海外ミステリ・レビュー

……新旧の積ん読本を崩しつつ

「縮みゆく男」リチャード・マシスン

スコット・ケアリーは、毎日7分の1インチ(約3.6ミリ)ずつ縮んでいた。既に害虫よりも小さくなり、自宅地下室で先の見えない日々を送っている。自らの試算では、あと6日で〝消滅〟する。半ば諦めの境地にいながらも、本能は生き続けようともがいた。目下の最大の敵は、執拗に狙ってくる邪悪な蜘蛛だった。逃げてばかりでは、いつか餌食となる。ようやく男は対決する覚悟を決めた。その前に飢えをしのがねばならないが、食料のある場所は、そびえ立つ魔の山のような頂にあった。スコットは己の大きさほどもあるピンや糸を使い、はるかな上を目指して一歩を踏み出す。

タイトル通り、身体が縮んでいく男を描いた1956年発表作。ジャンルとしてはSFだが、〝異世界〟を舞台にサバイバルを繰り広げる冒険小説としても読める。
ストーリーは、異変後の回想を交えつつ進む。スコットは退役軍人で、たいした仕事に就けず不安定な毎日を送っていた。家族は妻と幼い娘。訳も分からず縮んでいく夫を妻は気丈にも支えようとするが、かえって男の自尊心を傷付け、夫婦関係は悪化していく。愛する娘は、自分より小さくなった男を父親として認識しなくなった。働くことさえままならず、遂には惨めな有り様をメディアに売るまでに落ちぶれる。治る見込みのない治療費を払うために研究対象となり、果ては異形の者として見世物へ。最後の拠り所であったプライドさえ失い、追い込まれていく男の喪失と絶望。物語には終始暗いムードが漂う。

海上放射能を含む霧を浴びたことを〝変態〟の原因としているが、科学的根拠は示してはいない。特異なのは、確実に同じ数値で縮む異常性にある。その長く苦しい過程を体験せねばならない男と、次第に変化していく周りの環境との対比を事細かに描写することで、恐怖心を煽る。身体は縮むが、性的欲求だけは逆に高まるという皮肉な過程も、妙なリアリティを生み出している。
〝新世界〟を前にして希望を語る前向きなラストシーンは印象に残った。

扶桑社文庫版には、ホラー/スリラー作家のデイヴィッド・マレルの解説を収録。文学者カミュの思索的随筆「シーシュポスの神話」と対照し、本作のテーマに迫っている。理不尽な状況は主人公に存在とは何か、生きるとは何か、を問い直す機会を与える。やがては、不条理と対峙して己の実存を見出し、光明を掴み取る。その流れを繊細かつ鮮やかに解き明かしており、マシスンへのリスペクトが伝わる考察で興味深い。マレルは、自作では短い文章を繋げていくシャープな作風が特徴だが、〝批評家〟としては整った文体を用い、理路整然と多角的に読み解いている。
日常の中の非日常。突如放り込まれた闇の中で苦悩/苦闘する男の生き方に、実存主義的な深淵を感じることも可能だろうが、マレルの受け止め方はやや高尚過ぎるようにも感じた。マシスンはあくまでも娯楽小説にこだわり、SF/ホラーの範疇で完成度を高めた、とうのが私の読後感だ。

評価 ★★★