海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

極私的傑作(★5以上)

「殺人容疑」デイヴィッド・グターソン

1994年上梓、純度の高い傑作。時は第二次大戦前後。舞台は米国ワシントン州の西にある孤島サン・ピエドロ。島民は約5千人、1920年代には多くの日本人が移住し農業などに従事していた。今では、その二世らも大人になり米国籍を取得できる日を待っていた。だ…

「ハドリアヌスの長城」ロバート・ドレイパー

まず、北村治による文春文庫の挿画が、さまざまなイメージを喚起させる。 裂け目無く屹立する高く赤い壁。それは紛れもなく刑務所の塀だと分かる。そこに、斜陽を浴びた男の影が浮かび上がっている。背中を向け、うつむき加減に呆然と立つ男。それに比して、…

「TVショウ・ハイジャック」レイモンド・トンプスン/トリーヴ・デイリィ

地味な邦題(原題は「The Number to Call Is...」)と装幀のため長らく積ん読状態だった一冊。何気なく読み始めて驚く。冒頭から一気に引き込まれ、巻を措く能わず。濃厚且つ濃密なサスペンスが横溢する衝撃作で、完成度も高い。1979年発表の共作で唯一の翻…

「鼠たちの戦争」デイヴィッド・L・ロビンズ

第二次世界大戦に於けるドイツ対ソ連で最も過酷な戦場となったスターリングラード。記録によれば、1942年8月から5ヶ月間にもわたった攻防での死者は200万人。当初60万人いた住民は、戦闘終結時には1万人を下回る数しか生き残れず、まさに死の街と化した。…

「Q E2を盗め」ヴィクター・カニング

積ん読の山を崩して〝発掘〟。なぜ、早く読まなかったのかと後悔するほどの出来だ。硬質な筆致と手堅い人物造形。己の主義を貫く犯罪者たちの硬派なスタイルも良い。1969年発表、翻訳数が少ないカニングの実力に触れることができる犯罪小説の秀作。主人公は…

「死にゆく者への祈り」ジャック・ヒギンズ【名作探訪】

1973年上梓、ヒギンズの魅力を凝縮した畢生の名作。冒険小説史に燦然と輝く「鷲は舞い降りた」(1975)のような重厚な大作ではないが、ロマンとしての味わいでは突出しており、恐らく大半のファンはベストに推すだろう。1981年に「ミステリマガジン」が行っ…

「甦える旋律」フレデリック・ダール 【名作探訪】

「世界じゅうでいちばん悲しいものは? それは壊れたバイオリンではないかと思う」ナイーヴで感傷的なモノローグで始まるこの物語を初めて読んだのは、私自身がまだまだ未熟で多感な時だった。読む物すべてが新鮮で知的な〝冒険〟に満ちていた頃。そんな中で…

「大統領専用機行方を断つ」ロバート・J・サーリング

予測不能の展開が強烈なサスペンスを伴い読み手を翻弄する1967年発表作。 第37代合衆国大統領ジェレミー・ヘインズを乗せた大統領専用機が、静養先のパーム・スプリングスへ向かっていた。時は夜間、航空路は荒れ模様だった。機長は管制塔との交信で、雲上へ…

「Yの悲劇」エラリイ・クイーン 【名作探訪】

まずは私的な述懐から。以前「旅の記録」の拙文でも触れたのだが、私の海外ミステリ〝初体験〟は「Yの悲劇」(1932)だった。まだ十代の頃、気ままに選んでいた国内/海外文学の流れで出会った。各種ランキングで長らく不動の首位に輝いていた本格推理小説…

「最後に死すべき男」マイケル・ドブズ

ナチス・ドイツ終焉を一人の男の冒険を通して鮮やかに刻印する傑作。幕開けは現代。自らの死期が迫っていることを悟った英国外務省の元官僚キャゾレットは、今まで避けていたベルリンを初めて訪れた。彼は観光の途中、ふらりと立ち寄った骨董品店で思い掛け…

「霧/ミスト」スティーヴン・キング

1980年発表作、キングの中編としては最も読まれている作品かもしれない。語り手は、デヴィッド・ドレイトン。物語は彼が残した手記というスタイルで展開する。 舞台は米国メイン州西部。激しい嵐が過ぎ去った翌朝、束の間の静寂を経て地区一帯を覆い尽くした…

「脱出せよ、ダブ!」クリストファー・ウッド

1983年発表、冒険小説本来の魅力を存分に味わえる隠れた名作。巻末解説で翻訳者佐和誠が熱を込めて述べている通り、本作の〝主人公〟は、縦横無尽に活躍する単葉飛行機《ダブ》である。オーストリアで生まれ、第一次大戦でドイツの主力戦闘機となり、初めて…

「死のドレスを花婿に」ピエール・ルメートル

現代フランス・ミステリの底力を見せつけるルメートル。2009年発表の本作でも繊細且つ大胆な仕掛けを施した超絶技巧が冴え渡り、暗い情念に満ちた濃密なノワールタッチの世界と相俟って読み手を魅了する。 ソフィー・デュゲは、悪夢から目覚め、現実の地獄へ…

「スパイよ さらば」ブライアン・フリーマントル

すべては生きるためだった。大戦終結後、ナチス・ドイツが併合していたオーストリアは英仏米ソが分割占領した。同時にウイーンは各国諜報機関の主戦場となった。ナチ戦犯追及機関の職員フーゴ・ハートマンは、頭脳明晰な現地工作員を求めていたKGBに勧誘…

「盗聴」ローレンス・サンダーズ

あとに「大罪シリーズ」で著名となるサンダーズ、1970年発表のデビュー作。ニューヨークを舞台に大胆不敵な犯罪の顛末を描く。ミステリの定型を打ち破る実験的な意欲作であり、犯罪小説の手法を一変させる革新性をも内包する傑作だ。 不法侵入罪で投獄され、…

