海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「TVショウ・ハイジャック」レイモンド・トンプスン/トリーヴ・デイリィ

地味な邦題(原題は「The Number to Call Is...」)と装幀のため長らく積ん読状態だった一冊。何気なく読み始めて驚く。冒頭から一気に引き込まれ、巻を措く能わず。濃厚且つ濃密なサスペンスが横溢する衝撃作で、完成度も高い。1979年発表の共作で唯一の翻訳。軽いミステリを好む読者には薦められないが、歯応えのあるシリアスな作品を望むならば必読といえる。ただし、作者は容赦なく読み手の許容量を超えるほどの精神的プレッシャーをかけてくる。覚悟されたし。

武器を手に突然スタジオへ乱入してきた4人の襲撃者。仮面を被った異様な姿は、そのままテレビ番組を通して生中継されていた。舞台は米国アラバマ州シルヴァー・スプリングズ。観光客が訪れることもないこの田舎町は、一夜にして全米のみならず、世界中に知れ渡ることとなる。正体不明の者たちは、僅かな時間でテレビ局を占拠した。出口を残らず塞ぎ、それぞれに高性能爆弾を仕掛けた。この日、同局は筋ジストロフィーの子どもたちを救済するチャリティー番組を長時間にわたり生放送していた。スタジオには150人近い観客。著名なゲストを招き、すでに多額の募金を集めていた。思わぬ事態に現場も視聴者もしばらく呆然としていたが、やっと我に返り、眼前の現実を見る。観客は悲鳴を上げて逃げ始めた。襲撃者は銃を乱射、警備員も次々に殺された。地獄と化したスタジオ。抵抗が収まったのを待ち、リーダー格の男がカメラを通してようやく要求を告げた。3刑務所で服役中の囚人8人の釈放、逃走用の旅客機、現金2千万ドル。タイムリミットは12時間。意に沿わない動きをした場合、または局外にいる仲間から要求が満たされたという連絡がない場合、人質を処刑する。今後、全てを中断することなく全米に中継せよ。
慈善のTVショウは、恐怖と惨劇の番組へと変わった。

序盤から物語は激しく動き、最終ページまで疾走する。ストーリー自体はシンプルだが、読み手は次に何が待ち受けているのかという不安定な状態に置かれていく。安易な予測をはるかに上回る悪夢。中盤でのドラスティックな展開は凄まじいと言うしかない。
前例のないハイジャックを実行したのは極左テロ組織の一派で、フレデリックと名乗る男が率いていた。見た目は背広を着て紳士然とし、明晰で決断力があるが、仲間の誰よりも狂気に蝕まれていることは誰の眼にも明らかだった。残りのメンバーは、ヒステリックで劣等感の強い白人女、凡庸で捉えどころがない金髪の若い男、そして抑制の効かない凶暴性を全身から発する義手の黒人。いずれも己の死を恐れず、躊躇うことなく人を殺した。
一方、この前代未聞の事件を解決するために陣頭指揮を執ることになったのは、地元の保安官ベイルズだった。これまで対処してきたのは田舎ならではのトラブルに過ぎない。経験不足は自認していたが、ベイルズは敢然と立ち向かうことを決意する。州警察やFBIと連携を取りつつ、テロ組織の背景やハイジャック実行までの過程を洗い出し、精神科医のプロファイリングを通して、徐々に首謀者フレデリックの人物像に迫るが、その間にも状況はさらに悪化していった。本作の読みどころは、相手よりも先手を取り有利に立とうとするベイルズとフレデリックの激烈な心理戦にあるのだが、用意周到なテロリストの襲撃プランを崩すことが出来ず、保安官は何度も挫折し、己の甘さを痛感する。

救済という概念を否定するかの如き、非情に徹したリアリズムで、倫理観を失った狂信者の言動と人質が被る無惨な有り様を記録。まるで、過去の事件に倣い無慈悲なテロ行為を生々しく再現しているかのようでもある。正直これほどに作中人物への恐怖と怒りを喚起させる作品は稀で、震撼させられた。いうならば狂人の残虐行為を延々と傍観するしかないケッチャムの問題作「隣の家の少女」で味わった嫌悪感に近い。物語中でも、大半の視聴者は眼を背けたくても一時もテレビの傍から離れられない。この天邪鬼的な大衆心理をしっかりと表現し、読み手に対しても事件の一目撃者となることを強要する。

本作は過激な内容ではあるが、秀れている点は多い。大胆な着想と緻密な構成によって、多角的且つダイナミックに状況を捉えた無駄なく的確な流れ。そして、単に残酷なサスペンス小説に終わらせない深い人間ドラマの構築。
テロリストは観客らを倉庫に閉じ込め、劇的効果を上げるために著名人と関係者、番組プロデューサーら数人のみをスタジオに残した。熟年の人気女優と売り出し中の女性歌手。慈善番組を通して再起を狙うベテラン男性司会者。そこに、ショーの主役であった身体に障害がある子どもたち。いずれも、様々な悩みを抱えており、この事件が皮肉にも人生の転機となる。彼らは未曾有の恐怖に怯えつつも、互いに声を掛け合い、信頼関係を築いていく。しかし、常にテレビカメラから逃れることはできず、テロリスト格好のターゲットとなった。この試練をどう乗り越えて生還するか。人質ひとひとりの人間性が極限状態でこそあらわとなる過程も巧い。
保安官ベイルズは救出に向けて次々と策を講じていくが、狡猾なフレデリックはことごとく覆えし、結局は人質に災厄が訪れる。

さらに、事態を重く見ながらも、視聴率優先でかつてない放送を断行するテレビ局ネットワーク、責任逃れを考える政府や地方自治。その狂乱/ぶざまさも省くことなく描き切る作者の視点が冴える。

果たして事件は解決するのか、という不安に読み手は駆られるだろう。主犯フレデリック。この男の人格がどのように崩壊したのか、その背景は終盤できっちりと解き明かされる。それに基づき、ベイルズはある方法を選択し実行するのだが、怒涛の終局へと流れる伏線となって、最高潮のままクライマックスに突入する。最後まで緊張感は緩むことなく、深いカタルシスをもたらして、物語は閉じられる。

プロット、人物造型、構成力、全てに圧倒される筆力だ。紛れもない傑作だが、ある程度の耐性が無いと、読み手は中途でリタイアするもしれない。本作が持つ毒性はそれほど強い。この作品を褒めるのは気が引けるが、敢えて私は評価したい。 

評価 ★★★★★