海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「多重人格殺人者」ジェイムズ・パタースン

母国アメリカを中心に大ベストセラーを連発する人気作家。今も旺盛な執筆活動を続けており、共著も含めて150作に達している。最近では元大統領ビル・クリントンと組んだ〝全米100万部突破〟の「大統領失踪」で話題となった。名立たる〝セレブ〟とともに億万長者のリストにも名を連ね、稀に見る成功を収めている。1993年発表の本作は、パタースンの代表的シリーズとなる黒人刑事アレックス・クロスが初登場するサイコ・サスペンス。

 ワシントン市内で無差別的な一家惨殺事件が相次ぐ。得体の知れない快楽殺人者は、決して証拠を残さない狡猾さを備えていた。市警副刑事部長クロスは、解決に繋がる糸口を掴めないまま時間を浪費する。そんな中、上層部から別件を任される。特権階級の子らが通う小学校で、人気女優の娘と財務長官の息子が連れ去られた。白昼堂々、犯行に及んだのは、同校数学教師のゲイリー・ソーネジ。新任で生徒からの人気は高かったが、その正体は謎に包まれていた。クロスは、護衛に失敗したシークレット・サーヴィスの要人警護課長ジェジーフラナガンと連携しつつ捜査に当たるが、事態は一向に進展しない。遂には少年が死体となって発見された。ソーネジは少女の身代金を要求、メディアで露出の多いクロスを受け渡し役に指名した。だが、カネだけ奪われるという惨憺たる結果に終わり、刑事は再び連続殺人の捜査へと戻ることとなる。間もなくして、或る目撃情報により、ようやく殺人犯の素性が判明する。妻子持ちの平凡な営業マン、ゲイリー・マーフィ。自宅の物的証拠から、誘拐犯ソーネジと同一人物であることは明白だった。殺人者にして多重人格の男は逃亡。そして前代未聞の惨禍を引き起こした後、身柄を拘束される。

元広告代理店の重役でもあった著者自身のキャッチコピーによれば、トマス・ハリス羊たちの沈黙」に比肩する出来であるという。だが、その謳い文句が空しく感じるほどに、私は何度も本を投げ出したい衝動に駆られた。
物語は二転三転するが、ゲイリー・マーフィの多重人格が欺装か否かは判然としないままで引っ張っていく。主人公クロスは犯罪心理学者でもあるという設定で、殺人者の虚像を崩そうと試みるのだが、何かというと催眠術に頼る。その安易さには辟易したのだが、狂気へと陥ったソーネジ/マーフィに関わるトラウマの掘り下げ方が甘いため、男の異常心理を読み手に納得させるだけの解明には至らない。しかも、誘拐された少女は行方不明のままで長らく放置。その間、クロスが何をしているかといえば、捜査を通して急接近したシークレット・サーヴィスの女ジェジーと、暇さえあれば愛瀬を重ねているのである。作者は、黒人と白人の男女関係が人種差別の壁に直面するサブ的なテーマを組み込んでいるのだが、どうにも表面的で深みがない。終盤近くで明らかとなる事の真相もかなり強引で、非現実的。いとも容易く手のひらで転がされていた主人公は、結末で大きな打撃を受け、挫折感を味わう訳だが、人間の心理を読むプロとしては失格の烙印を押されてもおかしくないお粗末さだ。

作者は「ハンニバル・シリーズ」に対抗意識を燃やしていたらしく、〝ショッキング〟な要素を盛り込み、プロットにツイストを効かせているのだが、単なる猿真似に過ぎないご都合主義で終わっている。抑揚に乏しい筆致と散漫な展開のため、テンションが上がらない。簡潔な文章でテンポは良いのだが、不要なエピソードで水増しして無駄に長いため、中弛みが激しい。また、視点のブレも構成の緻密さを欠く要因となっている。小説で一人称と三人称を混在させることは珍しくなく、作家にとっては便利な手法なのだろうが、技倆がなければ雑然とするだけで効果を上げない。視点がころころと変わる度に読み手はいちいち頭を切り替えねばならず、下手にボリュームだけはあるため、面倒くさいことこの上ない。
当時のパタースン作品について、批評家らは「軽い」と揶揄していたようだが、重い主題をこれほど「軽く、薄い」内容に仕上げてしまうのも、或る意味〝才能〟なのだろう。散々文句を書き連ねてしまったが、桁違いのベストセラー作家も所詮はこの程度か、という思いが強い。勿論、本作のみで断定することはできないのだが、今のところ他の作品へ食指が動かない。

評価 ★