海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「八番目の小人」ロス・トーマス

1979年発表のスパイ・スリラー。玄人向けと評されるトーマスだが、決して敷居は高くない。スタイルの近いエルモア・レナードと同様、生きのよい会話を主体にテンポ良く展開するストーリーは、時にうねるようなグルーヴを伴い陶酔感をもたらす。

第二次大戦終結から1年。誰もが、その男を探していた。ユダヤ人の暗殺者、クルト・オッペンハイマーナチスの権力掌握後から政府要人や軍幹部を次々に殺害、今も戦犯を狙い続けていた。頭脳明晰な共産主義者だったが、ソ連体制を嫌悪。群れることなく、常に単独で行動していた。男を追っていたのは米英ソの三国。昂揚するシオニズム運動の中、各国諜報組織はクルトに対して危機感を抱くとともに、高い利用価値を見出していた。敵となれば厄介だが、自陣営に取り込めば、パレスチナを火種とする中近東問題に於いて、優秀な工作員に化ける資質を備えていた。
クルトの父フランツは、戦前から実業家として成功した富豪で、娘レアと共にメキシコへと逃れていた。フランツは、ドイツ国内で最大の要注意人物となっている息子を救い出すために、或る男に依頼する。ニコライ・プルスカーリュ。ルーマニアの没落した貴族の末裔で、戦中は連合国のスパイとして暗躍。その正体は謎に満ちていたが、小人であることは知られていた。一方、ニコライはハリウッドで出会った男を仲間に引き込んでいた。元戦略事務局(OSS)のマイナー・ジャクソン大尉。タフで我慢強いが、狡猾なニコライには翻弄されている。二人は不即不離のまま、急速に緊張感の高まるヨーロッパへと飛ぶ。かくして、凄腕暗殺者を巡る争奪戦の火蓋が切られた。

粗筋だけでは、トーマスの魅力を表現することは難しい。シリアスに陥ることなく、肩の力を抜いた洒脱なムードと映像的な間の取り方が、作品全体に絶妙な空気感を創り出している。シニカルな視点、リズミカルな文体、スマートな構成、バラエティ豊かな挿話。人物造形には特に力を入れており、微妙な瞳の色の違いや仕種、言葉遣いによって人となりを表現するなど、人間観察に優れた作家ならではの技量が光る。要は、細部の味わいが上質なのである。この辺りが楽しめなければ、プロット重視の読者には物足りなく感じるだろう。

物語は、荒廃し混乱の極みにあった大戦直後のドイツの様相も織り交ぜているのだが、主軸とするのは米英ソが派遣した工作員のプロと〝元プロ〟のフリーランス入り乱れての騙し合いだ。競争相手は、いずれも計略に長けたツワモノ揃い。追っ手の殆どが目的を隠し、塗り固めた嘘で欺く。しかも暗殺者クルト自身が軍人に化けて擦り抜け、ターゲットを堂々と葬っていく。事態は思わぬ方向へと転がり、終盤へと向けて徐々にテンションを高め、ニヤリとさせる結末も用意している。
主人公格となるマイナーは、相棒の小人ニコライに手を焼きつつ奔走するが、この二人が大義のためではなく、あくまでもカネのために動くニヒリストであることも、オフビートな面白さに繋がっている。

熟成した旨味、すっきりとした後味。素材を生かすレシピ。芳醇な香りと鮮やかな彩り。さらにもう一品オーダーしたくなるような贅沢な時間を提供してくれるだろう。

評価 ★★★