエスリー・ホーナー。ダンサーの殺人事件以前から、素人カメラマンの挙動に不審感を抱いていたが、確たる証拠が無く断念していた。そんな折、風紀課所属の粗暴な刑事がホワイトから罪の告白を引き出したことを知る。しかも、その場に立ち合っていないホーナーの名で署名し、恩を着せてきた。ホワイト犯人説に疑念を抱きながらも、ホーナーは事件解決を良しとし、同時期に知り合った未成年少女との情愛に溺れていく。
しばらくして、失った記憶を留めておくためにホワイトが綴っていた日記によって冤罪の可能性が浮上、ホーナーは次第に罪の意識に苛まれていく。

以上がおおまかな流れだが、淡々と進む物語は起伏に乏く単調。流麗な文章によって、孤独な男二人の生き辛さを語ることを主眼とし、文学志向が強い。恐らく、ミステリとしての完成度を高めることなど、作者は端から目指していなかった節がある。その分、読み応えがあれば、謎解きの要素など気にもならないのだが、如何せんすべてが浅い。事件を通して繋がる容疑者と刑事、それを取り巻く者どもの人間模様に、読み手の心を揺さぶるほどの劇的要素が無いのである。
漠とした喪失感と日常の空虚さ。それを甘んじて受け入れるしかないという刹那的且つ自嘲的な人生観が漂い、無実の男を救済するという正義の表出も、すっきりとせず淀んでいる。先日取り上げたジェイムズ・プレストン・ジラード「遅番記者」と構想としては近いが、似て非なるもの。深みのある味わいに於いて天と地の差がある。
また、本作はハードボイルドという触れ込みだが、どこをどう読めばそのテイストがあるのか不明。冒頭シーンについて、訳者と批評家・池上冬樹が口を揃えてチャンドラー「長いお別れ」になぞらえているのも全く理解できず、脱力した。
1999年MWA最優秀長編賞受賞作。同年候補作のマイクル・コナリー「わが心臓の痛み」よりも高い評価を得たこと自体が謎だ。どうも私には世評に合致する優れた作品を見極める素質がないらしい。

評価 ★★

記憶なき殺人 (講談社文庫)

記憶なき殺人 (講談社文庫)

 

 

「ディーバ」デラコルタ

1979年発表、フランスの覆面作家デラコルタの犯罪小説。パリを舞台にギャングらと渡り合う若者の行動をシャープな文体で描く。
類稀なる歌声でオペラファンを狂喜させていた米国黒人歌手シンシア。彼女はディーバと呼ばれるに相応しい才能を持っていたが、レコードとして商品化することは一切拒否していた。フランスでの公演時、ディーバに恋い焦がれる青年ジュールは密かにコンサートを録音。それはディーバの貴重な音源となり、間もなくその存在が明るみに出る。例え海賊版であろうとも是が非でも手に入れたいレコード会社はジュールを付け狙い、暴力も辞さない強硬手段に出る。同時期、闇組織のボスに囲われていた女が犯罪を曝いた口述をテープに吹き込んでいた。女は逃走中、ジュールのバイクの籠に投げ入れた。図らずもジュールは二つの集団から追われる羽目となる。

訳者あとがきによれば、本作では脇役に回る中年男ゴロディッシュと少女アルバのコンビを主役とするシリーズ2作目で、評判を呼んだ映画化を機に翻訳されている。ノワールタッチでサスペンスを主体に構築しているが、本作の魅力はパリの街並みを物語を通して体感できることだろう。ディーバと青年のそこはかとないロマンスも、情景をスマートに印象付ける。他の作品が未紹介のままとなっているのは残念だ。

評価 ★★★

ディーバ (新潮文庫)

ディーバ (新潮文庫)

  • 作者:デラコルタ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1983/11
  • メディア: 文庫
 

 

