海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

スパイ/冒険小説

「血の夜明け」ロバート・モス

1991年発表の濃密なスリラー。長きにわたりメキシコは政治腐敗の極みにあり、「制度的革命党」は不正選挙で半世紀以上も独裁体制を敷いていた。政権に対する私怨を持ち、北部の分離独立を目指す首謀者カルバハルは、麻薬密輸業者を引き込み、政府転覆のプロ…

「暗殺者の烙印」ダニエル・シルヴァ

あとに美術修復師ガブリエル・アロンシリーズで著名となるベストセラー作家の1998年発表作。大統領選に絡む軍需企業の策略を主軸に、CIAの敏腕工作員と元KGBの凄腕暗殺者の対決を描く。謀略自体は散々使い古されたもので、背後の秘密組織も007もどきだが、政…

「暗いトンネル」ロス・マクドナルド

本名ケネス・ミラー名義で1944年に発表した処女作。執筆時はまだ28歳の若さで、ミシガン大学在学中に書き上げている。当時カナダ提督であった作家ジョン・バカンの講演を聞いたことがきっかけで構想、その影響下で執筆したと述べている。とかくミラー時代の…

「脱出せよ、ダブ!」クリストファー・ウッド

1983年発表、冒険小説本来の魅力を存分に味わえる隠れた名作。巻末解説で翻訳者佐和誠が熱を込めて述べている通り、本作の〝主人公〟は、縦横無尽に活躍する単葉飛行機《ダブ》である。オーストリアで生まれ、第一次大戦でドイツの主力戦闘機となり、初めて…

「心を覗くスパイたち」ハーバート・バークホルツ

1987年発表作。コンセプトは邦題の通りで、他人の思考が読み取れる特殊能力を持ったスパイたちの工作活動と葛藤を主軸にストーリーが展開する。SF的要素を生かすには、それ相応の腕が必要だが、概ね違和感なく組み込んでいる。特異な能力を備えた人間が一…

「迷いこんだスパイ」ロバート・リテル

冷戦期を背景とするスパイ小説のスタンダードは「亡命もの」である。同テーマの〝職人〟ブライアン・フリーマントルをはじめ、これまで多くの作家によって傑作が書かれてきた。亡命を巡る諜報戦には敵味方問わず謀略が渦巻き、不信と裏切りに主眼を置くエス…

「スパイよ さらば」ブライアン・フリーマントル

すべては生きるためだった。大戦終結後、ナチス・ドイツが併合していたオーストリアは英仏米ソが分割占領した。同時にウイーンは各国諜報機関の主戦場となった。ナチ戦犯追及機関の職員フーゴ・ハートマンは、頭脳明晰な現地工作員を求めていたKGBに勧誘…

「孤独なスキーヤー」ハモンド・イネス

1947年発表作。南欧の雪山を舞台にナチスの金塊を巡る争奪戦が展開する。今では格別目新しさもない題材だが、発表年を考えれば先駆となる作品であり、後にスタンダードとなる着想をいち早くカタチにしたイネスは流石だ。主人公は元軍人ブレア。文筆で生計を…

「復讐者の帰還」ジャック・ヒギンズ

ヒギンズの翻訳作品中では、最も初期にあたる1962年発表作。サスペンスを基調とした小品ながら、ハードボイルドタッチで硬派な世界を創り上げている。スタイリッシュな好編だ。1958年、英国の街バーナム。土砂降りの雨の中、路地裏で気を失っていた男が、悪…

「狼の時」ロバート・R・マキャモン

1989年発表作。スパイ・スリラーとホラーをクロスオーバーさせた快作で、当時絶好調だったマキャモンがパワー全開で突っ走っている。第二次大戦末期、連合軍はノルマンディー上陸作戦に向けた準備を秘密裏に進めていた。そんな中、ドイツ占領下のフランスに…

「裏切りのゲーム」ディヴィッド・ワイズ

1983年発表作。ワイズは米国のジャーナリストで、CIA内幕物のノンフィクションを何冊か書いている。内情には詳しいらしいが、その経験は本作に生かされてはいないと感じた。謀略を巡る元スパイの捜査活動を主軸とし、娯楽的要素を重視。陰謀自体は荒唐無稽だ…

「諜報作戦/D13峰登頂」アンドルー・ガーヴ

サスペンスの名手として知られるガーヴ、1969年発表の本格冒険小説。翻訳文庫版で230頁ほどの短い作品だが、冒険に賭ける男のロマンをストレートに謳い上げた秀作だ。最新鋭スパイカメラを積んだNATO軍用機が東側に寝返ったドイツ人技術者にハイジャックされ…

「叛逆の赤い星」ジョン・クルーズ

激闘の果て、心を震わす終幕。優れた小説は須くカタルシスを得るものだが、重く哀しい情景で終える物語であれば、それはなお倍加され、胸の奥深くに感動が刻まれていく。愛する者を守るため、我が身を焼き尽くす滅びの美学。数奇な運命に翻弄されながらも、…

「ラス・カナイの要塞」ジェームズ・グレアム

難攻不落の城塞からの救出作戦。このシンプルな設定で、どれほど魅惑的な物語が生まれることだろうか。発端の舞台はイタリア・シシリー島。牢獄に囚われた義理の息子ワイアットを救い出せ。米国を追放されたマフィアの大物スタブロウは、引退していた元英国…

「ゴールデン・キール」デズモンド・バグリイ

「男の中に熱い血が流れている限り、不可能ということはないんだよ」……これは、冒険小説に通底する〝美学〟を見事に言い表した有名な台詞だ。名作「高い砦」(1965)によって、永遠に記憶されるバグリイ。滾る血の命ずるまま、たとえ愚かと嘲笑されようとも、…

