海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

ミステリ/警察小説

「捕虜収容所の死」マイケル・ギルバート

1952年の発表から50年を経て飜訳され、ギルバート再評価の機運を高めた作品。1943年7月、連合軍が間近に迫り、敗色濃い枢軸国イタリアの北部。約400人にものぼる英国人らがいた将校専用の捕虜収容所では、脱走のための地下トンネルが掘り進められていた。間…

「夜歩く」ジョン・ディクスン・カー

執筆時25歳のカーが1930年に発表した処女作。いささか緩慢な構成や緻密さに欠ける仕掛け、浅い人物造形などに若さを感じるが、隆盛期にあったミステリの世界に新風を吹き込もうという気概に溢れている。後に開花する怪奇趣味や不可能犯罪への愛執にも満ちて…

「評決」バリー・リード

溢れ出る涙を抑えつつ、終盤二章を読み終えた。まさか、こんなにも感情を揺り動かされることになるとは、物語が大きな山場を迎えてのち、評決が下るシーンの直前まで、微塵も思っていなかった。万感胸に迫るラストシーンがさらに心を打ち、その後しばらくは…

「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ

まず極論的な自論を述べれば、ミステリという薄いコーティングを施した糞長く退屈な「教養小説」であり、キリストの教義やあらゆる差別/横暴が罷り通ったヨーロッパ中世史に興味が無ければ、全く面白みのない作品である。 物語は、中世イタリアの修道院を舞…

「死が二人を」エド・マクベイン

1959年発表の「87分署シリーズ」第9作目で、スティーヴ・キャレラの妹が結婚する一日に巻き起こる騒動を描いた番外編的な一編。他の作品に比べて舞台設定や登場人物は限定されているが、その分ストーリーは淀みなく快調で、マクベインの技倆を存分に堪能で…

「腰ぬけ連盟」レックス・スタウト

ネロ・ウルフシリーズ第2弾で1935年発表作。探偵の特異なライフスタイルが、物語の展開に少なからずの影響を及ぼす奇抜さが本シリーズの特徴であり、面白さでもある。ウルフは「本格ミステリ黄金期」に活躍した探偵らのカリカチュアであり、アームチェア・…

「スノーマン」ジョー・ネスボ

時流に乗る北欧ミステリ。中でもノルウェーの俊英ネスボの人気は高く、順調に翻訳出版が続いている「幸福な作家」の一人だ。本国ではロックミュージシャンを兼ねているらしく、勢いのままに突っ走る独特のリズム/熱気に溢れた文体は、バックボーンに根差す…

「深層海流」リドリー・ピアスン

1988年発表、米国の実力派作家ピアスンによる警察小説の力作。主人公は殺人課部長刑事ルー・ボールト。僅かな手掛かりを掘り起こし、検証/実証して犯人像を絞り込み、浮かび上がる痕跡を追う。その極めて実直な捜査法を抑制の効いた筆致で丹念に描いている…

「声」アーナルデュル・インドリダソン

孤独な生活を送っていたドアマンがホテルの地下室で惨殺される。かつて男は、美しい歌声で人々を魅了したことがあった。だが、避けて通ることのできない変声のため、スポットライトを浴びた初舞台で、一瞬にして「ただの少年」へと変わったのだった。厳しく…

「夏を殺す少女」アンドレアス・グルーバー

オーストリアの作家が主にドイツを舞台にして描いたミステリで、児童虐待という重い主題を扱いながらもスピーディーな展開で読ませる秀作。謎解きの要素は薄く、サスペンスを主軸とした捜査小説で、飾らない文章は実直な著者の人格を表しているようだ。主人…

「兄の殺人者」D・M・ディヴァイン

珍しくクリスティーが褒めたというディヴァインのデビュー作品で1961年発表作。本格推理作家として、現在も高い評価を受けているらしいが、終始退屈な代物だった。英国のミステリ作家は大概が地味な作風で、ケレン味に欠けるきらいがある。本筋はアリバイ崩…

「クリスマスのフロスト」R・D・ウィングフィールド

日本でも根強い人気を誇るフロストシリーズ。下品でくだらない冗句を吐き、警部でありながら単独行動を好むという著しく管理能力に欠ける一方で、憎むべき犯罪に対しては鋭く臭覚を働かせ、粘り強く犯人に迫っていく持久力を持つ男。極端な仕事中毒者として…

「水時計」ジム・ケリー

ケリー2003年発表の処女作。地味ながらも繊細な文章で、舞台となる地方都市イーリーの冷たくも美しい情景を描き出している。凍結した川から引き揚げられた車に身元不明の他殺体が発見される冒頭から、嵐の中で殺人者と対峙する終幕まで、物語の底流には淀ん…

「髑髏島の惨劇」マイケル・スレイド

ミステリ界で異彩を放つスレイドの快作。「マイケル・スレイド」は、カナダの弁護士ジェイ・クラークを中心とするチーム作家のペンネーム。メンバーには古典的な本格推理小説の愛好家もいるらしく、謎解きにダイイングメッセージを採用するマニアックな展開…

「エリー・クラインの収穫」ミッチェル・スミス

謳い文句は「五感を刺激する」。翻訳された当時は、微に入り細に入り描写するスタイルが度肝を抜くという批評が並んでいた。物語自体はシンプルな警察小説で、ニューヨーク市警の「遊軍部隊」所属の女性刑事エリー・クラインを主人公とし、連続殺人事件の捜…

