海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「逃げる殺し屋」トマス・ペリー

殺し屋を主人公とするミステリは掃いて捨てるほどあり、生業としての新鮮味は無い。プロットや人物造形など、相当知恵を絞らなければ「いつかどこかで読んだ話」として片付けられてしまう。逆に先行作品との違いを出さなければならないため、作家にとっては挑戦し甲斐のある題材といえるだろう。
本作に登場する名無しの殺し屋は、準備/実行/逃走という過程で玄人ぶりを発揮するが、予期せぬ事態で人の記憶に残らないという大前提を崩される。「誰でもない顔」に傷を負ったことから綻びが生じ、司法省の捜査官のみならず契約を履行したはずの闇組織からも追われる羽目となる。
マンハント自体はクライムノベルのスタンダードからさして外れるものではないが、フリーランスとして日々の糧を得る殺し屋の「こだわり」、つまりはプロ意識の発露そのものが本作の最大の魅力となっている。殺しの方法には、実行する現場にある物を利用して擬装する。事故または病気に見せ掛け、不自然さを残さない。要は「殺された」という事実を隠滅する仕掛けを施すために、瞬時に判断し実行に移すのである。まるで諜報員の暗殺手段のようだが、このようなディティールがリアリティを感じさせ、追い詰められていく男が次にどう動くかという伏線となり、サスペンスを高めていく。
1982年発表MWA最優秀処女長編賞受賞作。無骨ながらも、手堅くまとめている。

評価 ★★★

 

 

 

「傷だらけのカミーユ」ピエール・ルメートル

現代ミステリにおいて先鋭的な作品を上梓する作家の筆頭に挙げられるのは、ピエール・ルメートルだろう。怒濤の勢いで北欧の作家らが席巻する中、フランス・ミステリがいまだに前衛としての位置を失っていないことを、たった一人で証明してみせた。無論、かの地では多彩な作家たちによって、今も刺激的な小説が生み出されているのだろうが。
読者の度肝を抜く技巧を凝らし、ジャンルを超越するスタイルで、大胆な離れ業を見事に成し遂げ、強烈なインパクトを与えつつ読後に深い余韻を残していく。その筆致は鋭い刃物のように読み手の胸元まで迫ってくる。

2012年発表のパリ警視庁犯罪捜査部カミーユ・ヴェルーヴェンシリーズ最終作。ルメートルは三部作で完結させているが、悲痛な終幕を迎える主人公の心身を思えば、役目を終えたということなのかもしれない。最初から三部作の構想があったかどうかは定かではないが、第1作から繋がる重要人物が核となる本作まで、周到な計算のもとに伏線を潜ませていたことが分かる。読者の大半は、不幸にも第2作「アレックス」を先に読まされてしまったのだが、本シリーズは発表順に読んでこそ、本作で虚無的な境地へと至るカミーユの悲劇性がより胸に迫る構図となっている。

愛する女を守るために、自らの権力を乱用してまで私闘を繰り広げるカミーユ。自暴自棄に陥り暴走する刑事の姿は憐れで、前作までとは異質の焦燥感が横溢し、終盤まで凄まじい緊張感を強いる。孤独な男の情愛を利用して復讐を成し遂げようとする犯罪者の仕掛けが徐々に明らかになるさまは見事というほかなく、ルメートルの高度な技巧が冴えわたっている。

評価 ★★★★

 

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

傷だらけのカミーユ (文春文庫)

 

 

「熱砂の絆」グレン・ミード

グレン・ミードが傑作「雪の狼」に続き発表した第三作。ボルテージは前作より下がるが、史実を巧みに織り交ぜて構築した物語はスピード感と臨場感に満ちる。
時代背景は異なるものの、基本的な人物設定や構成などは「雪の狼」と大きな違いは無い。現代にプロローグを置き、歴史の闇に消えた瞠目すべき秘史を掘り起こす。無謀な密命遂行のために敵地へ侵入し、難攻不落の防衛網を潜り抜け、その死によって以降の世界情勢を変える標的の間近まで迫っていくという展開は共通している。それだけに、どうしても比較せざるを得ないのだが、二作品ともスターリンルーズベルトという超大国の要人暗殺を主題としていながら、読後感は異なる。

1999年上梓の「熱砂の絆」は、敗戦色濃いドイツ第三帝国が劣勢を覆す策として実際に目論んでいたというルーズベルト暗殺計画を主軸にする。主な舞台は1943年のエジプト・カイロ。英米の首脳が極秘裏に会談するという情報を掴んだドイツ司令部は、軍撤退後もスパイ活動を続ける現地人らを頼りに、暗殺チームを送り込む。抜擢されたのは、戦前にピラミッドで発掘作業に関わっていたドイツ人の男とユダヤ人の血を引く女。当時はさらにアメリカ人の男が加わり、三人は固い友情で結ばれていた。だが、戦争勃発後は敵味方となり、米国大統領暗殺計画を通して皮肉な再会を果たすこととなる。