「ザ・ボーダー」ドン・ウィンズロウ

麻薬戦争の実態を抉り出し、巨大カルテルに立ち向かう男の熾烈な闘いを熱い筆致で活写/記録した現代の犯罪小説/ノワールの極北「犬の力」(2005)、「ザ・カルテル」(2015)。この続編が発表されたと知った時は、かなり驚いた。凄まじいカタルシスを得て物語は完結しており、ウィンズロウ自身も完全燃焼したのだろうと不遜にも捉えていた。あの血も凍るような悪夢が、まだ続くのか。それよりも、前作から〝僅か〟4年で、みたび創作へと向かわせた動機が気になった。翻訳にして1500ページを超え、さらに厚みを増した本作を読み終え、当然のこと打ちのめされた。同時に、私の安易な疑問が氷解した。

腐敗したメキシコ政府と結託して麻薬王へと上り詰めたシナロア・カルテルの首領アダン・バレーラは、台頭する他の勢力との利権/縄張り争いの果てに、旧友にして積年の敵/米国麻薬取締局(DEA)のアート・ケラーが放った銃弾によって死んだ。無辜の市民を無差別に引き摺り込み、血みどろの地獄同然の様相を呈した潰し合いは、結果的に共倒れとなって終焉したかに見えた。だが、アダンという軸を失ったことで対峙するカルテル間のバランスは崩れ、弔い合戦/覇権闘争へと一気に傾れ込む。アダンは遺言によって側近ヌニェスを後継者に指名していたが、カルテル三巨頭のエスパルサが反発。加えてアダンやケラーに煮え湯を呑まされていた老獪な元ボス・カーロや麻薬商ルイスらが刑期を終えて復帰、絶大な権力を糧にバレーラ/ヌニェス/エスパルサの他、強力な勢力を保持するアセンシオン、タピアらを巻き込んで操り、またも凄惨な殺し合いが展開する。
一方、アダンとの闘いの中で出逢った不屈の医師マリーを人生の伴侶とし隠居生活を送っていたケラーは、策謀家の米国上院議員オブライエンの要望を承諾してDEA局長の座に就く。メキシコ・カルテルの最大の買い手は、紛れもなくアメリカだった。カルテルのボスを何人排除しようとも、米国への流入を堰き止めることは適わず、逆に増えていく。麻薬問題の根は、アメリカ国家自体にある。さらに、眼前に立ち塞がる障壁とは、「麻薬カルテルアメリカ政府の最高レヴェルの権力を金で買っている」という事実だった。ケラーは誓う。カルテルと薄汚いカネで結び付いた米国金融界の実態を明らかにし、摘発することを。つまりは、米国市民を蝕む麻薬の供給ルートを、国内に於いて根絶するのである。違法も厭わず盗聴や脅し、潜入捜査官の奮闘によって、徐々に資金洗浄の実態が曝かれ、証拠が集まるが、大きな難題が立ちはだかる。カルテルと手を結んだ米国側シンジケートの一人は、間もなく結果が出る次期大統領選の共和党候補デニソンの娘婿だった。デニソンは、メキシコとの国境に壁を造ることで不法移民や麻薬流入は解決できる、などと短絡的思考を平然と曝し、世間に物議を醸すことで成り上がってきた超タカ派の独善主義者であった。現民主党政権が敗れた場合、デニソンを窮地に陥れるケラーは圧力を受け、DEA局長を辞めざるを得ない。時間は限られていた。
新たな権力者の足元に擦り寄る卑しい取り巻きども。その代表格オブライエンは、局長継続を確約することと引き換えに新大統領を破滅させかねない証拠隠蔽をケラーに強要する。もし拒否すれば、今まで培ってきた全てを失うことを意味した。すでに、ケラー自身がアダン・バレーラ殺害を告白したことで、最愛の妻マリーは離れていった。孤立無援の男は孤独を噛み締めながら、40年にも及んだ苦闘を振り返り、自問する。
――この戦争を戦い、よりよい善のために悪を為し、取引きを交わし、神のごとく振る舞い、悪魔と組んで踊った四十年。……取引きに応じろ。やつらの望みを叶えてやれ。――
ケラーは決断し、答えを告げる。「くそくらえ」
最大最強の敵/アメリカ合州国に挑む気骨の男。その死闘は、やがて全国民が眼前にすることとなる。

