海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ボクサー」ピート・ハミル

映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として日本でも馴染み深いピート・ハミル。気骨のあるジャーナリスト/コラムニストとして著名で、作家活動の中ではハードボイルド小説にも挑んでいた。1979年発表の本作は、ボクシングを通して成長する青年を情感豊か…

「鼠たちの戦争」デイヴィッド・L・ロビンズ

第二次世界大戦に於けるドイツ対ソ連で最も過酷な戦場となったスターリングラード。記録によれば、1942年8月から5ヶ月間にもわたった攻防での死者は200万人。当初60万人いた住民は、戦闘終結時には1万人を下回る数しか生き残れず、まさに死の街と化した。…

「善意の殺人者」ジェリー・オスター

1985年発表作。この作家独自のあくの強さが印象に残る警察小説で、なかなか読ませる。発端はNY地下鉄。電車内で女を強姦しようとしたチンピラが、助けに入った正体不明の男に射殺された。偶然乗り合わせた乗客らは当然の如く逃亡した男をかばい、メディア…

「大統領候補の犯罪」ダグラス・カイカー

1988年発表作。派手さはないが味わい深い秀作「クラム・ポンドの殺人」に続く新聞記者マックシリーズ第二弾。主要な登場人物はそのままに、よりメインプロットに重点を置いている。前作のなんとも言えない人間味溢れる情感は薄れているが、自らもジャーナリ…

「ハンターにまかせろ」エリック・ソーター

1983年発表作で、これも積読の山から発掘。安っぽい装丁やB級のタイトルとは裏腹に、骨のあるハードボイルドに仕上がっている。主人公は元ジャーナリストで現作家のハンター。或る日、歳の離れた友人ビリー・ライが謎めいた言葉を残して消える。やさぐれた…

「笑いながら死んだ男」デイヴィッド・ハンドラー

ゴーストライター/ホーギーシリーズ第一弾で1988年発表作。コメディアン2人組で一世を風靡しながらも、解散後は落ちぶれていった片方の自伝をホーギーは引き受ける。最大の売りは、元パートナーと不仲となった原因。だが、頑なに本人は過去を明かすことを…

ありがとう、ジャック・ヒギンズ

ジャック・ヒギンズ(本名ヘンリー・パターソン)が、2022年4月9日、英領チャネル諸島ジャージー島の自宅で死去した。92歳だった。年齢を考えれば、大往生だろう。けれども、まだまだ生きる伝説として、衰退した冒険小説界を鼓舞して欲しかった。代表作「鷲…

「ブランデンブルクの誓約」グレン・ミード

1994年上梓のデビュー作。この後にスパイ/冒険小説史上屈指の名作「雪の狼」を書き上げるのだが、本作はナチス残党の謀略に主眼を置いており、冒険的要素は薄い。けれども、目的に向かって闘う不屈の男を軸に、多彩な登場人物が入り乱れるストーリーは、翻…

「赤毛の男の妻」ビル・S・バリンジャー

医者を志しながらも環境に恵まれず、貧しい人生を歩んできた男。彼にとっては、学生時代に出会い、激しい恋に落ちた美しい女だけが心の拠り所だった。だが、格差故に引き離され、放浪。長い年月を経て行き着いた果ては刑務所だった。やがて男は脱獄し、その…

「24時間」グレッグ・アイルズ

米国のベストセラー作家による2000年発表のスリラーで、ストレートに「誘拐物」に挑んだ力作。身代金目当ての誘拐事件を扱うミステリは、警察/犯罪物を中心に数多いが、新たなアイデアを盛り込まなければ、過去作品の単なる焼き直しと評価されかねない。現…

「ダ・フォース」ドン・ウィンズロウ

現在も深刻な麻薬問題を抱える米国の実態を凄まじい暴力の中に描いた一大叙事詩「犬の力」(2005)/「ザ・カルテル」(2015)/「ザ・ボーダー」(2019)。作家人生の集大成ともいうべき、この渾身の三部作によって、ウィンズロウは紛れもなく頂点に達した…

「傷痕のある男」キース・ピータースン

ピータースンが80年代後半から発表した新聞記者ジョン・ウェルズシリーズは、現代ハードボイルドの新たな収穫として高い評価を得た。くたびれてはいるものの正義感に溢れた中年男の語り口がとにかく絶品なのだが、残念ながら4作品で途絶えたままだ。1990年…

「平和」を踏み躙るもの

似非平和イベントに成り下がった「オリンピック」終了直後の2022年2月24日、ロシアがウクライナを侵略した。日本のマスメディアは一様に〝侵攻〟という曖昧でふやけた言葉を使っているが、独立国家の主権を侵し、暴力を用いて領土を奪い取る明白な侵略戦争…

「裁くのは誰か?」ビル・プロンジーニ、バリー・N・マルツバーグ

「驚天動地の大トリック」という惹句に惹かれて読む本格ファンは多いだろう。本作の結末について、良いも悪いも特に反応できなかった私は、ミステリを楽しむ基準が変わったのではなく、謎解きについてそもそも〝縛り〟がある方がおかしいという考えがあるか…

「届けられた6枚の写真」デイヴィッド・L・リンジー

無性に或る作家の世界観や文章表現に触れたくなる時がある。リンジーはその一人で、定期的に〝読まなければならない〟という衝動に駆られてしまう。本作も、私の言い様のない渇きを癒やす泉のような作品だった。 ヒューストン警察の刑事スチュアート・ヘイド…

