海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「カーリーの歌」ダン・シモンズ

「この世には存在することすら呪わしい場所がある。……カルカッタはこの世から抹殺されるべきなのだ。」
一行目から意表を突くモノローグ。この暗鬱で過激な序幕から、どう物語を展開するのか。当時は未知であった小説家の技倆に、間もなく読み手は瞠目することになる。1985年発表、俊英シモンズの長編第一作。

1977年6月、米国の新進詩人ロバート・ルーザックは、或る出版社の依頼を受けてカルカッタへと飛ぶ。インドが生んだ偉大な詩人タゴールの再来と評されたM・ダースの新作を手に入れるためだった。不可解な謎にも引かれた。8年前、ダースは父親の葬儀から帰る途中で失踪し行方不明となったが、その死は公然たる事実となっていた。ダースは生きていたのか。ルーザックは妻アムリタと生後7カ月の娘と共に空港に降り立つ。アムリタはインド出身で通訳としてサポートする予定だった。出迎えたのは米国教育基金の職員だという現地人クリシュナ。宿泊先のホテルへと向かう。カルカッタの異様な光景にルーザックは早くも衝撃を受ける。混沌と貧困。喧噪と臭気。至るところ埋め尽くす塵や排泄物。蝕まれた身体を横たえる者、手を突き出しカネをせがむ乞食。耐えがたい猛烈な暑気。全身から汗が滴り落ちた。

多民族/多宗教/多言語の象徴的国家。その最下層の過酷な有り様を異邦人の眼を通して語る。生理的な嫌悪感まで喚起する描写が凄まじい。読者は否応も無く〝アジア最後の魔都〟カルカッタへと引き摺り込まれる。

生死不明のダースだが、仲介役であるベンガル作家同盟の幹部は、詩人は確かに生きていると断言する。しかし、ダース本人とのコンタクトは拒否した。後刻、ルーザックを訪ねてきたクリシュナは、或る男の話を聞いて欲しいと告げる。どうやらダースの消息に関わる内容らしい。夜の茶屋で会った痩せた若者はムクタナンダジと名乗り、奇怪な体験を語り始める。ルーザックは魅せられたように聞き入った。

それは、想像を絶する悪夢だった。
貧乏学生だったムクタナンダジは、友人サンジェイに誘われて、難関だと言われている或る教団の入会審査に臨む。カーパーリカ信仰集団。その名を聞くだけでカルカッタの人間は震え上がった。「生き血を飲み、人肉を食らい、破壊と殺戮を好む残酷な女神カーリー〝黒い母〟」を崇める闇の宗教。カーパーリカになれば、大きな〝力〟が備わる。サンジェイは、病的なまでに暴力に魅せられ、人間を超える力を欲していた。
入信希望者は生贄を捧げることが条件となった。即ち、死体の献上。二人はモルグに潜り込んで遺体を盗み出し寺院へと運んだ。水死体だった。闇夜、蝋燭に浮かび上がる祭壇に不気味なカーリー像が鎮座している。「黒い体、ふり乱した黒い髪。振り上げた第一の手に首つりの縄、第二の手にどくろ杖、第三の手には剣を掲げ、第四の手には切り取られた生首をぶら下げている。……充血した目は淫靡に輝き、口からは長くたれ下がった紅い舌をぺろりと突き出し、片足で夫シヴァ神を踏みにじっている」。その足下には、カーリーへの供物と思しき膨れ上がった腐乱死体。闇の女神を讃える歌が延々と続き、儀式は佳境に入った。そして、新参者二人は視た。屍が自らの力で、よろよろと起き上がるさまを。溺死した男が息を吹き返す、この世の地獄を。

異形の世界への扉が開く。死んだ詩人とムクタナンダジの異常な体験がどう繋がるのか、読み手はすぐに知ることとなる。間もなくしてルーザックは、ダースの手稿を入手するが、そこには、かつて鋭い感性が生み出した詩想の欠片も無かった。カーリー賛美の不気味で長大な詩編。ただの残滓。ルーザックは失望するが、ダースと会うこと自体は諦めなかった。数日後、死んだはずの詩人が遂に姿を現す。その身体は爛れ、腐臭を放っていた。

カーリーという名の暴力と悪の表象に憑かれた者たちの狂気を分厚い筆致で描き切る。際立つのは、底知れない恐怖の中で、次第に現実と幻想の境が曖昧となり理性を失っていく主人公の非力さだ。越えてはならない境界。必然、自らの意志で足を踏み入れた男は、愛する家族をも巻き込むこととなる。ルーザックを待ち受けるのは暗澹たる末路なのだが、シモンズは突き放すように非情な視点を貫き、容赦しない。全編が異様なムードに包まれ、どういう結末を迎えるのか全く予測させない。この後、物語は不条理としか例えようのない流れを辿るのだが、殆どの謎を解き明かさないまま、作者は強引に堰き止める。甘いカタルシスなど無用だと言わんばかりの苦い後味を残すペシミズム。自らの安易な行動によって殺された者の報復を誓い、再びカルカッタを訪れた男は、最終的には手段としての暴力を唾棄する。その姿勢に希望を見出すことも可能だろうが、逆に闇の力に屈服したというのが私の見方だ。

また、敢えて書き記しておきたいのだが、主人公の視点は、東洋に対する自覚無き差別意識、〝文明社会〟の住人としての西洋人が〝野蛮人〟に抱く偏見に根差している。カルカッタの情景は、書き手によっては陰惨さとは真逆となることに留意しておくべきだ。制度としては廃止されながらも社会の底辺に延々と残存するカーストという醜悪な差別。生誕した瞬間から下等の人間として扱われ、死を迎えるまで極貧の中で生きざるを得ない人々をどう視るか。絶望か、希望か。シモンズは作品のコンセプト上、理解し難い存在として組み込んでいるが、そこにはオリエンタリズムよりも、レイシズム的な志向が勝っている。それは冒頭で、核爆弾を落としカルカッタが消滅することを望む主人公の独白に既に表れている。これを被曝国である日本の読者はどう受け止めるだろうか。本作はいわば、無垢な白人の詩人が余りにも強烈な異国/異文化の只中に放り出され、結局は適応できずに妄想へと陥った果ての記録という捉え方もできるのだが、さすがに深読みし過ぎかもしれない。

長々と駄文を綴りながら、どうにも私自身の評価が定まらないのだが、この作品によって、隆盛期にあったモダンホラー界の新鋭として大きく注目されたことは間違いない。シモンズには、本作と同系の題材と雰囲気を持つ『バンコクに死す』という短編がある。同様、濃密な文体に圧倒される傑作で、五感を刺激する強烈な〝痛さ〟は恐らく唯一無二で、完成度も高い。

評価 ★★★☆☆

カーリーの歌

カーリーの歌