海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ザ・カルテル」ドン・ウィンズロウ

本を持つ手が真っ赤に染まっていく錯覚に陥るほどの膨大な量の血が流れる。延々と繰り返される殺戮と虐殺。ウィンズロウは、いつ、どこで、誰が何人殺されたと丹念に書く。死者を積み重ね、カウントする。なぜ省くことなく、記録するのか。不毛の大地。対抗手段も持たず殺されていく人々。生きた証しは、犯され、焼き尽くされ、死者の無機質な数字へと変わり果て、地の底へと投げ捨てられる。一切の救いなどない無常の世界。誰が、一人ひとりの名を刻みつけるのか。ウィンズロウは、「麻薬戦争」で犠牲となったジャーナリストの名を本書の冒頭に置き、声無き市民の代弁者として記者の死を記す。類無き暗黒のクロニクル。この激烈なる警告を含んだ物語を真摯に受け止め、ウィンズロウの煮え滾る怒りを共有し、今現在も犠牲となっている人々に思いを馳せるべきだろう。

圧倒的な破壊力でウィンズロウの名を一気に高らしめた〝前篇〟「犬の力」は、麻薬カルテルが強大な権力を掌握するまでの抗争の年代記であり、クライム・ノベル/ノワールの新時代到来を宣言した記念碑的傑作だった。「個」に焦点を当て、成り上がるためには手段を選ばない者どもの狂気、麻薬産業の施しを受けつつ生きながらえる国家の有り様を、DEA捜査官アート・ケラーを縦軸、麻薬王ダンバレーラを横軸にして、緊迫感溢れる劇的な展開で読ませた。その後篇となる「ザ・カルテル」は、社会的視野を更に拡げ、自国政府を遙かに超える冨と権力を手にしたカルテルの栄枯盛衰を生々しい描写で徹底的に記録し、ケラーとバレーラの最終的決着までを描き切る。

刃向かう者は一人残らず殲滅する。その暴力の噴出の凄まじさに圧倒される。前篇には少なからずあった「希望」の残滓も消え失せ、加熱する国家ぐるみの麻薬戦争には未来も無く、ただ虚無感のみが漂っていることを序盤で示す。バレーラ脱獄を知ったケラーは、何をしようとも無駄だという諦めのムードを断固拒否し、自らも暴力を行使しつつ、カルテル潰しに再び着手する。だが、立ちはだかる敵は、より力を増したバレーラのみならず、公然とメキシコを分割し所有する凶悪な暴力信奉者らであり、力への対抗は力でしかないことへの無力感に苛まれていく。激化する覇権争いに乗じてカルテル同士が潰し合う火種をまき続けるケラー。そんな中、非暴力で立ち向かう女性医師、言葉の力で変えていこうとするジャーナリストらとの交流が、孤独なケラーを変えていく。さらに、老いたバレーラは血統へのこだわり故に自滅への路を歩み始める。辿り着いた終幕の何ともいえない虚脱感を、結局は暴力でしか解決し得なかったことへのニヒリズムとみるか、全てを破壊したのちの再生への兆しと受けとめるかは、人それぞれであろう。

 

浅はかな杞憂かもしれないが、ウィンズロウの身が心配だ。「犬の力」を読み終えた時と同じ思いが去来する。10年の間隔を空けているとはいえ、前人未踏の地を開拓した凄まじい小説を二作も上梓して、完全燃焼してしまったのではないか。例えフィクションとはいえ、永年にわたるメキシコ/アメリカ両国の恥部ともいうべき麻薬問題と実在する巨大カルテルの罪過を抉り出して、生命の危険に曝されてはいないのか。登場人物は架空だが、主題とするカルテルの実態は、ほぼ事実に即している。ウィンズロウは、半世紀にわたる人々の血に染まった地獄絵図を俯瞰しつつ、敢然と地に降り立つ。そして、五感全てを研ぎ澄まして、無残な惨状を言葉に置き換えていく。
この壮大なる暗黒史は、ルポルタージュに迫る力強さを持ち、鬼気迫るウィンズロウのジャーナリスト精神と作家魂が昇華した超ド級のエンターテイメント大作である。

 評価 ★★★★★☆☆

 

ザ・カルテル (上) (角川文庫)

ザ・カルテル (上) (角川文庫)

 

 

 

ザ・カルテル (下) (角川文庫)

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