海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ワインは死の香り」リチャード・コンドン

百万ポンドにのぼる莫大な借金。またしても賭け事で負けた。あと1カ月のうちにカネをつくる必要があった。英国海軍将校コリン・ハンティントン大佐は、追い込まれていた。起死回生の策を思い付くが、穴だらけだった。元部下のシュートに会い、プランを練り上げる。頭脳明晰なシュートは除隊後、政治や経済に関わる難題を解決する画期的アイデアを売る生業で大金持ちになっていた。彼の知恵が頼りだった。
大量の高級ワインをまるごと一夜にして盗み出す大胆不敵な計画。ボルドーにあるクリューズ商会の酒蔵には一級銘柄のワインが貯蔵されていた。大規模な強奪には少なからずの人手が要る。ハンティントンの愛人イヴォンヌの父親は、南仏ギャング組織のボスだった。その力も借りることにした。かくして、病的なギャンブラーは、一世一代の〝賭け〟を実行に移す。

才人コンドンの1972年発表作。大型犯罪の顛末を奇抜な着想で描いた異色のクライムノベルであり、究極のギャンブル小説でもある。くせのある登場人物が縦横無尽に駆け回るストーリーは躍動感に満ち、爽快なエンターテインメントに仕上がっている。人物造形が巧みで、個性豊かな端役一人一人のエピソードが多彩だ。
特に、主人公の設定がユニークで、物語を意想外の方向へと引っ掻き回す。ハンティントンは貴族の出で、妻ビッツイは近親者に名のある政府要人や実業家を持つ富豪。本来であれば、カネに何不自由のない生活を送れる環境にあったが、ハンティントンには絶望的な欠点があった。ばくち打ち。勝負することが止められない。安易な賭け事で全財産を失い、経営するワイン流通商社も借金のカタに取られ、遂にビッツイから離婚を切り出された。だが、財産分与として要求された資産は、すでに自分のものではない。妻の一族が設けた猶予期間は僅か。追い詰められたハンティントンは、逆に奮起する。これこそ、待ち望んでいた大きな賭けに繋がる事態だと。


読み手は、捻れた思考回路を持つ主人公の行動自体に強烈なスリルを味わうこととなる。何しろ、ワイン強奪に向けて順調に準備が進む中、ハンティントンは完全犯罪がトラブルに見舞われて破綻することを、心の隅で望むのである。つまり、身の破滅に繋がる状況を常に求めている訳だ。そして、助っ人となるプロの犯罪者が必ず裏切ることを、恐れつつ、期待する。成功すれば、必ずカネを奪われ、オレは殺されるだろう。それをどう乗り切るか。男にとっては、人生最大となる命懸けの賭けをするチャンスが巡ってくる。良い風に捉えれば冒険だが、実際に悪い方向へと流れていく状況で、主人公がどう対処するかが読みどころとなる。最後の最後で大佐が取る行動。恐らく殆どの読み手が唖然とするだろう。
また、主人公と妻、そして愛人。この三角関係が絶妙で、愛憎もつれ合う中、お気楽だがしたたかに切り抜けていく男の多面性を見事に描き出している。どうしようもない欠陥がありながらも、憎めない男なのである。

終盤に向けて畳み掛ける展開が熱く、洋上での臨場感豊かな活劇を経て、比類なきギャンブラーである主人公に待ち受けるほろ苦い結末も忘れ難い。原題は「ARIGATO」。ハンティントンと交流がある自衛隊幹部の日本人が或る場面で発する「ありがとう」から取っているのだが、文字通りの感謝の意を表すものではなく、どちらかといえば皮肉なニュアンスが込められている。プロット上で重要な意味を持たず、内容にもそぐわないのだが、作者は異国の言葉の響きが気に入ったのだろうか。

なんにしても、直球の豪快さはないものの、捻りを加えた変化球のキレに魅了される秀作だ。

評価 ★★★★