海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

星の断想

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仕事帰り。駐車場に車を停め、少し離れた住居に向かう途上で、しばらく空を見上げるのが日課となっている。私の住む田舎では今でも満天の星を仰ぐことができるのだが、幼い頃に飽きもせず眺め続けた星空とは、随分と変わってきたように思う。

それは、汚染された大気を象徴するかのように靄のかかった天空を、極めて物質的な光を放ち飛行する航空機によって星々の輝きが翳んでいる所為でもあり、或いはまた宇宙や星に対するそこはかとない憧れの感情が年齢を重ねるほどに失われていき、私の視覚的な印象を変えてしまった所為でもある。

少年時代、山の斜面に陽が沈むのを待って、散歩がてら出掛けた公園の芝生に寝転がり、宵の明星から天の川が視える時分まで、ふと気付けば時間だけが流れていたという夏のひと時は、何かもが洪水に呑み込まれたかのように過ぎ去っていく現在を思えば、とても幸せな時間であった。

星との距離を表す単位である「光年」の意味を知ったのもその頃だった。
私の誕生星座である「蠍座」の一等星として、特に親しんだ紅いアンタレス……その輝きが約600光年もの歳月をかけて到達していることに不可思議なる時空を感じ、広大な宇宙の神秘へと思いを馳せた。そして、どうあがいても100年も生きられない人生と、果てしない星の寿命を無謀にも照らし合わせ、不条理なる生命の終わり……つまるところは、子どもじみた死生観へと思考を巡らせていた。

私の命がいつか途絶えようとも、星々は変わらず天空に輝き続ける。
いま佇んでいるこの場所で、いつか見知らぬ人々が、同じように美しい星空を見上げ、様々な想いに浸る。時が流れ、人々の影は変われども、瞬く星々は変わらずに彼方に在り続ける……。

「科学の進歩」によって享受するものとは、きっと星の数ほどもあるのだろう。だが、それと同時に同じ数だけの星影が天空から失われているような気がする。例えば、無機質な高層ビル群が天上へと近づけば近づくほど星々の輝きが消え、最下層の闇がさらに深まっていくように。
……星の光が衰えれば、「闇」はますます漆黒の度を強めていく。
流れ星が、星の死にゆく瞬間をとらえた現象ではないと知って落胆したのは、幼さ故のロマンティシズムであった。けれど、宇宙を漂う塵が地球の大気圏へと突入する際に発光したものが流星として定義されようとも、墜ちゆく星が想起させる脆さ/儚さを何ほども弱めるものではなかった。

 

『流星』 島崎藤村

門にたち出てたゞひとり  人待ち顔のさみしさに
ゆふべの空をながむれば  雲の宿りも捨てはてゝ
何をかこひし人の世に  流れて落つる星ひとつ

 

やるせない心の揺らぎを象徴するかのように、星が流れてゆく。
孤独であればなおのこと、情景はより甘美な心象として昇華してゆく。

……詩人が見上げた星空を、今夜はゆっくりと眺めたいと思う。