海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「評決」バリー・リード

溢れ出る涙を抑えつつ、終盤二章を読み終えた。
まさか、こんなにも感情を揺り動かされることになるとは、物語が大きな山場を迎えてのち、評決が下るシーンの直前まで、微塵も思っていなかった。万感胸に迫るラストシーンがさらに心を打ち、その後しばらくは〝読者冥利〟に尽きるカタルシスに浸っていた。
1980年発表、自らも弁護士であったバリー・リード第一作。緊迫感に満ちた法廷小説の傑作であり、人間の尊厳を守るために闘う男の姿を謳い上げた堂々たる名作だ。

舞台はボストン。4年前、カトリック教会が所有する大病院内で、妊婦デボラ・ローゼンは植物人間となった。出産時、全身麻酔をかけられた状態でマスク内に嘔吐、窒息によって脳細胞のほとんどが死滅した。ローゼンは2人の子を出産していたが、糖尿病など健康上の問題を抱えていたため、産科と麻酔科の権威らが担当し、準備は万全のはずだった。救命処置により、心臓は再び動きだしたが、意識は永遠に失われた。重大な争点となったのは、全身麻酔の判断は適正だったか否か。受付時のカルテには食後9時間と記載されていたが、もし直近に食事をしていれば局所麻酔によって危険は回避できていた。

 医療過誤を裏付ける確たる証拠が見付からず、どう転んでも勝ち目がないローゼン側の弁護を引き受けたのは、大仕事とは無縁だった中年弁護士フランク・ギャルヴィン。酒に溺れる日々を送り、家庭を顧みない女癖の悪さがたたり、法曹界からの追放寸前にあった。いわばローゼンの案件は、先の見えない男にとって起死回生のための最後の賭けだった。傲慢な病院/教会側の示談申し入れを拒否し、徹底して裁判で争うことを告げるが、それは、強大な圧力に抗することを意味した。ギャルヴィンは撥ね付けた高額の示談金に後ろ髪を引かれつつも、恩師であり長年のパートナーでもあった熟練の弁護士モウ・カッツに協力を仰ぎ、証人探しに奔走する。

本作は裁判の行方とともに、やさぐれた弁護士の〝再生〟にも重点を置いているが、次第にローゼンの悲劇的な人生とオーバーラップしていく展開は実に見事だ。生きてはいても、死んでいる。物語の中でギャルヴィンが「闘う動機」をはっきりと語る場面は無いが、幼い子を2人残して植物人間となった女性の無念さを眼前にして、ギャルヴィン自身が「オレも死んでいたようなものだ」と自戒するところから、全てが動き始めたのだと印象付ける。

長い小説ではないが、様々なエピソードを織り交ぜて端役の一人一人までしっかりと造形し、読み応えがある。新人作家とは思えぬその力量は、自らも弁護士として様々な人間と関わってきたリードの豊富な人生経験があるからこそだろう。

特に主人公を巡る挿話は、短いながらも心に残る。町医者だったギャルヴィンの父親は貧しい人々のために献身的に働き、病んだ子どもたちを無償で診ることもあった。反面、自らの家族は常に貧乏で、妻は不甲斐ない夫を恨んでいた。だが、小さな息子は父を愛し、夜明け前まで帰りを待ち、二人で飲むための茶を淹れ、掛け替えのない時間を一緒に過ごした。あまりにも多くの死と向き合ってきた父親は、遂には過度の飲酒の果てに精神を病み、誰にも看取られることなく、街角で独りぼっちで死んだ。まだ36歳だった。母親は最期まで勝手だった父を死してなお軽蔑した。やがて子は成長し、戦場へ。帰還後に一人、虚無感の中で駅に降り立ったギャルヴィンに声を掛け、その後の人生を変えた師であり友であるモウに出会う。弁護士見習いとしての新たなスタートは、第一となる再生だった。

物語の底辺には「強者」と「弱者」の対立構造があり、裁判を通して権力の重圧に屈しない人間の生き方を力強く活写する。それは、裁判に携わる両弁護士、証人、陪審員ら全てに共通する。豊富な経験を持つ敏腕の被告側弁護人コンキャノンが、本来なら負けるはずのない「敵」ギャルヴィンの冒頭陳述での手腕に驚愕し「優秀だ」と思わず口に出してしまうシーンから、物語は一気に動き出す。ギャルヴィンは、一人の女性が辿った残酷な運命を、陪審員らに語り掛ける。幼い子どもらを育て、出来の悪い夫を持った平凡な人生を送っていた、我々と何も変わらないささやかな幸福と、無情なる末路を。一切の感情を失い「植物」と化した一人の女性を救うことは二度と出来ない。だが、その理不尽極まりない罪を犯した者を裁くことは出来る。

登場人物らの行動、言葉が指し示す証拠/判断材料をもって、いわば読者自らが「陪審員」の一人となり、虚偽と事実を見極め、罪と罰のあり方を真摯に捉え直し、ひとつの結論を下すことを求める。「正しくあることとは、どういうことか」という問い掛けが常に為されていく。ありふれた「悲劇」は、避けることの出来ない「事故」であり、統計学の不幸な数字と同等の重みしか持たないのか。それは「不条理」という哲学的用語で片付けられていい必然的一例に過ぎないのか。

筆致は、流麗ではないが滋味豊か。声高に悪を紛糾する着飾った表現がある訳でもない。小狡い捻りや技巧、美辞麗句を並べた精神論の類に頼らず、ストレートに物語り、クライマックスに向けて感動を高めていく。

登場人物の或る一人が言う。勝つことが重要なのではない。正しいことが為されることが重要なのだと。

かつての弟子のために身を削った老齢のモウは、評決を知らないまま、致命的な発作を起して意識を失う。その姿はローゼンと重なり、滲んでいく。病床へ駆け付けたギャルヴィンは、脆弱な己を常に支えてくれた恩師であり、想い出に残る父のように優しく包み込んでくれていた男に、必死に語り掛ける。「ぼくはあなたに教わった通りに」正しいことをした。それに対して、評決をもたらした人々の思いを。

 

評価 ★★★★★☆☆

 

評決 (ハヤカワ文庫 NV 316)

評決 (ハヤカワ文庫 NV 316)