海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「コパーヘッド」ウィリアム ・カッツ

唖然とした。あまりにも冷酷無比な結末に衝撃を受けたのだが、これほど後味の悪い読後感を残すストーリーは稀だろう。荒唐無稽な娯楽小説と割り切ってもなお、社会的倫理を唾棄し、タブーであるはずの境界を躊躇なく踏み越えるカッツという作家の得体のしれなさに畏怖さえ覚えたほどだ。

1982年発表作。脆弱な核抑止論に頼り切っていた危うい均衡が遂に崩れる。米国は核放射能を無力化する画期的な兵器BRAVO開発に成功、実戦配備のための最終実験に備えていた。一方、同兵器開発競争で完全に遅れをとったソ連は、軍事バランス崩壊に危機感を抱き、大胆不敵な謀略を実行に移す。即ち、BRAVO実験場のある米国ボストンを核兵器によって潰すのである。ロンドン発ニューヨーク行き英国航空第6便を擬装したソ連機に積み込んだのは、核爆弾だけではなかった。熱源追尾の高性能空対空ミサイル〝コパ―ヘッド〟、さらにはソ連内から掻き集めた偽の乗客。特命を帯びたパイロットと軍人だけが目的を知っていた。つまり、失敗した場合は、罪無き自国民さえ道連れにする訳だ。大西洋上空で実際の第6便を捕捉、コパ―ヘッドで撃ち落とし、予定通り成り代わる。だが、海の藻屑となった第6便の乗客2人が奇跡的に助かり、その後の事態を変えることとなる。ソ連軍の不穏な動きを事前に捉えていた米国首脳部は、その目論みを探っていたが、ソ連は旅客機の偽装工作発覚を妨げるために米軍北欧基地のレーダーを破壊。以降、腹の探り合いの中で米ソは報復合戦に突入する。その間、大西洋上で漂流していた第6便生存者が救助されたが、その不可解な情報を数時間後に待ち受けるボストン壊滅へと結び付ける者は、まだ誰もいなかった。

米ソ両政府の駆け引きが物語の中心となるが、後半ではタガが外れたように攻撃し合い、軍人や民間人が大量に殺されていく。この非情さを最も象徴する人物が、主人公格となる米国空軍のブランドン将軍となる。大統領が信頼する知将として、刻一刻と変わる状況をいち早く読み取り、敵の戦術を推察した上で対処するのだが、例え自国民であろうとも国家存亡の危機の前では犠牲にすることを厭わない。長年連れ添った妻が癌によって死の淵にあるにも関わらず職務を優先し、独り身になった後の再婚について考えを巡らせる。その冷血漢ぶりは徹底しているのだが、この男が最後に下す「決断」によって、本作の様相が一変するのである。

読了後、真っ先に思い浮かべたのは、米国の政治哲学者マイケル・サンデルが一連の「正義論」で展開した功利主義批判に関わる倫理的命題だったのだが、当然のことカッツには社会思想や逆説的寓話を盛り込む意図はまったく無く、あくまでもタイムリミット型サスペンスを基調としたストレートな軍事スリラーとして構想している。
〝有事〟に於いては人命尊重という建前をあっさりと踏みにじり、国益を最優先とする権力者/軍人らの酷薄な政治力学を物語の核に置いた〝意義〟は、良い悪いは別として大きい。深読みすれば、超大国による核軍拡/覇権争いがこのまま続くのであれば両陣営ともに最悪の結果へと至る、という警鐘を鳴らした作品として受け止めることも可能だろう。それにしても、この無惨なる終幕は、いわゆるタカ派国家主義者であれば至極当然と捉えるのだろうか。例え、己の愛する者を犠牲にしようとも、だ。
本作は緊張感に満ちたスリラーとして評価できるのだが、それ以上に読み手の倫理観を揺さぶる問題作であり、恐ろしい毒を含んでいる。

評価 ★★★

 

コパーヘッド (創元推理文庫 (223‐1))

コパーヘッド (創元推理文庫 (223‐1))