海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「叛逆の赤い星」ジョン・クルーズ

激闘の果て、心を震わす終幕。優れた小説は須くカタルシスを得るものだが、重く哀しい情景で終える物語であれば、それはなお倍加され、胸の奥深くに感動が刻まれていく。愛する者を守るため、我が身を焼き尽くす滅びの美学。数奇な運命に翻弄されながらも、揺るぎ無き信念を貫き、無謀な闘いへと赴く男を、重厚で熱い筆致で活写した本作は、スパイ/冒険小説の傑作であるばかりでなく、悲痛な恋愛小説としても深い余韻を残す。

スペイン内戦の英雄ホアキン・カベッサ。貧しい労働者家庭に生まれ育った彼は、圧制者に立ち向かって死んだ父の無念をいつか晴らすべく、少年期から農民コミュニストとして独り立ちし、孤高の道を歩んできた。やがて、若くして反ファシズム陣営/人民戦線の将軍となり、常に先頭に立って戦い、信念の人〈エル・ドゥーロ〉と呼ばれるまでになる。だが、遂にはファシストフランコに敗れて祖国を追われ、ソ連へと逃れた。地獄巡りは続いた。偽りの共産主義国家。レーニン亡き後、独裁政治を敷いてきたスターリンは、側近のみならず身内さえ信じることの出来ないパラノイアに陥り、狂人同然と化していた。この巨悪の根源と対峙し、公然と批判したカベッサは強制収容所送りとなり、死の淵を彷徨う。権力の中枢、扇動者そのものであるスターリンへの憎悪だけが生き抜く力となった。毎夜の尋問に耐え抜いた男は収容所を脱走し、メキシコに潜伏した。
物語は、カベッサがスペインの地を再び踏むことから始まる。時は1953年、男は39歳になっていた。生き別れた母親と妹との再会が目的だったが、かつての英雄であり現フランコ政権の敵となった男は、密告によって拘束された。間近に迫る銃殺。監獄からの逃亡を企てるも失敗。追い詰められ、潔く死ぬことを覚悟したカベッサに、見知らぬ米国人が近付く。海外秘密情報部GS16要員ケランド。命と引き換えの取り引き。望みを叶えよう……ソ連の独裁者を殺せ。

CIA創生期、局員からは〝漬物工場〟と揶揄されていた時代。ソ連で吹き荒れる粛清の中、政府中枢部に潜り込み重要な情報を流し続けていた米国のスパイ〝オメガ〟が、排除される可能性も日に日に増していた。冷戦期、熾烈な諜報戦で勝つための重要な資産、オメガ延命は最重要課題となった。つまり、独裁者暗殺は必然となる。そして、スターリン亡き後、米国の傀儡オメガをソ連の支配者に据えるのだ。だが、派遣した工作員が暗殺に失敗した場合、米ソ開戦の引き金になりかねない。いずれにしても暗殺者は消える運命にあり、捨て駒が必要だった。ソ連に通じる外国人で、復讐の動機と類稀なる腕を持ち、どんな逆境にあっても成し遂げる男。この条件に適合する人物はただ一人、エル・ドゥーロ以外にない。時間は限られていた。

二部構成で、前半は主人公の半生を振り返りつつ、暗殺計画が明らかとなるまでを追い、後半は準備/決行/逃走までを描く。特に第二部は終始ハイテンションで展開し、終盤でのボルテージの高さは凄まじい。常に権力に抗い続けてきた不屈の男、暗殺者となる宿命を背負ったカベッサが物語の強度を高めている。全編を通して、濃密で波乱万丈のストーリーが展開するのだが、孤独な男を取り巻く脇役の造型も深く、心に残るシーンも多い。カベッサを補助する役目を負うCIA女性工作員ゲイル・レッシング、謀略を巡らす冷徹な策士ケランドらとの関係が、物語を大きく揺り動かしていく。特に、新米諜報員として女を武器にした工作活動を強いられるゲイルの存在が忘れ難い印象を残す。カベッサと行動を共にすることで、その感情は近寄り難い畏怖から、淡い恋慕へと変わる。同時に、繊細な脆さが母性的な力強さへと育っていくさまを見事に捉えている。壮絶なクライマックスでの激情が胸に突き刺さるのは、不器用な男と女の恋愛が劇的な末路を辿るためだ。

暗殺計画の全貌が徐々に明らかになる過程もスリリングで、〝オメガ〟の正体も現実にあり得たかもしれない歴史的人物を当てている。1953年3月5日、公式的にはスターリンは脳内出血で死んだとされているが、謀殺説は根強く、真相は闇の中だ。その暗黒を照らす一瞬の光芒が、本作に他ならない。

スターリン暗殺を主題とするグレン・ミード畢生の名作「雪の狼」(1996)に先立つ1982年発表作。推測だが、同じ英国人作家が上梓した本作は、ミードが「雪の狼」を創作する上で大きな刺激となり、励みになったのではないか。共通する題材でありながらも、卓越した技倆で各々が魅力的な世界観を構築していることに、英国における冒険小説作家の層の厚みを感じる。

評価 ★★★★★