海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「10億ドルの頭脳」レン・デイトン

相変わらずの迷宮世界で独自のスパイ小説を構築するデイトン1966年発表作。
共産圏壊滅を狙う極右組織。その実態は現実性に乏しい策略を捏ねくり回す素人集団に過ぎなかった。この滑稽な妄想家らの企みの穴に付け込み、フリーランス工作員が暗躍、某国への土産を手に亡命を目論む。
……以上は、私が大まかに掴んだプロットだが、多少は違うかもしれない。本作はボンドシリーズのパロディとも読める。陰謀に勤しむ資本家、いいように振り回される大国。その醜態を茶化しながらも、クールに〝なすべき事をなす〟諜報員。主人公は、デイトンの初期作品でお馴染みの英国情報機関WOOC(P)局員の「わたし」。ゴロワーズを咥え、要所要所で巧妙な罠を仕掛けつつ、絡み合った紐を解きほぐす。極めて冷徹な男は、隙を見せて油断させ、敵の懐へと潜り込んでいく。

明晰だが含みを持たせた比喩。シニカルな警句を吐きつつ謀略渦巻く地を渡り歩く名無しのスパイ。水面下で展開する諜報戦。意図的に状況説明を省いて構成を捩り、工作活動の不透明/曖昧さを表出する。殆どの登場人物は独白もなく、正体と真意を明かさない。拡がる波紋に浮き沈む情報の断片。主人公に成り代わりそれを拾い集めるのは、読み手となる我々自身だ。
ル・カレは書き込み過ぎ、デイトンは削り過ぎる。両巨頭の作品が難解となるのは、至極当然といえるが、これが逆に魅力となっている。スパイ小説の極点にいる二人の価値はこれからも不動だろう。
評価 ★★★

 

f:id:kikyo19:20210603171836j:plain