「人狼を追え」ジョン・ガードナー

あとにクルーガーシリーズでスパイ小説の金字塔を打ち立てるガードナー1977年発表作。本作はいわゆる〝ナチス物〟だが、これがかなりの異色作だ。 1945年4月30日、ベルリン地下壕でヒトラーは自殺した。側近らが次々に逃亡を謀る中、或る将校に手を引かれた…

「四つの署名」コナン・ドイル

1890年発表のシャーロック・ホームズ第二弾。幕開けのシーンはなかなか衝撃的だ。暇を持て余し、刺激を得るためにコカインを常用する探偵。恐らく「児童向け」では、ホームズの薬物中毒は削除されているだろうが、コナン・ドイルは後世まで名を残すこととな…

「スカーラッチ家の遺産」ロバート・ラドラム

1971年上梓の処女作。舞台俳優や劇場主から作家へと転身したラドラムは、この時すでに50代。よほど物書きへの強い憧れがあったのだろう。以降毎年のように大作を発表し続け、その大半がベストセラーとなるという稀に見る成功を収めた。特に「暗殺者」(1980…

「ここにて死す」マーク・サドラー

1971年発表作で、世界的な潮流でもあった学生運動を題材としている。黒人過激派、前衛劇団など、大学を根拠とする反体制グループの若者たちを描いているのだが、かなり観念的な論争を繰り広げていく。本筋は極めてシンプルで、全体的なトーンは良いのだが、…

「ベルリン・レクイエム」フィリップ・カー

私立探偵ベルンハルト・グンターシリーズ第3弾で1991年発表作。デビュー作でハードボイルド、次作では警察小説、そして所謂〝ベルリン・ノワール〟の掉尾を飾る本作ではスパイ小説へのアプローチを試み、何れも高い評価を得た。 同一の主人公で一作ごとにコ…

「踊る黄金像」ドナルド・E・ウエストレイク

事の発端は、南米の最貧国デスカルソで起こる。ここの国立博物館には、数千年以上も前に創作されたという黄金の「踊るアステカ僧侶像」が厳重に保管されていた。同国政府は新たな観光資源とするべく、僧侶像の複製を作り、安価な工芸品として売り出すことと…

「チャイナマン」スティーヴン・レザー

1992年発表作。英国からの北アイルランド分離独立を目指すテロ組織IRAの行き詰まりを描き出したスリラー。特に主人公は設けず、暴力に彩られた闘争が行き着く果てを極めてドライに活写している。章立てが無く、場面展開が早い。登場人物が多く、状況を多角的…

「クレムリンの密書」ノエル・ベーン

出版当初は本に封を施し返金保証付きで売り出したという。ベーンは批評家らから高い評価を得ており、翻訳者も後書きで絶賛しているのだが、私は全く面白くなかった。中盤から興味を失い、嫌々読み終えたほどだ。「シャドウボクサー」(1969)でも感じたこと…

「Q E2を盗め」ヴィクター・カニング

積ん読の山を崩して〝発掘〟。なぜ、早く読まなかったのかと後悔するほどの出来だ。硬質な筆致と手堅い人物造形。己の主義を貫く犯罪者たちの硬派なスタイルも良い。1969年発表、翻訳数が少ないカニングの実力に触れることができる犯罪小説の秀作。主人公は…

「海底の剣」ダンカン・カイル

1973年発表作。ソ連がカナダ沿岸の海底に配備した核ミサイルを固定する鎖が腐食し、暴発する可能性が浮上した。折しも同国では国際的な平和会議を予定しており、最悪の場合は戦争へと突入しかねない。ソ連政府は極秘裏にミサイル撤去の計画に着手するが、そ…

「ジレンマ」チェット・ウィリアムソン

1988年発表作。主人公は中年に差し掛かった男、ロバート・マッケイン。職業は個人営業の私立調査員。ハードボイルド・ヒーローへの憧れはあったが、現実は錯綜する謎の解明や拳銃をぶっ放すような暴力沙汰とは無縁であり、仕事は浮気調査で殆ど埋まっていた…

「ブラックランズ」ベリンダ・バウアー

2010年発表作。12歳の少年が、幼少期のおじが殺されるという過去の事件を〝解決〟することで、現在のぎくしゃくした家族関係を立て直そうとする。要は、絆がテーマといえるだろう。ただ、ムード優先で筋に捻りがないため、サスペンスとしては物足りない。女…

「死にゆく者への祈り」ジャック・ヒギンズ【名作探訪】

1973年上梓、ヒギンズの魅力を凝縮した畢生の名作。冒険小説史に燦然と輝く「鷲は舞い降りた」(1975)のような重厚な大作ではないが、ロマンとしての味わいでは突出しており、恐らく大半のファンはベストに推すだろう。1981年に「ミステリマガジン」が行っ…

「戦闘マシーン ソロ」ロバート・メイスン

1989年発表作。装丁や粗筋からは、人型ロボットが暴れ回る〝SF軍事スリラー〟という印象を受ける。たいして期待せずに読み始めたのだが、本作は近未来の戦争をシミュレートした無機質な戦闘物ではなく、冒険のロマンを絡めた実に読み応えのある力作だった…

「青いジャングル」ロス・マクドナルド

処女作と第二作でスパイ・スリラーを書いたロス・マクドナルドは、1947年に発表した第三作で、いよいよハードボイルド小説に挑んだ。翻訳者は独特の文体を用いる田中小実昌で、言い回しは古いが粋の良い仕上がりで楽しめる。 軍隊生活を終えたジョン・ウェザ…