海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「Q E2を盗め」ヴィクター・カニング

積ん読の山を崩して〝発掘〟。なぜ、早く読まなかったのかと後悔するほどの出来だ。硬質な筆致と手堅い人物造形。己の主義を貫く犯罪者たちの硬派なスタイルも良い。1969年発表、翻訳数が少ないカニングの実力に触れることができる犯罪小説の秀作。

主人公は英国人アンドルー・レイクス。主に企業相手に詐欺を働いてきた男で、充分なカネを蓄え、これを最後にと決めていた仕事を終えたばかりだった。相棒バーナーズとのコンビも解消。実は、二人が出会って以降、互いの本名さえ知らないままでいたが、固い信頼関係を築いていた。レイクスは念願だった故郷へと帰る準備を進める。そんな中、或る実業家が接触を図ってきた。海外商業銀行会長サーリング。大企業を束ねる富豪として名は知られていたが、その実態は謎に包まれていた。サーリングは独自調査でレイクスの秘密を握り、己の犯罪計画に協力しなければ全てを暴露すると脅す。やがて〝獲物〟が明らかとなった。間もなく処女航海を迎える豪華客船「クイーン・エリザベス2号」。その船荷から金塊の山を盗み出せ。報酬は莫大なものだった。だが、例え成功しても、また次の仕事を押しつけてくるのは間違いなかった。意図せぬ再会を果たしたレイクスとバーナーズは強奪のプランを練り始める。そして同時にサーリング殺害の準備も進めた。

レイクスは極めて冷徹で、非情さにおいては、スターク「悪党パーカー」にも引けを取らない。作者は、犯罪者に善人などいないというリアリズムによって、読み手のやわな感情移入を退ける。
没落したレイクス家の末裔となるこの男は、父の無念を晴らすべく家の再興にのみ固着している。なぜ、犯罪者の道を歩んだのか、その動機を明かすことはないが、男の人格に最も適する稼業であることは、物語を通して明確となっていく。

欠落した愛情から生じる人間不信。登場人物の性格を表現するディテールが巧みだ。例えば、レイクスは再三にわたり川釣りへの執着を見せる。狙った獲物を繊細且つ大胆に狙う技倆は、当然のこと犯罪においても発揮されることを示唆する。婚約者の女に対しても打算的だ。レイクスが描く未来に嵌めるピースの一部に過ぎず、目的は己の血を繋ぐ子の誕生のみにある。

秘密を知る人間は、容赦なく消す。レイクスは、物語中盤で或る人物をいとも容易く殺すのだが、これもかなり衝撃的だ。後半にどう繋げるのかと思ったが、巧妙な伏線の回収により、さらにダイナミックな展開を見せていく。犯罪者二人組は周到な下準備と綿密な計画を怠らず、そのリアリティも読みどころのひとつとなる。先の読めないストーリーは終始重い緊張感に満ち、登場人物の精緻な心理描写によってさらに倍化する。

本作で最も強い印象を残すのは、サーリングの秘書となる女、ベルだ。最初はレイクスの監視と補佐を任されるが、実体の掴めない男を愛してしまい、次第に重要な役回りを演じる。一方のレイクスは、全てが片付いたのちにはベルを葬る決意をしているが、彼女の一途な愛情に触れて徐々に揺らいでいくことになる。犯罪実行までの長い期間を共に過ごすこの二人の微妙な関係性を見事に描き、劇的なクライマックスへと繋げている。

襲撃シーンは終盤になってから。完璧なプランがどのように崩壊していくのか。無常なる終局。万感の思いを凝縮した男の独白が胸に迫る。クライムノベルは、かくあるべし。
評価 ★★★★★

 

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