海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「第五の騎手」ドミニク・ラピエール/ラリー・コリンズ

物語序盤、ニューヨーク市内に核爆弾を仕掛けた男が、米国大統領に向かって言う。
「日本の民間住民の上にこの種の爆弾を投下したとき、あなた方自身が行ったのと同じ行為なのだ。あのときのあなた方の慈悲や憐れみの心はどこにあったのかね? 相手が白い肌をした美しいアメリカ人でなければ、数百万のアジアの黄色人種たちやアラブ人やアフリカ人たちを殺し、焼き、ずたずたにするのは重要ではない……どちらが野蛮人ですか、大統領閣下?……悪魔の兵器を発明したのは誰ですか? ドイツのユダヤ人たちだ! それを利用した唯一の国はどこか? キリスト教国のアメリカだ! 人類を絶滅できるそれらの兵器をため込んでいるのは誰か? いわゆる文明化されたあなたの西欧の先進工業諸国だ! それらの爆弾はあなた方の文明の産物ですよ」
この言葉は、大統領が男に対して先に発した「完全に無責任な行為だ。不合理で……狂った行為で……」という非難に対する返答である。
男は、リビアの独裁者ムアマル・カダフィ。そして、大統領はジミー・カーター。無論、創作上のやりとりであり、実際には私利私欲に走る俗物であったカダフィからは、核兵器に関わる上記の如き〝事実〟に基づく根源的問い掛けなど望むべくもなかっただろう。そもそもアメリカとリビアは、規模は違えど所詮は〝テロの親玉〟であり、同じ穴の狢に過ぎない。だが、核兵器を持つ国/持たざる国の明確な差異がある以上、決して対等に渡り合えない。本作では、リビアは遂に核を手に入れる。そして〝文明の産物〟によってイスラム社会の敵と同等の立ち位置を得て、無責任で/不合理で/狂った行為、つまりは米国最大の都市を殲滅することを宣言するのである。

1980年発表作。ノンフィクション「パリは燃えているか?」などで著名な二人組による初のエンターテインメント小説。未だ解決をみないイスラエルパレスチナ問題を基底に置き、あとに〝現実〟となるアメリカを標的としたテロリズムの恐怖を描く。
リビアの狂信者は、マンハッタン内にテロリストを潜入させて水素爆弾を仕掛けたのち、パレスチナからのイスラエル入植者排除を、米国に対して要求した。埒が明かないイスラエルを直接相手にせず、その強大な支援国家からユダヤ人国家に圧力をかけさせようとする狡猾且つ大胆な脅迫に米国政府は騒然となる。カダフィは、実際に核爆弾の実験の映像をリアルタイムで送り、嘘偽りの無いことを実証した。条件を満たさなければ、ニューヨーク一帯は廃墟と化し、半永久的に人間が住めない地となる。期限は僅か36時間。

早急に打開策を講じなければ、ニューヨーク市民を中心に少なくとも500万人が犠牲となる試算が出た。どんな方法で住民を緊急且つ安全に避難させるか。同時に、どのようにして水爆を発見し、爆発を阻止するか。さらに、狂ったカダフィといかにして取り引きするか。一方で、どうすればイスラエル政府を説得して入植者の撤退が実現できるか。
全てが予測不可能な大問題ばかりだった。
刻一刻と無為に過ぎていく。米国政府は関係者と専門家らを招集し検討を重ねるが、何もかもが時間が足りず、無残な失敗に終わることを指し示していた。
ニューヨーク市民の退避は無謀と判断、カダフィは対話/交渉を一切拒否、怒り狂ったイスラエルリビアへの核攻撃を計画、自国民を優先する米国の裏切りに対して戦争突入さえ辞さない態度だった。想定内ではあったが、眼前に並べられていく結論は、あまりにも残酷なものばかりだった。
まさに最悪の状況下で四面楚歌となった米国政府の最後の希望は、極めて可能性が薄い水素爆弾の発見のみとなった。特命を帯びた情報部員や捜査官らは、未曽有の危機を回避すべく奔走していたが、上層部は市民にパニックを引き起こす情報漏洩を恐れ、水爆ではなく〝毒ガス〟として末端の捜査員に伝えていた。そんな中、テロリストの潜入経路と潜伏先を捜査をしていたニューヨーク市警の熟練刑事ロッキアは政府の隠蔽に気付き、事態を急転させる行動に出た。

当時の世界情勢/パワーバランスを解読しつつ、かつて経験したことのないテロリズムに脅える大国の姿を、綿密な取材を生かした考証を基に、徹底したリアリズムの手法で描き切っている。核爆弾を用いたテロをメインとしたプロットは、さして珍しいものではないが、起こり得る情況を俯瞰的にシミュレーションしたスケール感/ダイナミズムは圧倒的だ。ドキュメントタッチで進行する緊迫感溢れる展開は滞ることなく、終盤に向けてさらに加速していく。数多い登場人物一人一人を無駄なく活写し、膨大な情報量を整理しつつ、機能停止寸前にまで追い詰められる国家の有り様を的確に想定し、構成を破綻させることなく仕上げている。その手腕は見事という他ない。
驕り高ぶったアメリカ合州国の弱点を突き、その肥大化した身体の脆弱性を白日の下に曝す本作は、優れたスリラーであると同時に、「核時代」への批判精神を貫き、警鐘を打ち鳴らす。それは紛れもなく、今も響き渡っている。

 評価 ★★★★