「死ぬほどいい女」ジム・トンプスン

皮肉にも死後になって評価が高まり、米国ノワール界の代名詞的存在となったトンプスン。異端であり前衛でもあった不世出の作家は、半世紀以上を経て今も〝発掘〟の途上にあるのだが、この異才を受け容れる環境がようやく整ったということか。だが、書評家ら…

「緊急深夜版」ウィリアム・P・マッギヴァーン

経験上、新聞記者を主人公とするミステリは秀作が多い。加えて、作者自身が経験豊かな元ジャーナリストであれば、まずハズレはない。マッギヴァーンも、その一人。悪徳警官物の先駆「殺人のためのバッジ」(1951)や、レイシズムに切り込んだ名篇「明日に賭け…

「叛逆の赤い星」ジョン・クルーズ

激闘の果て、心を震わす終幕。優れた小説は須くカタルシスを得るものだが、重く哀しい情景で終える物語であれば、それはなお倍加され、胸の奥深くに感動が刻まれていく。愛する者を守るため、我が身を焼き尽くす滅びの美学。数奇な運命に翻弄されながらも、…

「ザ・ボーダー」ドン・ウィンズロウ

麻薬戦争の実態を抉り出し、巨大カルテルに立ち向かう男の熾烈な闘いを熱い筆致で活写/記録した現代の犯罪小説/ノワールの極北「犬の力」(2005)、「ザ・カルテル」(2015)。この続編が発表されたと知った時は、かなり驚いた。凄まじいカタルシスを得て物語…

「クラッシャーズ」デイナ・ヘインズ

ジェット旅客機墜落の真相を探るチームの活躍を、読み手の度肝を抜く壮大なスケールで描いた2010年発表作。謎解きと活劇の要素を巧みに織り交ぜ、劇的な場景を随所に盛り込み、全編ハイテンションで展開。筆致は極めて映像的で、ハリウッド映画張りの娯楽大…

「アムトラック66列車強奪」クリストファー・ハイド

1985年発表、ハイド渾身の快作。北米回廊線の列車から現金強奪を目論んだ新米の犯罪者グループが、よりによって同じ目的で乗り込んだテロリスト集団と鉢合わせする。このアイデアだけで〝買い〟である。しかも、冒険小説の傑作「大洞窟」の作者だ。面白くな…

「バスク、真夏の死」トレヴェニアン

寡作ながらも完成度の高い作品を発表し続けた覆面作家トレヴェニアン。1983年上梓の本作は、バスク地方の避暑地を舞台に、たったひと夏、主人公にとっては人生一度きりの激しい恋愛の顛末を、どこまでも甘美に、どこまでも残酷に描いた傑作だ。 原題は「カー…

「遅番記者」ジェイムズ・プレストン・ジラード

冒頭から一気に引き込まれた。舞台は米国カンザス州の都市ウィチタ。やさぐれた中年の刑事が犯行現場へと向かう。一旦は途絶えたかにみえた猟奇的殺人が6年を経て再び繰り返された。いまだ未解決となっている経緯を振り返りつつ、私生活では離婚の危機を迎…

『聖者の沈黙』チャールズ・マッキャリー

チャールズ・マッキャリーが他界(2019年2月26日)した。享年88歳。早川書房「ミステリマガジン」(2019年7月号)に、評論家直井明による丁寧な小伝と未訳を含む解題、短編が掲載されている。日本ではマイナーな存在に甘んじていたが、米国ではスパイ小説界…

「弁護士の血」スティーヴ・キャヴァナー

全編にみなぎる熱量が凄い。一時期ミステリ界を席捲したリーガル・サスペンスの一種だろうというバイアスは、幕開けから覆される。本作は、臨界点まで追い詰められた男の闘いを、圧倒的な筆力で活写した血が滾る傑作である。 舞台はニューヨーク。弁護士エデ…

「二度死んだ男」マイケル・バー=ゾウハー

完全なるエスピオナージュ。処女作「過去からの狙撃者」に続き、CIA諜報員ジェフ・ソーンダーズを主人公とする1975年発表作。バー=ゾウハーは第三作「エニグマ奇襲指令」以降は、より娯楽性を重視した作風へと変わるが、初期ニ作は厳然たるスパイ小説で、そ…

「評決」バリー・リード

溢れ出る涙を抑えつつ、終盤二章を読み終えた。まさか、こんなにも感情を揺り動かされることになるとは、物語が大きな山場を迎えてのち、評決が下るシーンの直前まで、微塵も思っていなかった。万感胸に迫るラストシーンがさらに心を打ち、その後しばらくは…

「静寂の叫び」ジェフリー・ディーヴァー

ディーヴァーの名を知らしめた出世作で、大胆且つ緻密な構成と簡潔且つ流れるような語り口が見事に結実した傑作である。冒頭から結末まで、常に読み手の予想を超える展開で、ページを捲る手を止めさせない。本作は、聾学校の生徒と教師を人質に取り廃棄され…

「死よ光よ」デイヴィッド・グターソン

人生の光芒を鮮やかに切り取るグターソン1998年発表作。自らの死と直面した老境の男が、その最後となる「旅」の途上で、様々な境遇の人々と出会い、別れていくさまを情感豊かな筆致で描いている。重い主題を扱いながらも、真っすぐなヒューマニズムを謳い上…

「過去からの狙撃者」マイケル・バー=ゾウハー

スパイ/スリラー小説の醍醐味を堪能できるバー=ゾウハー1973年発表の処女作。二重三重に仕掛けを施したプロットは、後の「エニグマ」、「パンドラ」で更に深化するのだが、無駄なく引き締まった本作も決して引けを取るものではなく、綿密に練り込まれた構…