海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ダブル・カット」ウィリアム・ベイヤー

エルサレムを舞台とする異色のサスペンス/スリラーで、1987年発表作。本作執筆にあたり現地に一年間滞在したというだけあって、ベイヤーの実体験に基づくディテールがリアリティを生み、物語の強度を高めている。永遠に混じり合うことのない異質の文化/民族/宗教が、脆い石壁を盾に押し合い圧し合い〝共存〟する街。今現在もイスラエルが抱える混沌と焦燥をも伝える重量感のある力作だ。

ユダヤイスラムキリスト教が聖地とする旧市街周辺で猟奇殺人が頻発する。路上に打ち捨てられた死体にはパターンがあった。顔や胸などに刻印された二本線の傷。ユダヤ人の娼婦、米国から来た修道女、アラブ人の男娼……。被害者の素性や行動に共通項はない。若くしてエルサレム警察警部となったダヴィッド・バル-レヴは、類型犯罪捜査課のチームを率いて捜査に当たる。建国以来初となる異常極まりない事件解決に向けてバル-レヴは執念を燃やすが、殺人者に繋がる手掛かりは一向に掴めなかった。捜査当局は、殺人の精神分析を行う公開討論会を開き、犯人をおびき出す策を取る。同時期、バル-レヴにイスラエル軍幹部が接触、或る特殊部隊の存在を明かした。主にパレスチナを標的とする対テロ組織の隊員が、己らの存在を誇示するためにテロリストの死体に刻んだ標が同じく二本線の傷だった。間もなくして部隊指揮官であり、任務を逸脱する快楽的殺戮を繰り返していた大佐の名が浮上。先の討論会のリストとも符合し、ようやく容疑者を特定する。だが、事態をひっくり返す事実が判明。すべては真の目的を攪乱するための巧妙な目眩しであったことをバル-レヴは知る。

プロットは重層的で、序盤から様々なエピソードが同時進行で展開する。馴染みのないイスラエルの地名や人名が字面を埋め、数多い登場人物を取り巻く背景が逐一語られていくため、前半のテンポは緩い。だが中盤辺りから伏線が回収され、巨大な陰謀が浮かび上がるに至り、徐々に勢いを増し、分厚くなっていく。原題は「Pattern Crimes」。ミスディレクションを二重三重に仕掛け、異色の警察小説という導入部からの流れを断ち切り、本作は謀略スリラーへと様相を変えるのだが、それと同時に、ベイヤーが敢えて複雑な歴史を持ち、独立国家としていまだ不安定な土台の上に立つイスラエルを選んだ理由も明確となる。ユダヤ民族のアイデンティティーに直結する負の側面に触れつつ、領土拡張を目論むイスラエル極右勢力や石油利権に群がる米国資本家らの動き。これらの中東を取り巻く状況を主人公のバル-レヴの眼と経験を通して語っていく。移民としてのユダヤ人とイスラエルという国家で生まれ育ったユダヤ人。世代間で国家の未来に対する考え方に大きなズレが生じているさまも見事に捉えている。やがて明らかとなる真相が、決して絵空事ではないと感じさせるのは、ベイヤーの時代を視る眼が確かだからだろう。ただ、アクチュアルなテーマを盛り込んではいるのだが、やや詰め込みすぎて主題が絞り切れていないのが惜しい。

評価 ★★★☆☆

ダブル・カット (扶桑社ミステリー)

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