「アマゾニア」ジェームズ・ロリンズ

現在(2020年4月)パンデミックの状態にあり、終息する兆しが全くみえない「新型コロナウイルス」によって、感染症の恐さを世界中の人々があらためて実感している。本作では、サブ的ではあるのだが、未知の疫病が蔓延する恐怖も描いている。当然、娯楽小説…

「イプクレス・ファイル」レン・デイトン

1962年発表のデビュー作。デイトンは言わずと知れたスパイ小説界の大御所だが、現在では殆どの飜訳作品が絶版となり、著名な割には読まれていない。玄人好みの作家として定着しているのは良しとして、ル・カレなどに比べて些か不遇な扱いを受けているのは歯…

「人魚とビスケット」ジェームズ・モーリス・スコット

1955年発表作で、早くもその2年後には翻訳されているが、長らく入手困難で〝幻の作品〟と言われていた。この〝幻〟が付く類は、実際に読んでみれば「この程度か」で終わる場合が多い。本作もあまり期待していなかったのだが、メインパートとなる海上での過…

「最終兵器V-3を追え」イブ・メルキオー

まずは、長い前置きから。近現代史を背景とするスパイ/冒険小説で、最も登板数の多い〝敵/悪役〟は、言うまでもなくナチス・ドイツだろう。総統ヒトラーを軸に集結した多種多様で強烈な個性を持つ側近や軍人、科学技術を駆使した軍事兵器の〝先進性〟、排…

「極大射程」スティーヴン・ハンター

1993年発表、ハンターを一躍メジャーな作家に押し上げたボブ・リー・スワガーシリーズ第1弾。銃器への偏愛が全編にわたり横溢し、かの大藪春彦を彷彿とさせるほど。マニアックなディテールは、時に筋の流れを堰き止めかねない分量に及ぶ。だが、勢いのまま…

「ウインターホーク」クレイグ・トーマス

アメリカ空軍少佐ミッチェル・ガントを主人公とする1987年発表作。トーマスの出世作にして代表作「ファイアフォックス/ダウン」では、ソ連に潜入し最新鋭戦闘機を盗み出すミッションを遂行している。 大幅な軍縮条約調印を目前に控えた米ソは、両国スペース…

「ベルリン空輸回廊」ハモンド・イネス

1951年発表、冒険小説界の雄イネスの力作。巨匠として安定した評価を得ている作家だが、代表作が定まらない〝不遇〟さもあって、比較的地味な存在に甘んじている。本作も知名度は低いものの、プロットが意外性に満ちており、中盤までは抜群に面白い。残念な…

「駆逐艦キーリング」セシル・スコット・フォレスター

読み終えて、ようやく気付いた。孤独な中年男の滲み出るような〝悲哀〟を描くことこそが、本作のテーマだったのだと。ホーンブロワーシリーズで著名なフォレスター1955年発表作。極めてストレートな海洋戦争小説だが、極めて異色の教養小説でもある。1941年…

「ライブラリー・ファイル」スタン・リー

1985年発表、東西冷戦末期に誕生した〝究極〟のスパイ/国際謀略小説。中盤まではスローペースだが、後半から一気にボルテージを上げ、終幕まで疾走する。 東西ドイツを隔てる国境線近くに集結していたソ連の最新鋭戦車。その不穏な動きを、米国政府が新設し…

「アムトラック66列車強奪」クリストファー・ハイド

1985年発表、ハイド渾身の快作。北米回廊線の列車から現金強奪を目論んだ新米の犯罪者グループが、よりによって同じ目的で乗り込んだテロリスト集団と鉢合わせする。このアイデアだけで〝買い〟である。しかも、冒険小説の傑作「大洞窟」の作者だ。面白くな…

「国王陛下のUボート」ダグラス・リーマン

海洋戦争小説の王道をいく1973年発表作。臨場感溢れる戦闘シーン、数多い登場人物一人一人をきっちりと印象付ける卓越した造形、滋味豊かで多彩なエピソードなど、ベテラン作家の本領を遺憾なく発揮した力作だ。 1943年、第二次世界大戦の転機となった連合軍…

「ツーリスト ~沈みゆく帝国のスパイ~」オレン・スタインハウアー

「単にサスペンスフルというだけでなく、現在の混沌とした情勢を映しつつも明快な物語を持ち、大きな体躯にはトリッキーな企みが神経繊維のように緻密に張り巡らされた快作」……以上は私の評価ではない。批評家霜月蒼が口を極めて褒め称えている巻末解説の一…

「深海の大河」エリック・ローラン

フランスのジャーナリスト兼作家ローランのセス・コルトンシリーズ第2弾で2003年発表作。謳い文句は「現代のジェイムズ・ボンド」で、全体のイメージも概ね近い。但し、主人公は国家機関のスパイではなく、あくまでも私的組織の一員。〈委員会〉と称するそ…

「スパイは黄昏に帰る」マイケル・ハートランド

1983年発表の処女作。35年以上も前の作品だが、世界情勢が刻々と変化しようとも、時代の断面を鮮やかに切り取る上質なスパイ小説は、決して古びないことを再認識する秀作だ。謀略渦巻く返還前の香港を舞台に、英ソ情報部の熾烈な諜報戦を切れ味鋭く描いてい…

『聖者の沈黙』チャールズ・マッキャリー

チャールズ・マッキャリーが他界(2019年2月26日)した。享年88歳。早川書房「ミステリマガジン」(2019年7月号)に、評論家直井明による丁寧な小伝と未訳を含む解題、短編が掲載されている。日本ではマイナーな存在に甘んじていたが、米国ではスパイ小説界…