海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

2023-01-01から1年間の記事一覧

「殺人容疑」デイヴィッド・グターソン

1994年上梓、純度の高い傑作。時は第二次大戦前後。舞台は米国ワシントン州の西にある孤島サン・ピエドロ。島民は約5千人、1920年代には多くの日本人が移住し農業などに従事していた。今では、その二世らも大人になり米国籍を取得できる日を待っていた。だ…

「ドイツの小さな町」ジョン・ル・カレ

ドイツ統一を掲げた大衆運動が、西ドイツを揺り動かしていた。煽動する指導者は、博士号を持つ実業家カーフェルト。謎の多い人物だった。最終目的地となる首都ボンに向かって国内を縦断する「行進」が続く中、英国大使館では別の問題が立ち上がっていた。現…

「死の統計」トマス・チャスティン

1977年発表作。重厚な警察小説/カウフマン警視シリーズの脇役として、いい味を出していた私立探偵J・T・スパナ―が堂々と主役を張る。6月、夜のマンハッタン。奇妙な事件はクイーンズボロー橋の上で始まった。愛車に乗るスパナ―を猛スピードで追い抜いた…

「縮みゆく男」リチャード・マシスン

スコット・ケアリーは、毎日7分の1インチ(約3.6ミリ)ずつ縮んでいた。既に害虫よりも小さくなり、自宅地下室で先の見えない日々を送っている。自らの試算では、あと6日で〝消滅〟する。半ば諦めの境地にいながらも、本能は生き続けようともがいた。目下…

「天国への鍵」リチャード・ドイッチ

高価な金品のみを狙う泥棒マイクル・セントピエールは、結婚を機に引退した。数年後、真っ当な仕事に就き、質素な生活を送っていたマイクルのもとに、ドイツの実業家と名乗るフェンスターが奇妙な依頼を持ち込む。バチカンが厳重に保管する宝を盗み出して欲…

「気狂いピエロ」ライオネル・ホワイト

フランス映画/ヌーヴェルヴァーグ「気狂いピエロ」(ゴダール監督/1965年公開)の原作で1962年発表作。原題は「Obsession」で妄執/強迫観念を意味する。ホワイトは本作を含めて僅か3作しか翻訳されておらず、他の2作は入手困難なため、作風などの全体像…

「チェシャ・ムーン」ロバート・フェリーニョ

惹句にはハードボイルドとあるが、サスペンス基調のミステリという印象。主人公クィンは元新聞記者で現在はゴシップ誌のライター。元妻とは友達付き合いを続けており、同じ敷地内にある離れで暮らしながら、幼い一人娘の寝姿を裏庭の木から見守る日々。そん…

「鋼の虎」ジャック・ヒギンズ

「山脈の向こうの空は群青色と青に染まり、太陽がゆっくり昇ってくるにつれ、万年雪の上に黄金色の輝きが拡がった。眼下の谷は暗く静まりかえっていて、聞こえるものといえば、チベットへの迷路をたどるビーヴァー機の、低く、絶え間ない唸りだけだった」静…

「陸橋殺人事件」ロナルド・A・ノックス

本職は聖職者という異色の作家で、創作上のルールを定義した「ノックスの十戒」でミステリファンにはお馴染みだろう。創作期間は10年と短く、本人の意志に反して、教会など身内の抵抗にあって断筆に追い込まれたらしい。環境に恵まれなかった不運なノックス…

「ヘッドハンター」マイケル・スレイド

スレイドはカナダの弁護士三人(本作以降、共同執筆者は変わっている)による合作チームのペンネームで、1984年発表の本作でデビューした。フォーマットは警察小説だが、サイコスリラーの要素を大胆に盛り込んでおり、全編が異様なムードに包まれている。不…

ミステリと「差別的表現」

英国の出版社ハーパー・コリンズ社がアガサ・クリスティーの作品を対象に「差別的表現」を削除した改訂版を出すと報じていた。「現代の読者にとって不快と思われる表現」について出版社独自の判断で修正を加える訳だが、当然物故している作者の〝意志〟は不…

「人類の叡智」という虚妄

ロシアの独裁者プーチンが始めた侵略戦争によって、その尊い命を奪われたウクライナの子どもは、ユニセフの統計によれば487人。今後はさらに増え続ける。そして親を殺され未来を失った子どもは、相当な数となるだろう。戦死者はロシアとウクライナ両軍とも10…

私的なお知らせ〜JAZZ TIME〜

私のもうひとつの趣味であるジャズの名盤、名演を「TikTok」で紹介しています。毎日更新を目指していますので、ぜひ気軽にのぞいてみてください。※本記事下段に「雑記」を追加しました。【Jazz Time】https://www.tiktok.com/@kikyo_shimotsuki?_t=8ZQcZYato…

書評という「冒険談」

1月19日、「本の雑誌」創刊者で書評家の目黒考二氏が亡くなった。享年76歳。ミステリファンには、北上次郎の筆名の方が馴染み深いだろう。特に冒険小説の水先案内人としての貢献度は計り知れず、その魅力を熱く語り尽くした「冒険小説の時代」「冒険小説論…

「ハドリアヌスの長城」ロバート・ドレイパー

まず、北村治による文春文庫の挿画が、さまざまなイメージを喚起させる。 裂け目無く屹立する高く赤い壁。それは紛れもなく刑務所の塀だと分かる。そこに、斜陽を浴びた男の影が浮かび上がっている。背中を向け、うつむき加減に呆然と立つ男。それに比して、…

「夜の終わり」ジョン・D・マクドナルド

1960年発表作。当初、混同する筆名を用いたロス・マクドナルドとのエピソードで、名前だけが先行していた〝もう一人のマクドナルド〟。その本格的な紹介が本作から始まっている。当時の読者は、その実力に驚いたことだろう。このマクドナルドも凄いと。冒頭…

「銀塊の海」ハモンド・イネス

1948年発表作。冒険小説の王道を行くイネスらしい構成で、発端から結末まできれいにまとめ上げている。モチーフとしているのはスティーヴンソンの古典「宝島」。絶海の孤島(本作では巨大な岩礁に等しい)に眠る〝宝〟を巡る男たちの活劇を描いた代表作でも…

「スリーパーにシグナルを送れ」ロバート・リテル

未だ全貌が明らかではない歴史的事件を題材とする1986年発表作で、概ね評価は高い。曲者作家リテルならではのオフビートなスタイルによって、終盤近くまでどの方向へと流れていくのかが分からない。プロットの軸を敢えてぼかし、辿り着いた真相が最大限の衝…