「ジェゼベルの死」クリスチアナ・ブランド

1948年発表、ミステリ黄金期の傑作として評価されているブランドの代表作。終盤に至り、何度も〝事の真相〟をひっくり返して読者を撹乱する「本格物」ならではの〝遊び〟が大いに受けたのだろう。確かに、畳み掛けるような謎解きのスリルは味わえるものの、…

「死の蔵書」ジョン・ダニング

長らく休筆していたダニングが、自らの経験を基に古書の世界を題材として執筆し話題となったベストセラー。元殺人課刑事で現在は古書店主という異色の経歴を持つクリフ・ジェーンウェイの活躍を描き、以降シリーズ化している。 本作には「すべての本好きに捧…

「夜を深く葬れ」ウィリアム・マッキルヴァニー

マッキルヴァニー1977発表作。骨格は警察小説だが、単にミステリとして読むだけでは、滋味深い本作の魅力を半分も味わうことはできない。舞台はスコットランド最大の都市グラスゴー。夜の公園で発生した少女殺害事件を発端に、機動捜査班警部ジャック・レイ…

「皇帝のかぎ煙草入れ」ジョン・ディクスン・カー

「アリバイ崩し」の傑作として名高い本作だが、精緻なトリックよりも、男女の愛憎や金銭でのいがみ合いなど、人間の泥臭く生々しい修羅場を盛り込んだ〝ドラマ〟仕立てのストーリー自体が面白い。部外者であるはずの探偵自らも邪心を起こし、事件関係者らの…

「クリムゾン・リバー」ジャン=クリストフ・グランジェ

グランジェ1998年発表作。自身も脚本で参加した映画でも話題となった作品だが、派手さはなく、終盤までは地道な捜査活動に終始する。フランス司法警察の警視正ニエマンスと地方警察の警部アブドゥフの二人が別の発端/ルートを経て、一つの事件へと結びつく…

「罪の段階」リチャード・ノース・パタースン

リーガルサスペンスの傑作として名高い1992年発表作。しばらく本業の弁護士に専念していたパタースンは長期休暇を取り一気呵成に書き上げたという。主人公は処女作「ラスコの死角」と同じクリス・パジェットだが、心機一転の本作で再び起用した訳とは、十数…

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル

現代ミステリにおいて先鋭的な作品を上梓する作家の筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルメートルだろう。怒濤の勢いで北欧の作家らが席巻する中、フランス・ミステリがいまだに前衛としての位置を失っていないことを、たった一人で証明してみせた。無論、か…

「冷えきった週末」ヒラリー・ウォー

当たり前だが、警察のリアルな捜査活動を知りたければ、ノンフィクションを読めばいい。ミステリに求めるのは本物らしさであって、物語としてのエンターテイメント性が失われたら元も子もない。警察小説の基礎を築いた重鎮としてウォーは再評価されているが…

「ゲルマニア」ハラルト・ギルバース

評判が良く期待して読んだが、序盤からかなりもたつく。まず、文章が淡白なことが最大の欠点だろう。読み進んでも、登場人物らの顔が浮かんでこず、全体的に造形が浅いと感じた。物語の舞台となるのは、ノルマンディー上陸作戦の直前、敗色濃い第二次大戦末…

「フォックス家の殺人」エラリイ・クイーン

「僕は満足していません」12年以上前に妻殺しの罪で終身刑となった男。その無罪立証のために再調査の依頼を受けたエラリイ・クイーンが、事件当日の状況を再現した後に吐く台詞だ。あらゆる事実が状況証拠の裏付けをし、男の犯行であることを、あらためて示…

「地上最後の刑事」ベン・H・ウィンタース

世評は概ね高いが、私は最後まで退屈で仕方なかった。半年後に小惑星が衝突し人類が滅びるという設定は、フィクションとしては手垢のついたものだが、それを加味したミステリとして意識しつつ読み終えても、さほどの新鮮味は感じなかった。 本作は三部作の第…

「冬の裁き」スチュアート・カミンスキー

カミンスキー熟練の筆が堪能できる渋い警察小説。既に孫もいる老刑事エイブ・リーバーマンを主人公とするが、相棒となる刑事ハンラハンも重要な位置を占める。人生の黄昏時を迎えた刑事二人を狂言回し役に、罪を犯す者たちを見つめた〝人間ドラマ〟といった…

「シカゴ・ブルース」フレドリック・ブラウン

1947年発表のフレドリック・ブラウンの処女作。主人公は、十代の若者エド・ハンターで、以降シリーズとして書き継がれた。シカゴの裏町で父親を殺されたエドが、伯父の協力を経て犯人捜しをする物語だが、プロットや謎解きに特筆すべき点はない。後にミステ…

「ウッドストック行最終バス」コリン・デクスター

幅広いミステリのジャンルの中でも「本格」と呼ばれる分野に、それ程の興味は無い。といっても、私がミステリ愛好家となったきっかけは、多分に漏れずエラリイ・クイーン「Yの悲劇」の絢爛たるロジックの世界に文字通り感動したからなのだが。要は物語とし…

「蒸発した男」マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー

1966年発表のマルティン・ベックシリーズ第二弾。スウェーデン社会の変遷を描いた警察小説の古典として高い評価を得ている全十部作だが、初期作品は極めて地味な捜査活動を描くことに終始している。 著名なスウェーデン人ジャーナリストがハンガリーで行方不…