前作では過酷な運命に翻弄された家族らの血の繋がりを主題に、本作では恋愛を絡めた友情を根幹におき、劇的な物語に仕上げているのだが、「雪の狼」に比べて「熱砂の絆」が弱いのは、やはり「絆」そのものの重さなのだろう。
前へ進むほどに潜入工作員らを切り刻んでいく哀しい宿命、重苦しい絶望と希望の狭間で揺れ動く使命感、裏切りによって退路を断たれながらも仲間への揺るぎない信頼によって開く活路、凄まじい死闘の果てに待ち受ける無情なカタルシスと、残された者たちの荒涼と記憶。「雪の狼」が秀逸だったのは、それらが緻密に配分されつつ、圧倒的な勢いで迫ってきたからだ。世界を新たな戦争に突入させない大義よりも、愛しい者を救うため、大切な人の生命を奪った独裁者への復讐を成し遂げるため、という悲痛な思いに突き動かされた私闘を、よりダイナミックに表現していた。

といって「熱砂の絆」が凡作という訳ではなく、マクリーンやヒギンズ、バグリイらに繋がる現代冒険小説の衣鉢を継承しようというグレン・ミードの意気込みに溢れた力作であることは間違いない。これも惚れた弱み。ボブ・ラングレーと同じく、例え多少の粗はあろうとも、世界中の冒険小説ファンのために作品を発表し続けてくれるだけでも有り難い存在なのである。

評価 ★★★☆

 

 

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈上〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

熱砂の絆〈下〉 (二見文庫―ザ・ミステリ・コレクション)

 

 

「市民ヴィンス」ジェス・ウォルター

2005年発表のMWA最優秀長篇賞受賞作。プロットは至ってシンプルで、強引に要約すれば、しがない犯罪者という以外は「何者でもない」生活を送ってきた一人の男が、人生の岐路に立ち、それまでとは違う選択をして再び歩み始めるというだけの話だ。タイトルには含みをもたせており、個人名に敢えて「市民」を付けている理由は読み進める内に分かる。スタイルはクライムノベルだが、物語に大きな起伏は無く、文学志向が強い。

闇の組織を裏切って告発者となった男は、政府の「証人保護プログラム」下に入る。出生名を捨て「ヴィンス」を名乗り、生業となったドーナツ屋店主を続ける傍らで、以前と変わらずカード偽造と麻薬密売の裏稼業にも手を染めていた。だが、その〝流通システム〟と縄張りを狙い、ヴィンスの前に殺し屋が姿を現す。男にとって即刻の逃亡は必至だったが、「ヴィンス」の名で大統領選の選挙権を取得したことを知り、転換期を迎える。同じ頃、カーターとレーガンによる次期米国大統領の選挙戦が繰り広げらていた。政治的なものとは無縁だった男は、ようやく己自身と向き合い、「何者でもない」地点から、「市民」としての自覚、社会的責任を負う共同体の中の一人としての在り方に、おぼろげながらも思い至る。つまりは、過去を清算しての第二の人生への出立である。

内面を語らず、男の転機を行動によって表す。どこまでも不器用な小悪党が「実存」に目覚めるさまは、哲学としても掘り下げることも可能だが、本作はあくまでも世俗的な流れで展開する。凡庸な犯罪者の挫折と再生、その足取りをミステリらしからぬ構図で描いたことが、逆に高い評価へと結びついたのかもしれない。

評価 ★★★

 

市民ヴィンス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

市民ヴィンス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

 

「プラムアイランド」ネルソン・デミル

デミル版ヒーロー小説。NY市警のジョン・コーリーを主人公とし、以後シリーズ化されている。渾身の力作「誓約」を書き上げて以降、肩の力を抜いた娯楽作品を発表し続けているデミルだが、本作では冒険小説の要素を取り入れ、緻密な構成よりも怪しげな人物らが織り成す先の読めない展開の妙で読者を翻弄する。物語は二転三転し、前半と後半ではプロットの核が異なる。

舞台は、ニューヨーク州オリエント岬の沖合にある孤島「プラムアイランド」。そこに実在する動物疫病研究所に勤める科学者夫婦が何者かに殺され、ロングアイランドで静養中だったコーリーは地元警察からサポートを依頼される。エボラやコレラなどのウイルスを保管し研究するその施設は、政府特命による細菌兵器の開発が極秘裏に行われているという噂が絶えない。休職中の滞在先で殺された夫婦と友人関係になっていたコーリーは真相究明に乗り出すが、次第に事件の背後には見落とされた「穴」があることに気付く。やがて浮かび上がってきたのは、17世紀の或る歴史的人物が巻き起こした意想外のシナリオだった。

読みどころは、軽口を叩きつつ軽快に関係者をあたり孤軍奮闘するコーリーのタフネスぶりだろう。本作では、ストイシズムよりも「ノリの良さ」を優先しており、物語のテンポは終盤に向かうほど増していく。筋立ては「ホラ話」に近いが、大人のエンターテイメントとして割り切れば、充分に楽しめる。

評価 ★★★

 

プラムアイランド 上 (文春文庫 テ 6-12)

プラムアイランド 上 (文春文庫 テ 6-12)

 

 

 

プラムアイランド 下 (文春文庫 テ 6-13)

プラムアイランド 下 (文春文庫 テ 6-13)