海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「ブルックリンの少女」ギヨーム・ミュッソ

フランスのベストセラー作家による2016年発表作。突然失踪した婚約者の行方を追う男。手掛かりを求めて女の過去を掘り起こしていくが、その過程で鍵となる関係者らが次々に不可解な死を遂げる。わたしの愛した女は、いったい何者だったのか。

主人公は、人気のミステリ作家ラファエル・バルテレミ。短期間で終わった結婚生活の後、引き取った幼い長男の育児に追われ、しばらく休筆していた。そんな中、生涯を共にしたいと願う女に再び巡り会えた。小児科研修医のアンナ。メティス(白人と黒人の混血)だった。再婚を控えた旅先でラファエルは、決して過去を語ろうとしない彼女に対し、知っておくべき秘密がないかを尋ねた。アンナは覚悟を決めたかのように「これが私のしたこと」と、或る写真を見せる。そこに写っていたのは、黒焦げとなった三人の焼死体だった。ラファエルは衝撃を受け、その場から逃げるように飛び出した。気持ちを落ち着かせた後、宿泊先に戻るが、既にアンナの姿は無かった。携帯電話にも応答が無い。パリに引き返すが、現在二人が暮らす家にもいなかった。嫌な予感を覚えたラファエルは、元刑事の友人カラデックに協力を求めた。彼女が個人で借りていたアパートに向かい、足掛かりを探す。やがて、スポーツバッグに入った40万ユーロにも及ぶ現金、偽造した身分証明書2つを見付ける。大金が意味するものとは何か。なぜ、彼女は素性を隠していたのか。徐々に浮かび上がる女の軌跡。何もかもが偽りだった。そして、彼女の足取りは予想を超える苦難に満ちていた。

ストーリーは目まぐるしく動くが、場面転換のキレは良い。プロットは重層的で、端役と思っていた登場人物が、後になるほどに重要度を増す流れも練られている。ただ、ミステリの定石から外れることはないため、それほど新鮮味がある訳ではない。総じて実力のある作家らしい仕上がりで決して悪くはないのだが、気になった点も少なくない。以下、思い付くままに挙げるが、あくまでも私の嗜好によるもので、読み手によっては逆に長所と捉える部分となるだろう。
本作は、主人公による一人称とパートナーである元刑事の三人称を交互に展開する。時に、事件関係者の独白を挿入して補足するのだが、それは殺人の被害者にまで及び、自らの死の間際までも語る。つまり複数の人称が混在することになる。これは明らかに蛇足で、技巧的にこなれていないと感じた。また、終盤で明かされる事の真相は偶然性に頼り過ぎて無理がある。中盤過ぎから浮上する或る策謀についても同様で、強引さが目立つ。
流麗な文章が印象的な作品だが、過激な題材としっくりとこず、違和感が残る。主要な登場人物のみならず、どう考えても俗語の方が相応しい者まで教養豊かな比喩や文学的引用を会話の中で多用する。これは作者の創作スタンスなのだろうが、狂った監禁事件や政治家の堕落などを扱いながらも、通俗的なミステリにはしたくないという〝括り〟が、結果的に物語の強度を弱めてしまっている。各章に置いたエピグラフや「消えてしまうことを学ぶ」などの極めて甘美な見出しなどは、ミュッソの文学的素養を表しているのだが、私は常に醒めた状態でしか読めなかった。つまり、見た目は綺麗だが、心にずっしりとくる重さがない。多少の粗はあっても、突き抜けるような激情やインパクトが欲しい。実は本作で最も驚いたのは、冒頭のシーンだ。婚約者から惨い写真を見せられて何も言えずに逃げ出す主人公の極端なナイーブさ。けれども、この男は犯罪小説を書く作家という設定であり、こんなことでパニックに陥るのは無理がある。過去にトラウマがあるかと思いきや何もない。この物語のテーマは、恐らく〝家族の絆〟なのだろうが、序盤の出来事が象徴しているように、弱さ故に招く悲劇についての掘り下げが甘いため、登場人物らの〝顔〟に焦点が合わず、声高に叫ぶ〝愛〟だけが浮遊している。

評価 ★★☆

ブルックリンの少女 (集英社文庫)

ブルックリンの少女 (集英社文庫)