海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

『聖者の沈黙』チャールズ・マッキャリー

チャールズ・マッキャリーが他界(2019年2月26日)した。享年88歳。早川書房「ミステリマガジン」(2019年7月号)に、評論家直井明による丁寧な小伝と未訳を含む解題、短編が掲載されている。日本ではマイナーな存在に甘んじていたが、米国ではスパイ小説界の立役者として高い評価を得ており、埋もれさせてしまうのは惜しい。

『聖者の沈黙』は、C I A現役時の1961年に発表した文学性の高いフィクション。ジャーナリストとしても活躍していたマッキャリーが、「サタディ・イヴニング・ポスト」の求めに応じて著したもので、ファンにとっては貴重な発掘/飜訳となる。専業作家になる前の作品だが、後のポール・クリストファーシリーズで昇華する創造力、小説家としての技量を、既に備えていたことに驚く。マッキャリー、30歳の若さ。やはり、なるべくしてなった作家だ。

物語の舞台は、恐らくは中南米の某国。長い間山中に隠れていた革命家ホセ・ラモスが、独裁者を倒して自らの政権を樹立する。「邪悪の時代」が終焉したことを市民は喜ぶが、間もなく重要人物らの逮捕が始まった。逮捕礼状も、弁護士も、法廷もなく、理由の説明もなかった。
囚われた中に、フランシスコ・バスコという老いた男がいた。富豪で異教徒。ラモスは、バスコが「隠匿」したカネを没収し、貧者に分け与えると宣言した。新聞「ベルダード(真実)」紙の編集発行人アルベルト・ウエスカは、旧体制と同様に社説を通して新政権の不正行為を批判した。
ウエスカは、革命の名のもとに逮捕された。指揮官は少年期からの知人だったが、無表情に「おまえが、ウエスカか」と聞いた。
真っ暗な牢屋には、もう一人囚人がいた。静かにヘブライ語で祈りを捧げていた。男はバスコと名乗った。相手の顔さえ見えない闇で、二人は語り合った。バスコは毎日拷問を受けていた。カネを何処に隠しているのか。バスコは決して口を割らなかった。血だらけとなった身体がどれだけ悲鳴を上げようとも耐え続けた。いつしか老人の手当てをすることが、ウエスカ日課となった。その〝仕事〟があるからこそ、正気を保てた。自分が半殺しの目に遭っているにも関わらず、バスコはウエスカの身を気遣った。老人が戻らない時は、強烈な孤独感に襲われた。カネの隠し場所を聞き出すよう、革命軍は圧力を掛けてきたが、即刻拒否した。
やがて、旧知の仲であり、現在は元師となったラモスが、ウエスカに会いに来た。そして、いまだ声のみで顔を知らない男の莫大な金のありかを、或る「真実」とともに告げた。

余韻を残す劇的な結末。装飾を剥ぎ取った硬質な文体から滲み出る抒情。ウエスカの視点を通して、革命の虚栄/本質を抉り出し、踏み躙られたヒューマニズム、実存を問い直す。短い物語ながら、芳醇な香り高い長編を読んだような満足感に浸れる傑作である。

評価 ★★★★★

ミステリマガジン 2019年 07 月号 [雑誌]

ミステリマガジン 2019年 07 月号 [雑誌]