海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「黒衣の女」スーザン・ヒル

たいした心境の変化など無いのだが、最近はホラー/幻想小説に以前よりも手を伸ばすようになった。他のカテゴリに比べてさほど読んでこなかったこともあるが、ラヴクラフト箴言「最も起源が古く、 最も強烈な感情である恐怖」を主題とする小説の真髄に、あらためて触れておきたいという気持ちが強い。ただし、作家の技倆が如実に表れるジャンルのため、つまらない作品もひときわ目立つ。結局のところ、プロットよりも、単に文章/描写が駄目なことが多い。恐怖心を煽るためには、イメージを喚起する的確な語彙と優れた表現力が必要だ。
つまりは、語り口なのである。日本古来の伝承文学ともいえる怪談は、今も夏の風物詩として子どもから大人まで楽しんでいる訳だが、同じ題材でも話し手の技術によって、怖さがまるっきり違ってくることと同様である。

1983年発表の本作も、英国伝統のゴシックホラーを継承し、全編「ゾッとする恐い話を聞かせてあげよう」という怪談話のスタイルを貫く。作者は、構成からレトリックまで〝聞き手〟を強く意識した〝語り手〟に徹している。主人公の過去を朧気に伝える切り出しから、人生を大きく変えることとなる本筋への自然な流れ、徐々に恐怖心を植え付けていくエピソード、真相が明かされたあとの静かな小休止を経て、一気に戦慄の悲劇が訪れる幕引き。すべては、〝落ち〟となるエンディングで最大の効果が得られるよう綿密に練り込んでいる。

クリスマス・イヴ、古い屋敷に集った家族が順に怪談話を始める。子どもらが話し終えた後、父親の番となるが、どうしても口を開くことができない。かつて自らが体験した真に恐ろしい幽霊譚。決して忘れることができず、誰にも言えない記憶。男はひとり、回想というかたちで物語り始める。
舞台はロンドンから遠く離れた小さな市場町クライシン・ギフォード。まだ見習い同然だった若い弁護士アーサー・キップスは、所属事務所の古くからの顧客であったアリス・ドラブロウ夫人の遺産整理のために町に赴く。途中、夜汽車で偶然乗り合わせた紳士デイリーは、キップスの目的を聞き、妙な反応を示した。宿に着いた翌日、ドラブロウの代理人ジェロームとともに葬儀に参列するが、身寄りもなく長らく人との交流を絶っていた夫人を弔う町の人間はいない。ただひとり、青白く痩せ衰えた黒衣の女が、墓場の陰で見つめる以外は。夫人が住んでいた館に通じる路は、河口と沼地に面していた。砂地に造られた細い土手道は、潮の満ち引きよって、通行できる時間が限られていた。やがて、馬車に乗ったキップスの眼前に、荒涼とした丈の高い〈うなぎ沼の館〉が姿を現す。日が暮れ、孤立無援の地を深い霧が覆い尽くしていく。屋敷内の開かずの間から、響き始める異音。屋外から、霧の中を突き抜けて届く子どもの絶叫。呪われた館の長い一夜は、まだ序章に過ぎなかった。

本作は、或る女の凄まじい怨念を物語の主軸とし、プロット自体は古典的で捻りは無いものの、聞き手の心理を揺さぶる描写力には圧倒される。短く引き締まった構成、情動を鮮やかに表現した流麗な文体、細部までこだわった舞台設定。劇作や児童小説など幅広い分野で作品を発表しているヒルは、ホラー専門の作家ではないが、創作にあたり過去の作品をとことん研究した節があり、見事に自家薬籠中のものとしている。というよりも、英国人として慣れ親しんできた怪談を、よりモダンに洗練させて蘇らせたと言うべきか。

いずれにしても、血と暴力で染め上げたモダンホラーが主流となっている昨今、本作のような正統派ゴシック・ホラーは貴重であり、新たなメルクマールとなるだろう。

評価 ★★★★

 

黒衣の女 ある亡霊の物語〔新装版〕 (ハヤカワ文庫NV)

黒衣の女 ある亡霊の物語〔新装版〕 (ハヤカワ文庫NV)