海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「狙った獣」マーガレット・ミラー

サイコサスペンスの先駆的作品でもある1955年発表作。日常がじわりと狂気に浸食され、逃げ場無き闇へと変貌していく怖さ。心理描写に長けた女流作家ならではの筆致が冴える秀作だ。

 父親の遺産を継いだヘレンは、30歳となった今もホテルに引きこもり、孤独な生活を送っていた。少女時代から劣等感の塊で、母親や弟とも反りが合わない。日々、鏡を見ては己の醜さを嘆いている。そんな或る日、旧友を名乗る女から電話があった。エヴリン。記憶にない。女は、間もなくヘレンに不幸な出来事が起こると脅迫まがいに告げた。不安を覚えたヘレンは、父親が懇意にしていた投資事業家ブラックシアに相談を持ちかける。不可解に思いながらも不承不承引き受けたブラックシアは、エヴリンの素性と行動を探り始めたが、男は徐々にヘレンに覆い被さる漆黒の闇へと引き摺り込まれていく。

 地の文は簡潔だがミスディレクションを含み、さり気ない会話にも伏線が忍んでいる。テンポ良く読み進めるうちに、ミラーの仕掛けた罠に徐々に嵌まっていく訳だ。ミステリを読み慣れた読み手なら、中途でプロットの核心には勘付くだろうが、それでも真相が明かされる暗鬱なラストシーンには〝さむけ〟を覚えるだろう。そして、ファンであれば、もう一人の重要な作家へと思いを巡らせるだろう。ロス・マクドナルド。彼が創作する上で、妻のマーガレットから大きな刺激を得ていたことは間違いない。例えば、本作の筋書きを下敷きにして、狂言回しを努める探偵役の男を一人称一視点にし、硬質で含蓄に富むレトリックを用いて組み立て直せば、リュウ・アーチャー物の一篇が仕上がる。得てして残酷で悲劇的な結末を迎える作品を数多く著してきたミラー家の二人が、軸に据えていたものは、やはり共通するのだと確信した。

 評価 ★★★

狙った獣 (創元推理文庫)

狙った獣 (創元推理文庫)