海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「緊急深夜版」ウィリアム・P・マッギヴァーン

経験上、新聞記者を主人公とするミステリは秀作が多い。加えて、作者自身が経験豊かな元ジャーナリストであれば、まずハズレはない。マッギヴァーンも、その一人。悪徳警官物の先駆「殺人のためのバッジ」(1951)や、レイシズムに切り込んだ名篇「明日に賭ける」(1957)などで著名だが、アメリカの病巣を鋭く抉る社会派として一時代を築き、総じて評価が高い。中でも本作は、権力に屈せず不正を追及するタフな男を熱く活写したマッギヴァーン渾身の傑作であり、ミステリ史に残る名作である。

次期市長選挙が近付く中、「コール・ブリティン新聞」社会部記者サム・ターレルは、一本の密告電話を受けた。市政改革派として人気上昇中の候補者コードウェルが、良からぬ女と密会しているという。その女は、地元ギャングの構成員チャンスの情婦エデンだった。チャンスのボスとなるセラーズは、現市長ティクナーの黒幕として暗躍していた。この二人が市政腐敗の元凶であることは、市民なら誰でも知っていた。女の狙いとは何か。ターレルは、コードウェル陣営の選挙参謀に事実関係を確認するが、単に情報提供を受けていただけだと煙に巻かれた。まもなくしてエデンが殺さる。現場はコードウェルの自宅。当の市長選候補は死体の傍で酩酊しており、即刻殺人容疑で逮捕された。
ターレルは、コードウェル犯人説を疑う。エデン殺害の第一発見者は旧知の巡査コグランで、現場からターレルに一報を入れていた。コードウェル宅から大柄の男が逃走する瞬間を見たらしい。その後、警察上層部の威圧を受けてコグランは証言を変え、姿を隠す。新進市長候補のスキャンダルは仕組まれたものではないのか。ターレルは、しぶとく関係者を当たり、ティクナー一派の策略を暴こうとする。だが、その甲斐無くコグランが不審死を遂げた。暴力が吹き荒れ、不穏な空気に沈滞する街。ティクナーの露骨な脅しにも弛まず、ターレルは最後まで闘う決意を固める。

1957年発表作だが、まったく古さを感じさせない。政治腐敗は、常に今日的テーマであり、イデオロギーに関わらず、ひと握りの有力者が富と権力を独占する社会構造は、有史以来どこの国であろうと普遍だからだ。
本作は、市政を牛耳る腐り切った者どもに敏腕記者が単身闘いを挑む物語だが、正真正銘、ハードボイルドの世界が拡がる。利権に群がり、市民を愚弄し続ける政治家/警察幹部/実業家、暴力による恐怖を植え付けて抗う者を沈黙させる犯罪組織。男は黙せず、敢然と立ち向かう。眼前にあるまやかしを見逃すことなく、根源の悪へと迫り、事実を突き止め、虚妄を曝き、徹底的に追い詰める。人生訓を含んだ気の利いた台詞も、男同士の甘ったるい友情も、妖しい女との危険な恋愛もない。捻ったプロットも、驚天動地の真相も、鮮やかな逆転劇も必要ない。これも持論のひとつだが、ハードボイルド小説の真髄とは「反骨」であり、そのエッセンスを凝縮しているのが本作だ。

不正義と戦い抜くという矜持、舐められてたまるかという主人公の意地が、全編に溢れ、読み手に迫ってくる。男を突き動かすものは、純粋な職業倫理のみならず、私利私慾のために弱者を喰い物にする傲慢な権力者、それを生み出し助長する暗澹たる格差社会への怒りであり、人知れず犠牲となっていく者の遺恨を晴らさずにはいられないという強い思いである。この狂った世界でさえ真っ当に生きることはできる。そのための〝変革〟を己の手で為すことが可能ならば、新聞記者という生業をとことん利用してやる、という意志/信念が、男を駆り立てる。この揺るぎない姿勢があるからこそ、物語の強度が高まり、分厚くなるのである。
甘さを排したマッギヴァーンの筆致は、時に非情に、時に滋味豊かに、情景を刻み込んでいく。特に新聞社内部の描写は流石で、やさぐれていながらも強いプロ意識を持つ記者たちの姿が精彩を放つ。中でも、ターレルが信頼を寄せる編集局長カーシュとの関係がストーリーの核となり、苦い結末を迎える主人公のやるせないカタルシスへと繋がっている。正義を為すことの〝代償〟を背負っていかざるをえない男の影をくっきりと浮かび上がらせたラストシーン。その余韻は、いつまでも冷めることはないだろう。

 評価 ★★★★★