海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「その男キリイ」ドナルド・E・ウェストレイク

「やとわれた男」で鮮烈なデビューを飾ったウェストレイクは、「殺しあい」「361」と、シリアスなクライムノベルを上梓していたが、第4作以降はジャンルにこだわらず書いたようだ。1963年発表の本作は、人生経験に乏しい若い男が数多の体験を経て処世術を身に付け、「大人」へと成長するさまを描いた異色作で、劇的な変貌を告げるラストは強烈な余韻を残す。

経済学を専攻する大学生ポール・スタンディッシュは、半年に及ぶ実習期間を全国的な労働組合本部で働く。指南役は組合幹部のキリイ38歳で、精悍なやり手と評判だった。一方の軟弱さを絵に描いたようなスタンディッシュは24歳。早速二人は、地方支部立ち上げの打診があった地方の町ウィットバーグに派遣される。製靴会社社員ハミルトンに接触し、調査と下準備をするためだ。だが、顔合わせを果たす前に、ハミルトンが何者かに殺された。地元の警察に拘束された二人は謂れのない尋問を受ける。町の住人の大半は製靴会社に関わる仕事に就き、経営陣は行政や警察機構に対して絶対的な権力を振るっていた。スタンディッシュは、ハミルトンの友人であった老人ジェファーズから、社内で不正があり、その証拠を経理担当で老人の孫娘アリスが握っていることを知る。労組本部から助っ人らも駆け付け、会社との取引材料として背任行為の事実を利用することにするが、直後にジェファーズも不審死を遂げる。事態は急速に様相を変えていた。

本作の読みどころは、純真な主人公が生々しいエゴの衝突を重ねて次第に〝したたかさ〟を修得していく過程にこそある。敢えてスタンディッシュの一人称に「ぼく」を選んでいるように、序盤では弱音を吐き、人前で泣き叫ぶ醜態もさらすのだが、自らも心身を傷付けられた殺人事件を解決したいという欲求が、タフな男へと鍛え上げる足掛かりとなっていく。
敵対するのは、理不尽な暴力を振るう警察官や尊大な製靴会社支配人のみではない。スタンディッシュの功績を横取りし、出し抜き、成り上がろうとするキリイこそが最大の「敵」であることが、終盤までに明らかとなる。

切れ味鋭い幕切れで、圧倒的な重みで迫るタイトル「Killy」の意味。柔な男の甘美なる幻想を打ち砕き、リアルな裏社会に触れさせることで伝授するハードな生き方。本作は、いわばウェストレイク流人生訓の表出ともいえる。

評価 ★★★★

 

その男キリイ (1979年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)

その男キリイ (1979年) (ハヤカワ・ミステリ文庫)