前二作とは大きく違う点がある。それは、アメリカ国内で悪化の一途を辿る麻薬問題を「終結」させるための思索と主張、その土台の上に物語を構築しているということだ。つまりは「麻薬の合法化」であり、最近富みに現実味を帯びて議論されている極めて冷徹な構想/策だ。ウィンズロウは自らの信念を伝え、合法化実現に向けた更なる動きを促すために、本作を著したのではないだろうか。
ケラーとカルテルの闘いに焦点を絞った前作までに比べて小説としての完成度は落ちるが、ウィンズロウは重点を置く位置を変えているため当然のことだ。カルテルを如何にして潰すか、国内に蔓延る麻薬患者をどうすれば救うことが出来るか。メキシコと米国それぞれの問題点を掘り起こし、検証し、辿り着いた答えを明確に主張している。その大胆且つ激烈な手段「麻薬の合法化」を、ケラーを通して明瞭に説くのである。逆転の発想で危険に満ちているようだが、論理的で整合性がとれている。麻薬に関わる死を如何にして防ぐか。銃器と同様、より身近で切迫した課題である麻薬問題を最終的に終息させるこの荒治療は、米国市民であればすんなりと受け止めることができるのだろう。

さらに、巻末解説で批評家杉江松恋が指摘している通り、ウィンズロウが本作に着手した大きな動機とは、ドナルド・トランプという名のワスプを象徴する男の登場にあったのだろう。物語の中で、より醜悪な人物に脚色してあるとはいえ、全編にわたり第45代米国大統領とその政権に対し痛烈な批判を浴びせている。政治の腐敗/横暴は、人心を荒廃させる。麻薬を唯一の救いと崇め、依存後に自滅する人間を生み出す一端ともなる。ウィンズロウは、最下層の麻薬中毒者や不法移民の少年が密売人として生きざるを得ない現実を、物語の中に敢えて挟み込み、麻薬によって個々の人生が狂っていくさまを、多角的且つ非情な視点で描き切る。本筋と密接に絡むことはないが、それらのエピソードこそが本作の核であり、全体を揺り動かす重要な基点ともなっている。

結果的に三部作となった本シリーズが、米国とメキシコのみならず、世界中の人々を苦しめる麻薬問題を捉え直す機会となり、解決に向けての大いなる一石を投じたことは間違いない。ケラーの闘いは終わったが、恐らく、ウィンズロウはまた違うカタチで再開し、本シリーズの主題を更に掘り下げるのだろう。〝最終作〟読了後に、それを強く感じた。本作はいわば、次のステップのための総論となる作品であり、そのラディカルな問い掛けは、本来の「文学」の力に根差している。


以下は余談だ。
残念ながら、この国では、ウィンズロウのような真に気骨のある作家をもたない。米国の子飼いであり、稚拙な思考/無能な政策/保身のみを優先する醜悪さではトランプに引けを取らないアベ某、血税を浪費するしか能のない政治屋、特権意識に凝り固まった官僚、貧富/差別を助長しつつ肥え太る資本主義の申し子ら。大型シュレッダーさえあれば、何でも隠蔽可能という幼稚なまやかしが〝通用〟する政権。他国からみれば嘲笑の的にしかならないが、なめられた国民はより刺激的な芸能ネタに興味を移し、その隙に愚劣な輩どもは薄汚い冷や汗を拭い、再び戦争のできる国へと向けて悪知恵を働かせていく。
その腐り切った実体を暴き、創作を通して批判の声を上げ、人々を鼓舞するほどの力を持つ骨太な作家が、どれだけいるだろうか。このぶざま極まりない醜態は、恰好の〝素材〟になると思うのだが。無論、麻薬戦争という巨悪とは比べものにならない粗末な悪ではあろう。けれども、この国でさえ麻薬は「買える」のであり、〝高潔〟なる日本人が米国と同じ情況へと陥るはずが無いと考えるのは浅はかだ。
ウィンズロウが鉄槌を下したトランプの隣りで、己一人が日の丸を背負っていると妄想するエゴイストのニヤケ顔に「くそくらえ」と叫ぶことに意味は無い。しかし、我々の生活に直結する「腐敗」を糾弾する意志を示すことによって、変革への道は拓く。それこそ、ウィンズロウが本シリーズで為した偉大な功績だと思う。

