海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「六人目の少女」ドナート・カッリージ

イタリア発、2009年発表作。二重三重の捻りを効かせたサイコ・サスペンスで、世評は概ね高いが、どうにもすっきりとしない読後感だった。

未解決のまま時が流れていた某国W市の連続少女誘拐事件。その生死さえ不明だったが、山中から切断された六人の左腕が掘り出され、状況は一変する。誘拐が特定されていた子どもは五人。あとの一人は誰か。検証の結果、六人目の少女のみが今も生きている可能性を示した。警察は特別捜査班を編成、同類事件で実績のある犯罪学者ゴラン・ガヴィラと、子どもの失踪人捜査専門のミーラ・ヴァスケスを加える。時を同じくして、小児性愛者ベルマンの車から、第一の少女の死体が見付かった。身柄拘束直後に男は自殺。これで事件解決と思われたが、性倒錯者は誘拐殺人と結び付かず、急転直下の逮捕劇は何者かが仕組んだことが分かる。つまり、真の誘拐殺人犯による作為的な擬装だった。ガヴィラらは、影に潜んだ真犯人を便宜的に「アルベルト」と名付け、その痕跡を探る。
ベルマンの隠れ家でアルベルトの不可解なメッセージを受信した捜査班は、第二の少女の遺体に行き着く。同時に姿を現したのは新たなる殺人者だった。またしても、誘拐殺人との関わりは認められなかった。
さらに、第三、第四の少女の屍が、まるで指標のように次々と別のサイコキラーのもとへと導いた。しかも、これらの異常者の傍からは、殺戮を促し、それを楽しむ観察者としてのアルベルトの存在が浮かび上がる。闇の中で見え隠れするアルベルトの得体の知れない狂気。邪悪な芸術作品の如く殺人者らを陳列し誇示する男の目的とは、いったい何か。

原題は「IL SUGGERITORE」、暗示者/ささやく者を意味するという。本作が特異且つユニークなのは、誘拐された少女の遺体が発見される都度、新顔のサイコパスが登場することにある。ストーリーは、まるで地獄巡りの如き様相を呈するわけだ。
異常者らは次の殺人に移る前に、捜査班に犯行を暴かれて自滅する。つまり、アルベルトが制止しているとも受け取れるが、彼らをサブリミナルによって操ってきたのは、暗示者/アルベルト自身である。何故自らが造り上げた〝怪物〟を、敢えて破壊するのか。悪魔と同等の力を見せ付けたいのか、それとも単に狂っているだけなのか。

全編を覆う圧迫/重圧感は独特で、読み手に対して常に緊張感を強いる。だが、衝撃的な展開を優先するあまり、緻密さに欠け、強引さが目立つ。後半から扇情的な筋に拍車が掛かり、暗示者/アルベルトが捜査側に仕掛ける詐術は、不合理な面のみが強調されていく。総体的に細部が精巧ではなく、粗いのだ。その欠点をスピード感で誤魔化している。構成は破綻しており、終盤では整理出来ずに投げ出した感がある。
サイコスリラーでは、真犯人の素性が一切明らかとならないことや、捜査班のメンバーを犯罪の完遂の為に利用することは、珍しいことではない。ただし、物語の根幹に関わる〝真相〟を、最後まで解き明かさない点は、納得がいかない。殺人者らを操る〝暗示者〟の動機、そこへと至るまでの過程、諸々の行動の矛盾などが曖昧なまま残されるため、ミステリとしては大きな不満が残る。

罪と罰の問題に切り込まないまま、漠然と終幕へと流れていく論理性/倫理観の欠如も気になる。また、かつて自分自身が監禁された過去を持つ主人公格の捜査員ミーラが、自傷によって被害者の痛みを感じ取ろうとする行為や、霊媒師もどきの修道女が捜査の重要な部分を担うなど、反則擦れ擦れの過激さも引っ掛かる。特にプロット上、本作の肝となる犯罪学者ガヴィラの造形が甘いのは致命的だ。作者は、捜査班の各メンバーに須らく本筋に絡む役目を与えているのだが、過去の掘り下げと性格描写がなおざりなため、練り込んだツイストから生じるインパクトが弱まっている。
さらに、冒頭で六人の少女の左腕のみが円状に埋められているのが発見されているのだが、単なるギミックに終わっており、解読を試みてさえいない。舞台を特定せずに、世界中のどこであっても発生し得る事件として描くことがカッリージの狙いだったようだが、本作の犯罪は極めて異常且つ複雑なもので、読み手がリアリティを感じる要素は少ない。

カーリッジはまだこれからの作家なのだろう。設定や筋書きは大きく異なるが、エルヴェ・コメールの秀作「悪意の波紋」が本作に近いテーマを扱い、完成度も格段に高い。


評価 ★★

 

六人目の少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

六人目の少女 (ハヤカワ・ミステリ文庫)