 評価 ★★★★★

 

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

 

 

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

 

 

「クラッシャーズ」デイナ・ヘインズ

ジェット旅客機墜落の真相を探るチームの活躍を、読み手の度肝を抜く壮大なスケールで描いた2010年発表作。謎解きと活劇の要素を巧みに織り交ぜ、劇的な場景を随所に盛り込み、全編ハイテンションで展開。筆致は極めて映像的で、ハリウッド映画張りの娯楽大作として楽しめる。ネルソン・デミル絶賛の栄誉は伊達ではない。

ロサンゼルスに向かうカスケード航空818便が墜落した。乗員乗客は、ほぼ全滅。ポートランド国際空港から離陸直後に制御不能へと陥り、爆発炎上していた。凄惨な現場にいち早く駆け付けたのは、米国運輸省/墜落事故調査班〝クラッシャーズ〟一員の病理医トムザック。僅かな生存者の状況から、爆発時の機体には妙な法則があったことが分かる。やがて、主席調査官タナカの采配で、続々とメンバーが集結した。元海軍潜水艦ソナー員で音声解析担当のデュヴァル、元刑事で爆発物専門家ロビー、元エンジニアの機体構造分析家マローニー、エンジン分析担当のキムなど。最先端技術に長け、経験と技倆は折り紙付きのプロフェッショナル集団だったが、調査開始早々、袋小路に入り込む。機体の異常か、操縦士の人為的ミスか、原因が特定できない。一方、〝リハーサル〟を計画通り成功させたアイルランド系テロリストの一派は、〝本番〟となる次の飛行機爆破に向けて準備段階に移る。その不穏な動きを察知した一人の女がいた。元イスラエル潜入捜査官ギブロンは、連邦捜査機関の協力者でもあったが、予測不能の行動をとり捜査関係者を撹乱した。
物語は、墜落事故の謎を追う調査班と狡猾なテロリストの息詰まるような攻防を追い、加速度的に疾走する。

数多い登場人物を適切に配置し、任務遂行に邁進するプロの仕事を余すことなく伝える。内部に裏切り者がいるかもしれない、というベタな設定も生きている。発端から結末までの流れは起伏に富み、徐々にボルテージを上げていく構成も練られている。同時進行で刻一刻と変わる情況を、調査班とテロリスト双方の側から的確に活写、直接対決も含めて山場が連続する。〝クラッシャーズ〟内部での軋轢、政府機関やメディアとの駆け引き、航空機業界の内幕など、様々なドラマを挟みつつ分厚い物語に仕上げた作者の腕は相当なものだ。
ただ、冒頭の悲惨な墜落現場の描写は、読み手によって或る程度の忍耐を強いるだろう。さらに、現代テクノロジーの結晶である航空機が、もはや操縦士の技倆如何で制御できる代物ではなく、そのシステムが常に危険と隣り合わせだという〝脅し〟も怖い。

評価 ★★★★★ 

クラッシャーズ 上 墜落事故調査班 (文春文庫)

クラッシャーズ 上 墜落事故調査班 (文春文庫)

 

 

クラッシャーズ 下 墜落事故調査班 (文春文庫)

クラッシャーズ 下 墜落事故調査班 (文春文庫)